139 犠牲と救済
天界・ミカエル宮
ミカエル宮には、けたたましいほどの爆発音、破壊音といった轟音が鳴り響いていた。もちろん、ただ音が立っているわけではない。ミカエル宮の一部周辺を更地に変える被害が添えられていた。
「お母さん大丈夫かな?」
「大丈夫…大丈夫だから。」
この轟音を聞き身を寄せ合い震える母と娘。無理もない。こんな轟音が止まることを知らずに鳴り響くのだ。時に建物を揺らし、時に地面が持ち上がる。異常的な状況に恐怖せざるを得なかったのだった。
この状態なのはこの親子だけではない。もちろん他の天使達もそうだ。1つの生命体のように天使同士は密接に寄り添い合い、バレないように巻き込まれないように身を隠していたのだった。
だが、そんなものは全くの無意味だった。
遠くで聞こえた爆発音。まだ大丈夫と安心していたのも束の間、ここを一瞬にして飲み込むほどの攻撃で皆が消えた。死体も思い出も愛も経験も何も残らないほどに跡形もなく消えた。
「止まれぇぇ!!!」
「じゃあ止めてみろ!!」
天災の如く破壊の限りを尽くし進むナールガ。それをなんとか食い止めようとエクリエルは動いた。だが、それも無意味に近かった。魔強化の完成度としては完成形に近い力を手に入れたナールガを、私情で失いかけの聖晶化ではどうしようもなかった。
さらに自分という目的のために周囲を天使を巻き込み破壊する様を見て、エクリエルはさらに憎悪を煮えたぎらせる。それがまた聖晶化を鈍らせていった。
ーーーーー
「なんだこりゃ、すげぇことになってんな。」
「あぁ。」
上空を飛ぶカイエルとフルシアンテ。その下にはいくつものクレーターが散見できた。
ナールガ達の元まであと約13kmといたところまで差し掛かった2人。その少し先に3つの気配を察知する。
「あ!フルシアンテだ!ヤッホ〜。」
「ヤッホ〜…じゃない。お前ら何してんだ?」
そこにいたのはラズロ、キキガノ、そして、フレリエルの3人だった。
「フレリエル!大丈夫か?」
「大丈夫。」
カイエルはフレリエルにそっと近づき、軽く抱きしめると頭に軽く口づけをした。
「キャ〜、チューした!チューした!」
「やめな、ラズロ。」
ラズロは冷やかしの如く反応をした。
「で?お前ら何してんだ?」
「何ってこんな状況だから気になって見に来ただけ!」
「悪く言えば、野次馬かな?君は?」
「…俺もそんなところだ。」
「人のこと言えないじゃ〜ん。」
「うるせぇ。」
なんとも状況に反する和やかムードを醸し出す3人。あくまでも好奇心で来ている3人は特に何かを心配するとかそういうことは一切ない様子だった。
「私たちはエクリエルの元に行く。君たちはどうする?」
「どうする?」
「せっかくだし間近で見ておこうよ。魔強化って見て見たいし。」
「俺はそのつもりだったが。」
「じゃあ、私たちも行く〜。」
「わかった。」
5人は速度を上げてナールガとエクリエルの元に進んだ。
「うっ…酷い。」
少し進んだ先でフレリエルは思わず吐き気を覚え、口元を手で押さえた。
それもそのはず、ここら一体はナールガの膨大な魔力により汚染状態と化していた。この状態でまともに立っていれば、猛毒に犯されるのと同義。エクリエルとフレリエルはより強固に魔力で体の内部を守った。
「あなた達はいいの?」
「ん?まぁ、ちょっと体が重いぐらいだし。」
そんな2人とは対照的に特に何も感じていない様子のフルシアンテ、ラズロ、キキガノの3人。
「あなた達がいいならいいのだけど…」
「なぁに?お姉さん心配してくれるの?やっさし〜。」
「そんなこと…ないです。」
「お前、随分仲良くなったんだな。」
