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閑話(十二夜) 怒濤の熱田訪問

 〔天文十七年 (一五四八年)春三月四日夜~五日〕

千秋家の客間で魯坊丸様が可愛い寝息をたてて眠られている。

眠っていれば、普通の稚児だ。

障子ごしに灯りが近付いてくるのがみえた。

入ってきたのは部下の紅葉であった。


「千代女様。お茶は如何ですか?」

「もらおう」

「魯坊丸様は寝付きがよろしいですね」

「それだけ気をつかわれて緊張されていたのだろう」

「まだ、お仕えして四日しか経っていないのが不思議な気が致します」

「そうだな」


私らは魯坊丸様に仕えはじめて四日しか経っていない。

だが、この忙しさは何なのだろうか?

中根南城でもう驚くことはないと思っていたのに、熱田神宮にくると驚きの連続が続いた。

中根で河原者を雇っていたのも驚いたが、神宮では流民を雇っていた。

魯坊丸様は彼らを労働力といって重宝されていた。

蔑むことはされない。

千秋様も蔑まれないが、人を見ている目ではなく、道具を見ている目であり、おいしい労働力(・・・)ということを強調されていたような気がする。

昨日、加藤・荒尾・佐治の三家の会談をのりきったと思われると、今日は魯坊丸様の酒造所の視察に向かわれた。

森の中に村ができており、人の数も中根と変わらない。

魯坊丸様は実質的に、中根、八事、酒造所と三つの領地を治めていることになる。

杜氏長と呼ばれる者が魯坊丸様を出迎えて、酒造りの進捗を報告する。


「酒造所の話は凄かったな」

「はい。酒を造りながら、それを入れる蔵を追い掛けて建てるとか」

「あの村が一月でできたと聞いて信じられたか?」

「いいえ、今でも信じられません、神技です」


熱田中の大工を総動員してつくったとか。

料理場や風呂などがあるが、働く者はテントという布の家に住み、大工達が彼らの家を建てている最中だった。

杜氏と呼ばれる酒職人、中根の村人、河原者が中心となって動き、労働者として神人が使われていた。

酒は順調らしく、来月の終わり頃から順にできると言っていた。

しかし、春になり、田植えの為に村人を帰したので、貯蔵室や衛生の為に床に焼レンガを敷く作業や外敵から守る壁の建設が遅れているとも。

紅葉が思い出し笑いでクスクスと笑った。


「なにか?」

「いいえ、ここにくる前に良勝殿らにお茶を運んだのですが、青い顔をして計算を続けておりました」

「最初は魯坊丸様の言葉を書き綴るのに六人も連れてくるのは大袈裟と思っていたが、酒造所の作業計画の修正と、酒の売り先の調整を今晩中にやれとは無茶を言いなさる」

「ああだこうだと言いながら作業を続けていますが、六人では足りないくらいです」


紅葉がもう一度笑った。

酒造所の帰りは、金山に寄って直接に鍛冶師から話を聞かれた。

色々な道具を依頼されており、金山衆の親方が頭を悩ますことをたくさん依頼されていた。

さらに、我々用の新しい鎖帷子を注文もして頂いた。

魯坊丸様の養父が、先の戦いで十数本の矢を背中に浴びても生き残れた特製の鎖帷子だそうだ。

重くなる分、さくららを先読みで早く動けるように鍛え直す必要がある。

神宮に戻ると、熱田衆の会合が待っていた。


「私は魯坊丸様が言われる儲けがよくわからん。紅葉はわかったか」

「良勝殿に教えていただきました。儲けには粗利益と純利益という二つの儲けがあるそうです。粗利益は儲けから買った材料の費用を引いたものであり、純利益は材料費の他に人件費や輸送費など様々な支払いを引いた儲けだそうです」

「どちらも儲けであろう」

「いいえ、違います。粗利益は儲けの総額であり、手元に残る銭ではありません。純利益は手元に残るお金となります」

「つまり、使えるお金が純利益か」

「それと中根家の総資産と熱田連合の総資産の違いが重要なのです。熱田連合と熱田衆は別です。熱田連合は千秋様、加藤様、荒尾様、佐治様、岡本様と五郎丸殿を含む魯坊丸様を支える方々の総称です。熱田衆からこの連合にどれだけ加えるかが重要だと良勝殿が申しておりました」


紅葉はずいぶんと勉強したようだ。

紅葉は体が小さく武芸などでさくらや楓より落ちるが、知識と判断力でそれを補っている。

学ぶことに貪欲なので私も重宝している。


「でも、魯坊丸様は面白い方です。新酒の酒を『上等酒』、特別な酒を『特等酒』、今までの酒を『可等酒』と命名し、上等酒を一升七十文で卸すと言いながら、熱田衆には五十文、米を納品した商人の支払いを四十文で売ってもよいと、敢えて混乱することを言われました」

「連合とならば、三十文になる。連合に入りたい者も多かろう」

「はい。それが魯坊丸様の罠なのです。連合に入るには、店の貸借対照表と損益計算書を魯坊丸様に提出する義務が生じ、商人らの資産がすべて丸裸にされます。連合は魯坊丸様が希望する投資に応じる約定があり、連合の資産をすべて魯坊丸様が自由に使えることになるそうです。商人の銭を喜ばれて奪いとる方法を考えられたのです。面白いです」


