プロローグ
〔天文十七年 (一五四八年)春二月中旬〕
俺は生まれた年の最初の寒さに耐えきれず、死にたくないので“炭団”を作らせた。
不衛生が嫌なので石鹸を作り、消毒液の竹酢液も作らせた。
色々と作っていると熱田神宮の大宮司であった千秋季光に熱田明神の生まれ代わりに持ち上げられ、醤油、豆腐、うどん、ピザなどを作りたいという食欲に負けて引き受けた
だが、親父である織田信秀が美濃で大敗して季光が亡くなると、息子の季忠が俺を頼ったので、俺は熱田神宮の神官となった。
熱田神宮には乱世の煽りで多くの流民が集まり、死に掛けている子供らを見掛け、すべてを無視して見捨てるほど、俺も残酷になれず、酒を作って儲ける案を考えた。
少しずつ酒造所の規模を大きくして、少しずつ流民らを助けてゆくつもりだったが、新しい酒が帝の手に渡り、いたく気にいって大量の酒の注文が舞い込んだ。
大量の酒を造る為に多くの酒蔵を建て、流民らを根こそぎ雇い込んだが、三千貫文(三億六千万円)という銭が掛かる。
俺の手元にそんな銭がある訳もない。
御用商人も持ち合わせがなく、熱田神宮に用意できない金額ではないが、織田家の為に「寄進しろ」あるいは「投資しろ」という命令は心証を悪くする。
そこで酒の注文を受けた親父にねだり、俺は親父と面談して三千貫文を手に入れた。
そんな面談から三日後のことであった。
中根南城に岩室-宗順という者を名代として送ってきた。
宗順は俺と対面すると、こう聞いてきた。
「お初にお目もじいたします。某は岩室-宗順と申します。大殿のお側に仕えさせていただいております。この度は、魯坊丸様の身の周りが手薄と聞き、護衛を撰びに参りました」
「俺に護衛ですか?」
「城の兵、側近などが魯坊丸様をお守りしているでしょうが、それでは目の届かないところがございます。それを補うのが某の仕事でございます」
「目の届かないところとは?」
「某は甲賀の出身でございますれば、色々な知識と技を習得しております」
「忍びですか?」
「志能便とは、また古風な名称をご存じでございますな。噂通りというところですか」
忍びキタ!
宗順は親父の忍びだよ。
そうか、そうだよな。召し抱えていておかしくない。
ちょっと興奮した。
「魯坊丸様はどのような忍びをご希望でしょうか?」
どのような・・・・・・・・・・・・?
そう聞かれると悩んでします。
有名な忍びなら、『猿飛-佐助』、『霧隠-才蔵』だが、名を上げて手に入る訳もない。
そもそも実在の人物かも怪しい。
武田の『三ツ者』、上杉の『軒猿』は実在するが手が出せない。
というか、「下さい」と言ってくれる訳もない。
真田-幸村の真田忍者は存在するだろうが、どこに行けば手に入るのかがわかない。
もう武田家に仕官したのだろうか?
武田・・・・・・・・・・・・そうだ。武田と言えば『歩き巫女』だ。
確か、『歩き巫女』が登場したのは戦国後期であり、望月-千代女の夫が戦死してから巫女を育てる棟梁になったとか、だったよね。
桶狭間の戦い以前、親父の信秀が生きている時代ではない。
「望月-千代女が欲しい」
「はぁ?」
「望月-千代女だ」
「確かに甲賀に望月家はございますが、千代女という者の名は知りません」
「望月家は甲賀にあるのか?」
「望月-出雲守殿とは面識がございます。聞くくらいはできると思います」
「居なければ諦める。探してきてくれ」
「少々、予定と違いましたので、大殿と相談の後に返事をさせていただきます」
そう言って宗順が帰っていった。
宗順が帰ったあとに、俺に習字を教えてくれている師匠岡本-定季が言った。
「宗順殿も慌てたでしょう」
「何故だ?」
「どのようなしのびを所望かと聞かれましたが、すべてに精通する年配者がよいか、話し相手になる若手がよいか、あるいは、女性の方が使い勝手がよいか、その辺りの目安をお聞きになったと思います」
「そうなのか?」
「欲しい者の名を言われるとは、魯坊丸様は相変わらず、斜め上を行かれますな。あははは」
「笑い事じゃないぞ」
「これで本当に千代女なる者がいれば、大殿もびっくりされる。その顔を思い浮かべるだけで笑わずにいられません」
定季は千代女がいてもいなくてもいい感じで笑った。
笑い事じゃない。
千代女はもう嫁いでいるかもしれない。
期待しないで待っておこう。