雨宿
山奥にある民宿の一室。
そこは有名な心霊スポットだった。
しかし、他所にあるような廃墟などではなく、現在でも少しお金を払えば泊まることが出来る。
と言うよりは、宿の主人もそれを売りにしているようで、自身でも特色として宣伝しているくらいだ。
その部屋は『雨宿』と呼ばれていた。
何でもこの宿に泊まると夜中、外に雨が降っているわけでもないのに強い雨音が聞こえるのだという。
しかし、それ以外では特に害があるわけでもない。
その宿に泊まった人間は呪われたりなんかしないし体調を崩すわけでもない。
あえて言うのであれば、音がうるさくて眠れないことくらいだが、それはむしろ恐怖を楽しむために役立っているとも言えなくもない。
安全な場所から恐怖体験をすることの楽しさはホラーゲームだとか映画が証明しているもので、この宿もまた何ヵ月予約が埋まってしまうほどの人気な部屋となっている。
事実、私も三ヵ月ほど前に予約してようやく部屋を取れたくらいだった。
「恐ろしくなったら広間へ戻ってきてください。ここはいつも明るいですから」
そんな主人の茶化し言葉を聞きながら空模様をうかがう。
空は曇り空。
おまけに天気予報ではこれから雨が降るという。
これでは本物の雨音と怪異の雨音が混じってしまうのではないだろうか。
そんな私の落ち込みを見透かしたかのように主人は薄気味悪く笑って言った。
「安心をしてくださいませ。よっぽど酷いゲリラ豪雨でもなきゃ、何が恐ろしいかすぐに分かりますって」
そんなものなのだろうか。
疑問に思ったものの、空の機嫌だけはどうしようもない。
私は諦めて『雨宿』へ入った。
部屋は特に見所のなく、事前に主人がわざわざ見せてくれた他の部屋と全く変わるところはない。
あえて言うのであれば古くからやっている民宿であるが故に畳や天井が薄黒く汚れており、壁には幾つもの凹みが出来ていた。
「せっかくですんで部屋をおんぼろのままにして雰囲気を出しております」
そう主人は言っていたが、体の良い言い訳にしか思えなかった。
いずれにせよ、私は雨が降らないことを祈るばかりだった。
夜。
小雨が降っていた。
それを残念に思いながら、私は今か今かと独りそれが来るのを待ち続けていたが、いくら待ってもそれらしい音がせず、何時間も待った後にもう自分が『雨宿』の中に居るのかもしれないと結論付けて大きな落胆と共に布団へ入った。
そして微睡んでいた頃、不意に耳に何か聞こえた。
『寝たか?』
『寝た寝た』
誰かの話し声。
『よし、わかった』
最低でも三人。
『それじゃ、やっちまおう』
声が闇の中に消え去らない内に、強く、大きく、部屋全体に大きな音が鳴り響いた。
びくりとして私は起き上がって電気をつけて窓を見ると外は相変わらず小雨のままだ。
さてはと思い、部屋の外へ出たがそこには誰の姿もない。
てっきり主人か誰かが大きな音でも立てているのかと思ったがそうでもないらしい。
部屋からは相変わらず酷い音がしており、今もまだ終わる様子もない。
しかし、事前に聞いていた通りその音が鳴り続けるだけで他に何か起こるわけでもない。
こんなことのために何ヵ月も待っていたのかと思うと中々滑稽な気もしてきたが、私は部屋に戻りその『雨音』を聞き続けることにした。
部屋全体をうちつづける音はあまりにも耳障りでまた雨と言うにはあまりにも重い。
無粋と思いつつも部屋の中に何か仕掛けがないかと探してみたがそれもない。
なるほど、確かに本物の怪異らしい。
しかし、幸いなことにこれに敵意がないことは証明済みだ。
だが、こうしてみるとただただうるさいだけの部屋に高い金を払って、あまつさえ何ヵ月も待っていたなんてあんまりにも馬鹿らしくなってきた。
これじゃ、寝ることも出来ない。
延々と続く激しい雨音に耐え切れず私は部屋を出ようとした時、不意に誰かの声が聞こえた。
『死んだか?』
思わず振り返り部屋の中を見たが誰も居ない。
私の肌が全身で恐怖を感じた直後に雨音が止む。
『まて、確認する』
その言葉の直後に大きな音が一つ。
『死んでるな』
その言葉を最後に。
あの大きな雨音は聞こえなくなり、部屋の中には虫が這うような静けさで小雨の這う音が響いていた。
雨宿?
なんて、悪い冗談だ。
部屋で聞こえたのは雨音なんかじゃない。
あれは雨が人を打つ音じゃない。
人が人を打つ音だ。
電球がどす黒く汚れた畳や、凹んだ壁を生々しく照らしていた。
翌朝。
「聞こえましたか。雨音は」
不自然なほどに屈託のない笑顔を見せる主人に私はぎこちなく頷き返して見せた。
「それは良かった。あんなに順番を待ってくれたのに退屈な思いをされたらどうしようかと私は心配していたんです」
どう答えるべきだろうかと悩む私に対して主人は気味悪く告げた。
「色々と思うところはあるでしょう。それを誰かに話してくださっても構いません。いえ、むしろぜひそうしてください。そうすればまたうちは儲かりますから!」
その声と表情は下手な怪談よりもずっと恐ろしいものだった。