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七夜 魯坊丸、こたつをねだる

〔天文十五年 (一五四六年)冬十月から十一月〕

火持ちが良い炭団は火鉢や囲炉裏に入れておけば、一日中部屋を暖めてくれる。

特に、寝る前に入れると朝まで持つ。

母上、養父がそれを知ると使い始めた。すると、各部署の部屋でも使い出したのだ。

炭団はまたたく間に中根南城中で利用された。

ただ、これだけ多くの炭団を作ろうと思うと、染織職人が用意していた布海苔では足りず、母上の実家である商家に布海苔の粉末を用意させることにした。

福が母上に呼び出された部屋に戻ってくると、跪いて報告した。


「魯坊丸様。奥方様の父君であられる大喜(たいき)-嘉平(きへい)様がお出でになられ、魯坊丸様との面会を求められております。よろしいでしょうか」

「じじだど、ばぶばぶ、う゛んかぶ、ぎょがだどぎらん」(爺ぃだろ。わざわざ面会の許可などいらん)

「畏まりました。お呼び致します」


福がすぐに嘉平爺ぃを連れて戻ってきた。

嘉平爺ぃは俺に平伏して、俺に炭団の事を尋ねてきた。


「魯坊丸様。入室を許可していただいてありがとうございます」

「ばぶっぶぶぶぅ。ぶぶにばぁぶぶう」(堅苦しい挨拶はなしだ。普通にしゃべれ)

「堅苦しい挨拶は必要ないとおっしゃられております。他に誰もおりません。祖父として普通におしゃべり下さい」

「それは助かる」


嘉平爺ぃは母上の父であるが、身分が違うので公式の場では『様』を付けるのを忘れるなど許されない。だから、母上のことを祖父だが奥方様と呼ぶ。

福がここは私的な場であると言うと、嘉平爺ぃは相好(そごう)を崩した。


「魯坊丸様。この度は炭と布海苔を納品に来ました。しかし、大量の炭と布海苔をどうするのかと娘に聞けば、炭団にすると言うので、炭団の事をよく知る福に詳しく聞いたのです」

「ばぶ」(それで)

「魯坊丸様は素晴らしいものをお考えになられました。この爺は感服しました。この『橘屋(たちばなや)』に炭団を売らせていただけませんか?」

「ばぶ。ばばうべにぎがぶもだえ」(別にかまわん。母上に許可を貰え)

「娘は考えた魯坊丸様の許可を貰えと言ったので、こちらに足を運びました。いかがでしょうか。この喜平にお任せ下さい」


俺は「構わん」と言いかけて、口を閉じた。

確かに炭団で多少は暖かくなったが、この部屋はまだ寒い。

もっと火力のある薪ストーブが欲しい。

だが、薪ストーブは簡単に造れるものではない。

火事を起こさない配慮と、煙を逃す排気口の設置が面倒だ。

軽いステンレスなどないだろう。

そうなると煙突は土台から造る必要がある。

だから、俺はずっと考えていた。

この部屋を暖かくするには、何をすれば良いかと。

そして、その答えが『こたつ』と『布団』という結論に至った。

これを福に頼むのは無理だ。

母上を説得せねばと考えていたが、嘉平爺ぃは母上より都合がいいと気付いたのだ。


「じじ。ばなしがばぶ」(爺ぃ、話しがある)

「喜平様。魯坊丸様は許可するのには、条件があるようです」

「条件とは何だ?」

「ばぶぶう」(儲け話だ)

「儲け話だそうです」


儲けと聞いて、喜平爺ぃが身を乗り出した。

俺は福に通訳をしっかりしろと言ってから、『こたつ』と『布団』の内容を語った。

当然、『こたつ』と言っても電動ヒーターなど不可能だ。

四脚台の真ん中に、底の浅い火鉢を置ける穴を開け、台の四方を厚手の布で覆う程度だ。

火鉢の底から熱が伝わる構造でなければならないから、火鉢の壁はなるべく薄い方が良い。

だが、強度が足りないのは困る。

その当たりは職人の腕を信じるしかない。

喜平爺ぃがうんうんと頷いた。

次に『布団』だ。

これは割と単純であり、反物を縫い合わせて二枚の布で人がすっぽりと入れる袋状を作り、その間に羽毛か、綿を入れる。

喜平爺ぃが不思議な顔をして聞いてきた。


「それはなぜですか?」

「ばぶぼぉぶだ」(ダウンボールだ)

