八夜 熱田神宮へのお出掛け
〔天文十七年 (一五四八年)春三月三日〕
朝が早かったからか、山を降りた頃には眠っていた。
目が覚めると布団に寝かされていた。
障子を開いたままで隣の部屋から侍女長とさくらの話声が聞こえた。
「では、侍女長は政務の家臣に税務の手解きをしておられるのですか?」
「そうよ。私って、優秀だから」
「千代女様も侍女長を高く評価しておりました」
「当然よ。奥方様が実力主義だったので、教養で古参の侍女らを押しのけて、魯坊丸様の侍女を勝ち取ったのよ。魯坊丸様の侍女に無能はいないのぉ」
「なるほど」
「さくらは特別なのだから、頑張って追い付きなさい」
「はい」
母上は神事好きで商家の出だから、古式伝来を重んじる侍女を好むが、古いだけで教養が低い者を遠ざけた。
俺の侍女は和歌や源氏物語などの書物を好む者で固められている。
「でも、どうして侍女が政務の役人の世話をしなきゃいけないのよ。侍女の仕事じゃないわ」
「侍女の仕事とはどういうものなのでしょうか?」
「魯坊丸様の成長を見守り、『あんよがじょうず』と褒めてあげるとか、ご本を読んで差し上げるのが仕事よ。一緒に昼寝ができる最高の職場と思っていたのに…………」
「どうされましたか?」
「忙し過ぎるのよ。魯坊丸様の世話は当然だけど、写本に、政務、小姓擬きの世話まで、私は何をしているのかしら?」
侍女長の苦情もわかる。
写本、財務、建築、苦情係などを侍女に手伝わせている。
俺がいなければ、侍女に問い合わせる。
無能なら「わかりません」の一言だが、無能だと母上に排除されるから無能でいる訳にはいかない。
俺が生まれた頃は女中に俺を押し付けて怠業を決め込んでいたが、今は俺が仕事を次々と振ってゆく上に、留守の間は質問や相談が殺到して大変らしい。
半分以上は、定季が処理しているらしいが、定季もずっと城にいる訳もなく、当然のように侍女らが対応せねばならない。
「昨日は、ずいぶんと親身に説明していたように見受けましたが違いましたか?」
「さくらは目がいいのね」
「やはり、お仕事が好きなのですね」
「違うわよ。彼は去年から城に勤めている新人よ。年は私より三つ下だけど、この城の家老のご子息よ。私より後で入ってきた侍女が、次席家老の嫡男に嫁いだとか、ちょ~悔しいじゃない。私も玉の輿に乗りたいのぉ。今、いい感じなんだから、邪魔しないでよ」
「もちろんであります」
玉の輿って何だ?
俺の侍女って、そんなことを考えながら仕事をしていたのか?
まぁ、動機なんてどうでもいいか。
「でも、疲れているのよ。お休みがほしい」
「月に一度、お休みがあると言われていたと思いますが違うのですか?」
「実家に帰ると質問責めで休みにならないの。魯坊丸様を恨むわ」
「もしや叛旗を考えているのですか? このさくら、魯坊丸様を守る為にきていますので、叛旗は見過ごせません」
「冗談は止して。見た目は子供だけど、中身は熱田明神様よ。逆らった天罰が下るのよ。恐ろしくてできないわ。冗談でもそんな馬鹿なことは言わないよ」
「魯坊丸様はホントに熱田明神様なのですか?」
「本物よ。水は吸い上げる。夏に氷を作られる。気分次第で雷を落とされる。そのうち、さくらも見ることになるわ」
「なるほど。それは楽しみです」
「さくらはいい度胸しているわね」
「お褒めいただいてありがとうございます」
侍女長とさくらの会話がかみ合っていない気がした。
侍女らは俺を恐れて従っていたのか。
参考になるな。
しばらくすると、お昼の御膳を持ってきたので昼食を食べる。
今日も午前の仕事は定季が肩代わりしてくれていた。
だが、俺への採決がいる案件は俺でないとできない。
また、集まってきた質問書に目を通す。
一通り終わると、義理兄上の忠貞と定季に中根と八事を任せて、二泊三日で熱田神宮に出発だ。
お供に午前中は定季の手伝いをしていた良勝らが紙と筆を持って同行する。
俺が言った一言一句を書き残す為だ。
これまでは記憶力の凄い侍女がすべてをあとで書き残してくれたが、その侍女がいなくなったので、良勝ら総勢六人で書き綴ることになっていた。
良勝が馬に乗っている俺の横を歩きながら聞いてきた。
「今日は五郎丸殿の酒造所は寄らないのですか?」
「ほとんど熱田の酒造所に移動を終えた。残っているのは最低の人数だけだ。酒が完成する前に覗きにゆくが、しばらく行く理由がない」
「なるほど。五郎丸殿の酒造所は五郎丸殿に任せると」
声を出しながら、帳面にツラツラを書いていた。
「ところで、今朝の『はらったま』とは何ですか? 聞いたことがないのですが」
「祓い言葉を適当に言っただけだ。忘れろ」
「忘れる訳にはいきません。ですが、『特に意味はなし』と捕捉しておきます」
「その状況を察してくれないのか」
「魯坊丸様の言葉は難し過ぎです。一つ一つ確認しないとわからなくなるのです」
「お前らは面倒な奴だな」
「それはこちらの言い分です。純利益、粗利益、純資産、運用資産とか、すべて儲けなのに用途がすべて違うとか、意味がわかりません。『はらったま』にも特別な意味があるのかと考えるのは当然です」
「お前、本当に定季の息子か。融通が利かな過ぎるぞ」
数え七歳とは思えないほど優秀なのだが、子供と思えないほど細かい所に拘る性格だ。
定季が全部飲み込んでから一気に吐き出して正論をいうのに対して、良勝は正論を吐かなし、俺のすることに異論も言わないが、いつも重箱の隅を突いてくる。
田子荘の大喜東北城で休憩を入れると、あとは熱田神宮まで一気に進んだ。
二台の手押し『大八車』(幅2尺5寸、76cm)が街道ですれ違える程度に整備もずいぶんと整った。
熱田神宮に向かう街道の北側を抜け、神宮の参道に入ると賑やかさが一段と増した。
道の広さも倍に広がる。
西鳥居を素通りし、桑名へ向かう『七里の渡し』へ繋がる道を歩いてゆく。
熱田神宮の大外を回るように東に曲がり、第一鳥居(南門)がある大手口から船着き場のある南へと道は下ってゆく。
俺らは曲がらずに真っ直ぐ進み、少し進んだ所で北に上がり、春敲門(東門)を出た近くの千秋屋敷を目指した。
熱田神宮の拠点は千秋屋敷であり、熱田神宮まで一里半 (6km)の道のりを終えて到着すると、千秋季忠が出迎えてくれた。
「魯坊丸様。お待ちしておりました」
千秋季忠が俺を上機嫌で迎えてくれた。