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閑話(十六夜) 信秀の決断

 〔天文十七年 (一五四八年)春三月十五日〕

 

 末森城の主である織田-信秀の自室に弟の信光が入ってきた。

 三月十三日に駿河の今川義元が太原雪斎に総大将に命じると数千の兵を与えて、岡崎松平家の救援に向かわせたという報告が入っていた。つまり、十四日に駿河を出発し、十五日に浜松、十六日に今橋(吉田)、早ければ十七日に岡崎に到着する。

 その報告と同時に、北条氏康殿から手紙が届いたと聞いた信光が信秀を尋ねた。

 信秀は信光を自室に通すように命じた。

 

「着たか」

「今回は随分とのんびりだな」

「準備なら一月前に終わっておる。今川がいつ動くかわからぬから、中根と八事以外は早めに田植えを終わらせるように命じておいた」

「そうであったな」

「信孝め。人望がなさ過ぎる」

 

 想定外は岡崎城を松平広忠に奪還されたことであった。

 だが、信光はそれを鼻で笑う。

 それを信秀が怖い目で睨んだが、信光は説明する。

 

「ははは、先代の清康が『守山崩れ』で亡くなると、信定(のぶさだ)殿と同調して岡崎城を乗っ取った。だが、今川家が広忠に救いの手を差し出すと、今度は今川方に寝返って広忠を岡崎に迎え入れた。自分に有利に動くと思えば、何度も裏切って岡崎城の実権を握った。信孝は常に裏切ってきたのだ。その家臣が利に聡いのも道理ではないか」

「人望がないのは広忠も同じだ」

「恩人の信孝を追い出し、戦えば負ける。前回は捕らえられて竹千代を差し出すことで命乞いをした。家臣団に見放されて当然だ」

「だが、その家臣団が手を貸した。想定外だ」

「おそらく、織田家が竹千代を殺したとでも言いふらし、憤慨した三河衆が手を貸したのではないか?」

 

 あっ、信秀が思わず声を漏らした。

 三河の者は頑なで強情な者が多く、中々に織田家に従わぬ。

 激情的で疑うことを知らない馬鹿も多い。

 信光の推測があり得ると思えた。

 実際、竹千代を連れ出そうとやってきた三河者は、尾張に竹千代を奪還されそうならば、竹千代と一緒に殉死する気であった。

 十人程度で尾張から逃げられる可能性は低く、三河者らの手に一度でも手に渡っていれば、竹千代の命はなかった。

 救出の失敗を知った広忠は竹千代が死んだと思い、家臣団に泣き付いたと考えれば、筋は通る。

 

「今更、竹千代の無事を教えても、覆水は盆に戻らぬぞ」

「岡崎衆の士気が下がるであろう。竹千代の連れから五人ほどを選んで竹千代の無事を知らせておけ」

「承知」

 

 信光は連れてきた家臣に命じると、その家臣はその場をあとにした。

 信光は時間ないので、今晩中に岡崎に送る五人と竹千代を会わせ、会わせた後に「降伏すれば、竹千代の命は助ける」という伝言を持たせて岡崎に送った。

明日、岡崎城へ和睦の使者に同行させて連れてゆくように命じた。


「で、北条からの手紙は?」

「これだ」

 

 信秀が横に置いていた氏康からの手紙を信光に放り投げた。

 信光はそれを開いて確認する。

 三月十一日付けで書かれた氏康の手紙には、信秀が西三河を制圧したことを褒め、今川義元と講和を結んだがやはり信用できない。詳しくは使者に伝えさせると書いてあった。


「で、使者は何と?」

「講和を結んでいる以上、北条家からそれを破ることはできないと言った」

「義理堅いことだな」

「氏康殿は信用に足るお方だが、今回に限って困ったことになった」

 

 織田弾正忠家の勢力からいって一万四千人ほどの兵力を動員は可能であったが、美濃の斉藤家と清須の織田信友とも敵対しているので、津島、那古野、岩倉、犬山に兵を残す必要があり、西三河で四千人を動員し、尾張からの援軍は三千人ほどが限界であった。

最大動員数の約半分しか出せない。

対する今川方は一万人近い兵が動員できた。

「安祥城の信広に伝令だ。兵を集めて上和田城に入り、松平(まつだいら)-忠倫(ただみち)に加勢して岡崎城を攻めよと」

 

 松平忠倫は佐々木城、上和田城の城主であり、松平広忠方の(かけい)-重忠(しげただ)とその弟助太夫(正重(まさしげ))に暗殺されかけて織田方に寝返った。

 忠倫が織田方に寝返ったことで、織田方は矢作川の東岸に拠点をもつことができ、岡崎城を攻めやすくやった。

 だが、今川と戦うとなると、矢作川を後背に背負うことになり守り辛く、岡崎の東にある三河山地を支配下に治める必要があった。

 その為にも岡崎松平家を組み入れる必要があったのだ。

 前回の『小豆坂の戦い』では、上和田城を守る形で小豆坂が戦場となった。

 それを避ける為にも、信秀は今川方の城である山中城を睨める岡か、生田辺りまで兵を進めたい。

 その為には、背後となる岡崎城を掌握しておきたかった。

 陣取り合戦のはじまりであった。


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