五十五夜 魯坊丸、清酒の注文をもらってびっくりする
〔天文十七年 (一五四八年)春正月〕
村のサイクルは日も明けない薄暗闇の頃に起き出す。
それから畑の見回りなどそれぞれの作業を終えた頃に朝食となり、日が昇った頃には仕事が始まっており、お昼を過ぎた未の刻 (午後2~3時)に夕食となり、そのあとは農作業以外の仕事をする。
食事は一日二食が普通であり、夜番の者などは夜食が出る。
城の作業をする者は昼に握り飯が出されるが、夕方まで作業が続き、農作業をする者らと微妙にサイクルが違う。
子供らはお昼前に勉強が終わると、炊き出しの昼食が与えられる。
それから家の手伝いなどをして、夕食が終わると自由時間だ。
抱っこ紐(吊り紐)を使った投石や、山で木の実などを採取に出掛ける者や、俺の手伝いをする者などに分かれる。
日が暮れる頃、投石が上手だった者や俺の手伝いをした者には、蒸かしパンや餅をもらえるので、子供らの手伝いに自然と集まってくる。
力がある者、手先が器用な者、勉学が上手な者、武芸が達者な者などと得意はそれぞれ違うが、手伝いを欲しがっている部署に振り分けてゆく。
作業監督から『よく出来ました』の花丸をもらえると、パンや餅が二つになるので真剣に手伝っているみたいだ。
俺らは作業監督らから報告を聞く為に夕食の時間がさらに後ろになり、日の入り後の酉の刻 (午後5~7時)になってしまう。
家臣や小者であっても作業監督になると、隣の部屋で食事が出される。
しかも中根家と同じ食事を食べることができる。
河原者らが猪や鹿を捕ってくると、トンカツなどのボリュームのある食事を食べられるので作業監督を目指す者が多い。
今日の猪トンカツを美味そうに食べているのを見て、まだ食べられない俺が無償に腹が立つ。
俺が教えているのに食べられないとは理不尽だ。
早く白い飯を食べたい。
唐揚げ、ピザ、カレーなどなど、食べてみたいレシピばかりが増えていた。
もうおじやは食べ飽きた。
村人にしろ、河原者にしろ、まず俺は手伝いとして雇う。
日当は食事のみの現物支給だ。
仕事ができるようになると作業員 (下人)として衣食住付き日当三文で召し抱える。
安いか高いかは知らん。
そこから下・中・上の作業員の格を上げて頭となり、家臣扱いに格上げされる。
頭の上に組頭があり、組頭の上が棟梁になる。
作業別に現場監督が頭から選ばれる。
少数で行う作業なら、組頭になっていない者が現場監督になる場合もある。
だが、そういう場合は特殊なのだ。
主に、作業員は土木工事と兵士として扱えるように鍛えている。
作業監督になると俺の授業を受けることになり、読みか算盤ができるのが必須となる。
福に変わって助手となった良勝らは強制参加だ。
故に、現場監督は俺の名代であり、領主であっても命令はできないとした。
領主らはかなり不評だが、文句は一切受け付けない。
この組織とは別に職人組織も固めている。
鍛冶職人、大工職人、細工師職人、工具職人、酒造り職人、薬作り職人、麻職人、織物職人、罠・屠殺職人、皮職人、水あめ職人、味噌職人等々である。
こちらは必ずしも読みか算盤を覚える必要はない。
才能がある者は作業員から職人の手伝いをさせて、筋の良い者は職人見習いへ変更する。
専門の職人の方が手当も厚い。
少しずつ組織化が進み始めていた。
夕食の席で報告を聞き、加藤家から大量の模型注文を受けたことを告げて、大工見習いらに作業させるように命令した。
庭師が「良き練習となるでしょう」と呟いた。
俺もそう思う。
同じものでも数多く作ると技術力が上がる。
彼らの造船の基礎知識を教え、才能があるようなら船大工へとジョブチェンジしてもらうつもりだ。
大工は図形が読めないと話にならないので読み書きに問題ないが、三次元応力解析まで覚えられるかが問題だ。
まぁ、その前に二次関数で躓きそうな気がする。
誰も居なければ、子供から撰んで育て上げる必要になる。
食事を終えて、色々と考え込んでいると、侍女の一人が居間に慌てて入ってきた。
「魯坊丸様。五郎丸殿が急な用件で起こしになりました」
「こ、こ、に、と、お、せ」(ここに通せ)
「畏まりました」
側用人や作業監督らはまだガツガツと食事の最中だが、養父や母上らも食事を終えているので、広間に移動する必要もないだろう。
入ってきた五郎丸の青い顔をしていた。
あの図太い五郎丸が青ざめているだと?