「マブダチってやつ。」
↑(ラズロが勝手に言ってるだけです)
すると、5人の進む先に突如として紫色の巨大竜巻が5つ発生した。竜巻は瓦礫を巻き上げ、さらに瓦礫を撒き散らし、建物という建物を破壊した。
ーーーーー
「ふんっ!」
ナールガは異次元と呼べる威力まで上がった攻撃力でエクリエルを殴り飛ばした。
もう、エクリエルには回復という選択が取れなかった。そもそも、莫大な魔力を纏った拳は一発でエクリエルの魔力と混ざり合い、魔法の機能不全を誘発させた。さらに、数十倍に膨れ上がったナールガの手数に回復ができたとてすぐに、ダメージがマイナスに戻される。はっきり言ってこの状況では試み自体が無意味に近かった。
聖晶化は消えかけ。枯渇する魔力。そもそも魔法が使えないという現状。全ての策を取ったとしてもどこにも見当たらない希望。
まさに絶望とも言える状況だった。
ナールガはその場から距離の離れた空中にワープすると、胸から紫色のサッカーボール程度の火の玉を出し、それをその場で回転させるように蹴った。
そして、そこに先ほど発生した5つの竜巻が吸い込まれるように集まると稲妻を放つ歪な紫の球体が完成した。
「ッハハ!」
ナールガは勢いよく後ろに足を振り上げると、球体を蹴った。
だが、その球体の持つ尋常ならざるエネルギーを蹴りで容易に押し出すことは、流石のナールガでも容易にはいかなかった。球体は微動だにせず、前に進もうとはしなかった。
「ッハハハハハァァ!!」
ナールガの大きな笑い声が衝撃波と轟音に乗って天界に響く。
この様子を遠くから見る5人。そこに会話はなくただただ緊張感が走っていた。
すると、いきなりカイエルは拳をギチギチと力強く握ると、急いでエクリエルの元に向かった。
「カイエル!」
フレリエルもその後を追う。
その間もナールガは球体を蹴り飛ばそうとしていたが難色を放っていた。
「俺の…俺から生まれた力の分際で主人に…抵抗とは…随分偉いことだな…」
ナールガは球体に向かって独り言を喋った。自分で作った自分の魔力の集合体が扱いきれないことに少しばかり憤りを感じていたのだ。
「今…いいところなんだよ…それを邪魔するなよ…邪魔するなぁぁ!!!!」
ナールガは激昂と同時に一時的にさらに増幅した力で球体を蹴り飛ばした。紫色の彗星が空を貫き、一直線にエクリエルの向かう球体。その向かってくる球体を見たエクリエルは、全身の力を抜いた。それはまごう事なき『諦め』を意味した。
それでも無慈悲に止まることを知らない球体はエクリエルに直撃し、辺りを吹き飛ばす爆炎と爆風を放った。
「あれれ?もしかしてヤバい?」
「そうかも。」
「でも逃げれねぇしなぁ。」
紫色の爆発と爆炎はエクリエルどころか、カイエル、フレリエル、フルシアンテ、ラズロ、キキガノをも飲み込んだ。
その直接被害規模は半径百キロを高速で巻き込み消し飛ばすほど。さらには爆風などによる間接被害区域を含めると最低でも推定・半径百五十キロ。そこに魔力による汚染区域まで含めると半径三百キロはくだらない被害規模であった。
1悪魔の出せる火力としてはあの『地獄の王』にも引けを取らない歴史的破滅的な攻撃であった。
ーーーーー
周囲には先ほどできたクレーターを上書きするようなクレーターができていた。その中は濃密な魔力による汚染と焼けて熱を持ち、ところどころ煮えている地面。この一瞬で天界が地獄に様変わりしたのだった。
諦めと共に力を抜いたエクリエル。死を待ち目を閉じ、ただ死を迎えようとした。だが、なぜか自分にまだ肉体の感覚があることに気づいた。「おかしい。」そう思ったエクリエルが目を開けると、目の前には白い服を着た大きな背中と右側には自分に抱きつく誰かがいた。