「えっ、えっと。だ・ウ・ぼうるで合っておりますか?」


福が訳せなかった。

こりゃ、空気の層が多いほど保温効果の『ダウンボール』が高くなると説明してもわからないだろう。

兎に角、着物を何枚も重ねるより温かくなると説明した。

福と喜平爺ぃの二人が首を捻ったが、炭団を売る許可の条件と言えば、否とは言わない。


数日後、喜平爺ぃが俺専用の寝袋状の布団が届けに来た。

まだ、綿が多く出回っていない為、大人サイズの布団を作る為の綿を買い入れるには時間が掛かるそうだ。しかし、喜平爺ぃは俺の布団を作る手間で、自分用の防寒着である法被(パッピ)を布団状にして作らせた。

思いの(ほか)、温かくて便利だという。


「魯坊丸様。布団は売れますぞ。まず熱田神宮に納めました。お試しに近くの城主に送ってやりました。すぐにたくさんの注文が舞い込むでしょう」

「ぞでとぼかだ」(そうなると良いな)

「たくさんの注文がくるとよいですねとおっしゃっておられます」

「どころで。もつどぼぶ。ばなじがばぶ。ぎぐきばぶぶ」(ところで、もっと良い話がある。聞く気はあるか)

「魯坊丸様は、もっと良い話があるそうですが、聞く気はあるかとお尋ねです」

「聞きましょう」


喜平爺ぃが商人の顔で生き生きと答えた。

俺は薪ストーブの話を念入りにした。

職人を育てることから始まるので来年に間に合うかも怪しいと喜平爺ぃに言われた。

だが、必ず造らせる。

必要経費は全部、喜平爺ぃ持ちだ。

ちなみに、こたつも今年の冬中に完成できるかさえも怪しいらしい。

そんなに難しい事を言ったか?

暖かくなったら職人の所に行って、何が問題か問い詰めてやろう。

兎も角、俺は寝袋布団を手に入れたので、この冬は生き残れそうな気がする。

俺は福に布団を火鉢の側に置いて貰った。

布団に入ると、ほんのりと温かい。

気が抜けたのか、寒さから解放されたのか、俺は気が付くと昼寝に入っていた。

寝やすかった。


魯坊丸日記 第七話 「こたつをねだる」の裏舞台


◆大喜五郎丸と織田信照◆


大喜五郎丸は熱田神宮の神職であり、大喜氏の長だった方です。

大喜村にはお城が3つあり、これを大喜三城と呼ばれていたそうです。

大喜氏は代々『五郎丸』を通称としており、長は五郎丸を名乗っておりました。

大喜田光城の側に五郎丸屋敷があったと伝わっております。


さて、織田信照の母は、熱田の楊貴妃と呼ばれるような絶世の美女であり、織田信秀が強引に拉致、妾にして産ませた子と伝わっています。

信照の母は尾張熱田の商家である中根七郎左衛門康友の娘と伝わり、信照は中根忠貞の養子となったとあります。

しかし、この中根忠貞は、父の忠良の代に、今川氏と松平氏の圧力を受けて自立を維持できず、初め今川氏に属し後に織田氏に属した。

その子忠貞の時代に織田氏を離れ、松平(徳川)に属したと記録されているのです。

時期と歴史背景を考察すると、父の忠良の代は三河に住み、忠貞の代では尾張に住んでいないと整合性が取れないのです。

なぜなら、三河の中根家の領地は岡崎の東側にあり、岡崎の松平広忠が織田家に屈して竹千代を人質に差し出した時期以外は、今川方の影響が強い場所なのです。

〔八代目中根肥後守忠良の代は、道根六郷(箱柳・坂田・田口・小呂・岩谷・中畑)を支配したと記録されている〕

そして、家康は三方ヶ原の戦いで敗北し、中根正照(正秋)は戦死します。その正照(正秋)には子供がいなかったので、家康は織田信秀(信長の父)の十男織田信照を中根家の養子としたとあります。(中根正照(正秋)は中根正信(忠良)の弟である)

そうすると、信照が中根南城の城主になっていたのはいつだったのでしょうか?