紅葉は面白いというが、私は恐ろしいと思った。

損益計算書というのがどういうものかわからぬが、商人の財産をすべて知る方法らしい。

商人は儲かるという一点では魯坊丸様と組む。

しかし、魯坊丸様はその商人が持つ富のすべてを使うつもりなのだ。

紅葉がいう通り、酒という甘い蜜の罠なのだ。

仮眠をとっていたさくらが隣の部屋で起き上がり、魯坊丸様の横まできて指先で頬を突いた。

柔らかい頬をぷにぷにするのが、さくらの新しい趣味だ。


「千代女様。何の話をされていたのですか?」

「今日の魯坊丸様は凄かったという話だ」

「あぁ、なるほど。ですが、私は昨日と今日の魯坊丸様が気持ち悪かったです」

「気持ち悪かった?」

「城では、俺と言って乱暴な言葉で私を責めるのに、ここでは『さくら、何をしているのですか』と優しい声で問い掛けるように責めてきやがりました」


さくらに言われて気がついた。

確かに城でも大人びていたが言葉が荒かった。

神宮にきてからは口調が落ち着いた。


「私もさくらと一緒です。こっちの魯坊丸様に声を掛ける気がしません。三歳の稚児が落ち着いた言葉使いをしているだけで気持ち悪いですよ」


楓も起きてきた。

そう言えば、楓は神宮にきてから魯坊丸様に一度も話し掛けていなかった。


「楓は気づいて話し掛けていないと思っていました」

「紅葉は気持ち悪いと感じなかったのか?」

「私が気持ち悪いと感じたのは二日目です。城の皆さんが私らを簡単に信用なさっているのが不思議でした」

「あっ~~~、確かに変だな」

「侍女長に聞くと当たり前だそうです。生まれて間もない頃に河原者を迎え、気が付くと城の中に村人と河原者が徘徊し、今では監督となって中根家のみなさんと一緒に食事をされている。魯坊丸様はどこかに出掛けると、味噌職人や大工や鍛冶師などを連れてくる。最近は神宮から絵師を連れ帰ったそうです」

「…………滅茶苦茶、変人だな」

「しかし、魯坊丸様は水を吸い上げ、雷を起こすなどをやってしまう本物の熱田明神様。熱田明神様が連れてきた者を疑うなど馬鹿らしいと言っていたのです」

「マジか⁉」

「楓もポンプで水汲みをしているでしょう」

「あぁ、あれ便利だ」


そういう事か。

神宮では、魯坊丸様は熱田明神らしく振る舞っていた。

落ち着いた口調で話せば、それだけで魯坊丸様に熱田明神様が憑依しているように見える。

神人も信仰深い者が多いと聞いた。

神罰を恐れて悪さもできないと、そんな効果を狙っていたのだ。


翌朝、朝食をとる魯坊丸様の前に良勝殿が頭を下げて謝った。

計算が終わらなかったようだ。


「そうか。ならば、私が帰るまで時間を延長しましょう。昼から神事の用事が入っています。それが終わるまでに終わらせなさい。次の延長はありません」

「承知しました」

「さて、昼まで暇なので神宮の宝物殿に納められている書物を読ませていただく予定ですが、神宮内なら護衛は二人で十分でしょう。千代女らには買い物をお願いします」

「買い物ですか?」

「先日、土佐から船が戻ってきました。南蛮や唐の商品が卸されたと言っていたでしょう。母上とその侍女ら、そして、私の侍女らのお土産を選んできて下さい」


おぉ、南蛮や唐の小物。

いかん、いかん、私は護衛だ。


「城の外で魯坊丸様の側を離れる訳にゆきません」

「千代女の見立てを信じて頼んでいる。だが、護衛がいるなら誰かを残してくれ。千代女が選ぶのは決定だ。母上もその方が喜ぶ」

「それで私が残ります。小物より宝物庫の書物の方が興味深いです」

「じゃあ、紅葉に頼む」

「はい、はい、私も残ります。一人では何かと不便でしょう。さくらに任せると居眠りしそうですから適任でしょう」

「楓、何をいうのですか。護衛の仕事ならキチンとできます」

「さくらは千代女様の荷物持ちの方が似合うでしょう。私は荷物持ちなんて嫌だから」

「仕方ありません。不肖、このさくらが千代女様の荷物持ちとなりましょう」

「わかりました。奥方様の品を探しに行ってきます」


熱田衆の会合で小物屋が魯坊丸様に珍しい品が入ったので見にきてほしいと言ったが、魯坊丸様は断わられた。

内心、残念と思ったが、行く機会が回ってきた。

やった。珍しい小物が見られる。

もの凄く嬉しくて堪らないがこういう気づかいは止めてほしい。

魯坊丸様の手の平で転がされている気分になる。


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― 新着の感想 ―
大変面白く読んでいます。 資産状態を明らかにするなら損益計算書ではなく貸借対照表なのではと思うのですが。 複式簿記は知っていてもおかしくないですよね。
[気になる点] 楔帷子が鎖帷子の誤字なのか、魯坊丸の発明なのか気になります。
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