「カイ…エル…」
「ギリギリ間に合った…いや…間に合わせてくれたらしい。」
そこには自分を盾に身を守ってくれたであろうカイエルの姿があった。
「お前…どうやって…」
「なんで止めれたって話か?それならこれだ。」
カイエルが見せたのは服の右の袖だった。だがそこには右手が袖を通ってはいなかった。
「まさか…」
「止めれそうになかったから…思わず差し出した。」
ナールガの攻撃の直撃から身を守る術など、本気程度の防御では絶対に守り切ることはできない。それをする方法こそが『犠牲』。カイエルは右手を永久に犠牲にすることで1度だけその場をやり過ごす権利を手に入れたのだった。
「お前…そこまでして…」
「お願いされてやったんじゃない。やりたいからやった。それ以上でも以下でもない。ただ…」
カイエルはエクリエルの方を振り返った。
「疲れたけどな。」
そして、カイエルは歯を見せて優しく笑った。エクリエルは涙を流した。
「ありがとう…」
「泣かないでエクリエル。」
隣で腕を抱きしめるフレリエルはエクリエルの涙を拭った。
この場から少し離れた上空にフルシアンテ、ラズロ、キキガノの3人は文句を垂れていた。
「ちょっと〜煤だらけなんですけど〜。」
「汚い。」
「お前もう少し遠くに移動させろよ。」
「だって〜あんなところまで煤が来るとは思わなかったんだもん。」
3人は、ラズロの魔術により被害を免れていた。正確に言うと逃げが甘く、逃げ先で煤の波に襲われたので全身煤まみれではあったが。そして、3人は元の場所に戻ってきたのだった。
「ラズロ。君、あの2人を移動させただろ?なんで?」
キキガノは気づいていた。カイエルとフレリエルがあのスピードで飛んで行っても間に合うはずがないのに、エクリエルを守る事に成功している。この瞬間移動をこの場でできる者など、ラズロの魔術によることしか考えられなかったからだ。
「えぇ〜、だってあのままや助けられずに後悔抱えて生きていくと、私とまた戦う時全力出せないかもしれないじゃん。それは嫌よ。」
「そうか…。」
「おい、お前らまだ終わってねぇぞ。ただの一発を防いだだけだ。勝ったってわけじゃねぇ。」
3人はエクリエル、カイエル、フレリエルに目をやると、その目の前にナールガが姿を現していた。
「右腕を犠牲にして防いだか。その覚悟見事と言う他ない。」
ナールガの尋常ならざる覇気にカイエルは痩せ我慢で対抗した。
「ありがとう…」
「わかっていると思うが今ので勝負がついたわけじゃない。お前たちが命を賭けてでも防ごうとした攻撃は、生きるための呼吸と同じ、ただ1つの行動に過ぎない。さぁ…かかってこい。俺を倒してみろ。」
身構える3人。それを見守るフルシアンテとキキガノとラズロ。
「盛り上がってるねぇ。」
「「「!」」」
その背後からどこかで聞いたことのある声がした。急いで3人が振り返ると笑みを浮かべる悪魔がいた。
「あっ!A2。」
「お前、どこ行ってたんだ!」
「まぁまぁ今はそんなこといいじゃないか。ナールガ、彼行くところまで言っているようだし。」
4人は仲良くナールガに目線を落としたその時、空が神々しく輝きを放ち始めた。この場の全員が目を窄めながら上を見た。神々しい光の柱が3本、天より姿を見せると、そこを通って3人の天使が降りてきた。
「よかったなエクリエル…助けが来たぞ。」
「あぁ…天使長様方だ。」
天より降り立つ3人の天使。それこそがミカエル、ラファエル、ウリエルの『天使長』の名を冠する天使だった。
ーー終ーー