信長が本能寺の変で亡くなった後、秀吉の敗れ、織田信雄の家臣となって沓掛城の城主となっているので、それ以前ではなければなりません。

家康の家臣が中根南城を治めていたのでしょうか?

不思議な事になります。


これの謎を解決するのは、単純な推理が必要です。


尾張の中根忠良と三河の中根忠良は別人であった。

時代は少し遡りますが、(くじ)引き将軍の足利義教の代で幕府執権の伊勢貞経とその子貞行は、三河守護の細川(ほそかわ)-成之(しげゆき)の力を削ぐ為に、松平(まつだいら)-親忠(ちかただ)の代で西三河に進出し、当然のように中根家とも争った訳です。

しかし、勢力を伸ばす松平家の前に軍門を下して臣従するようになります。

当然ですが、反発して滅ぼされたり、城を奪われた中根家の者もおり、松平家と対立する織田家に仕官する者もいたでしょう。

織田家から見て、中根家の者を召し抱えることで西三河の道根六郷(箱柳・坂田・田口・小呂・岩谷・中畑)を取り戻す為に進出する大義名分となります。

その先兵として、織田方の東に位置する中根南城の城主に据えるのも当然だったのです。


次に、熱田商人の中根七郎左衛門康友の娘とありますが、織田信照が中根家に養子に入った後に中根家の名を貰ったと考える方が妥当でしょう。

しかし、何の縁もない商人の娘の子が中根家を継ぐのも不自然なのです。


小説では、織田信秀に仕えていた中根七郎左衛門康友の娘が商家に嫁ぎ、その娘が楊貴妃のように美しい娘だったので、信秀のお手つきとなり、中根南城の城主にしていた中根忠貞に母ごと一緒に預けたという設定になったのです。


大喜五郎丸の縁者としてのは、中根南城から西に三kmの所に大喜東北城(五郎丸屋敷)があったからです。

これだけ近くに古くから熱田の神官を務める名家があるのです。

大喜氏の血筋ならば、村上一族も従うでしょう。


こうして、


◆織田信照(魯坊丸)の家系図

父:織田信秀

母:大喜嘉平の娘(熱田の楊貴妃と呼ばれる美女)

養父:中根忠良(松平(まつだいら)-清康(きよやす)の代に三河を追い出された中根家の本流の一家)

養父の父:故中根忠益(清康に三河を追い出され、信秀を頼った中根家の当主であり、熱田を支配した後に中根南城の城主となる)

母方の祖父:大喜嘉平(大喜五郎丸の縁者の熱田商人)橘屋の主人

母方の祖母:大喜嘉平の妻で中根七郎左衛門康友の娘(中根忠貞とは同族)

義理の兄:中根忠貞(信照が忠貞の弟であった家系図を採用)


という設定にしております。


※大喜東北城(別名、五郎丸屋敷):名古屋市瑞穂区豊岡通1丁目

※大喜田光城:名古屋市瑞穂区白竜町1丁目

※中根家の家系図

【中根】(正持)忠雄……(系不詳)……忠益──(正行?)忠良─(正信?)忠貞

忠良の嫡男:(正信?)忠貞

〃 次男(養子):(正照)正秋〔養子として織田信照(正信・忠實)〕

〃 三男:某(幼名喜蔵)

〃 四男:正澄(幼名新左衛門)

〃 五男:某(幼名市之助)

〃 六男:某(幼名新平)

※大喜嘉平:十九世紀の名古屋商人に橘屋(たちばなや)-喜兵衛(きへい)がおり、それを捩った。故に、店の屋号は『橘屋』である。

大喜氏:守部氏は「守部」を氏の名とする氏族。姓は宿禰。守部宿禰は、尾張氏の族にして同祖である。尾張国の熱田神宮大内人家であり、同社社家の大喜たいきに同じとある。

漢字を調べると、大喜は『だいき、だいぎ、たいき』と様々あるが、守部氏に習って、『たいき』と統一する。


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