俺は急に不安になってきた。
「魯坊丸様。大殿より酒の注文を頂きました」
「そ、れ、ふぁ、よ、ろ、こ、ぶぁ、し、い、こ、と、だ、な」(それは喜ばしいことだな)
「その通りでございます。ですが、問題は納入する先と、その量が問題なのでございます」
事のはじまりは先月に遡る。
俺が神事で忙しい頃に、五郎丸は親父から残っている酒をすべて持ってこいと命令を受けて納品した。親父の納品先が朝廷だった。
先月、山科言継が尾張を訪ねてきて、親父は清酒を振る舞った。
それが気に入った言継は、それを土産として持ち帰って帝に献上したという。
帝がそれを気に入って、正月の席で使いたいと言い出した。
親父が五郎丸から仕入れて朝廷に献上し、帝が正月の席で親父の献上した酒を褒めた。
「言継。良き酒であった」
「誠に良き酒を造りだしました」
「織田-三河守の朝廷への貢献は群を抜いておるな。朕が感謝しておると伝えてくれ」
「お伝え致しましょう」
親父は帝からお褒めの言葉を賜ったのだ。
親父は上機嫌。
天にも昇る気分だ。
ここで終われば、良い話だった。
最大のコマーシャルだった。
帝が気に入ったと酒を欲する公家らが続出し、七月の『氷の節句』に皆に振る舞いたいという希望を言継が寄せてきた。
その言継の使者に親父が「お任せください」と返事を返してしまった。
夏まで半年もあり、余裕で準備できると言継と親父は考えた。
せめて五郎丸に相談して欲しかった。
「魯坊丸様。どういたしましょう。あれは偶然にできた逸品であり、同じモノとなると…………」
「あ、わ、て、る、な」(慌てるな)
「ですが、来年までに同じような酒ができるように研鑽する予定であり、半年後となりますと」
「わ、か、つ、て、い、る」(わかっている)
「数量もとてつもなく、かなりの量となります」
商魂逞しい言継は、帝のお気に入りの酒だと、公家や従者、献金した武士や町人にも振る舞おうという計画を立てた。
秋の儀式にいる費用をそこで稼ぎだそうと企んでいるのだろう。
親父に清酒を納品させ、それを元手に二倍、十倍以上に膨らませるつもりだ。
今更、できませんとは言えない状況になっている…………らしい。
笑えない冗談だ。
試飲用の酒は二つの蔵で造っていたが、もう一つの蔵の十桶はすべて失敗に終わっていた。
成功したのは、二十分の一である。
酢にするとか蒸留用に転用できるので採算的にも問題ないが、清酒ができる確率は非常に低い。
成功した酒の種麹を保管しているので、次は間違いなく酒ができる。
酒が造れるが、味は保証できない。
これからあの味の再現をするつもりだった。
俺の予想では、麹室で作る麹のデキが成功を左右している。
麹室での温度と湿度を管理することは不可能だが、何らかの方法で目安と作るつもりだった。
つまり、酒母つくりと仕込みの作業マニュアル作りもこれからだったのだ。
手探りで半年後に完成させるなど、無理ゲーである。
無理ゲーだが、奇跡を信じてつくるしかない。
「ご、ろ、う、ま、る。ぜ、い、ふぁ、あ、る、か」(五郎丸。銭にはあるか)
「如何ほどでしょうか?」
「あ、つ、た、の、さ、か、ぐ、ら、を、す、べ、て、た、て、る」(熱田の酒蔵をすべて建てる)
「熱田の酒蔵…………まさか、千秋家から借りた土地のすべてに酒蔵を建てるつもりですか」
「そ、う、だ。ひ、と、つ、き、で、た、て。ご、か、げ、つ、で、つ、く、れ、る、だ、け、の、さ、け、を、つ、く。る」(そうだ。一月で建て、五ヵ月で造るだけの酒を造る)
成功率が二十分の一と仮定するなら、酒蔵を二十倍建てればよい。
どうせ、まだマニュアルない。
一つの酒蔵に二人の職人を付けて、熱田神宮の森にいたすべて流民を雇って作業にあたらせる。
建てるのにも、宮大工だろうと、隣村の大工だろうと関係ない。
熱田にいる大工という大工を総動員して建ててしまう。
無理でもする。
帝にできませんでしたと報告し、親父に恥をかかせたらどうなる。
「みなのもの。きけ」(皆の者、聞け)
俺がそう声を荒らげると、義理兄上が同じように声を上げて、皆に呼び掛けてくれた。
「な、か、ね、け、の、さ、ぎ、よ、う、ふぁ、す、べ、て、ち、ゆ、う、し、だ。さ、け、つ、く、り、に、ぜ、ん、り、よ、く、を、そ、そ、ぐ」(中根家の作業はすべて中止だ。酒造りに全力を注ぐ)
「魯坊丸様。すべて中止とは?」
「春の作付けに間に合わなくなります」
「こちらも同じく」
「待て、待て、待て、お上が関わることだ。中根家の作業どころではない」
「何故ですか」
暢気な奴らだと思ったが、武士はそうでもないようだ。
事の重大がわかっている。
親父が朝廷から恥をかかされて俺が無事な訳もない。
俺は定季から習字の他に武士の作法も習わされている。
切腹の仕方とかだ。
痛いのは嫌なので「俺はやらないぞ」というと、定季は首を振って否定した。
先日亡くなった平針の前当主の背中に血の跡があったという。
一度、先代の家臣に殺されてから切腹したように装ったのだという。
当主が恥をかくくらいなら殺して恥をかかないようにする。
それが家臣らの務めだ。
俺が逃げ出しても、家臣らに取り押さえられて殺される。
同じ死ぬなら潔い方がよいと教わったのだ。
俺は嫌だ。
絶対にそんなことにならないようにすると、心に決めていた。
それなのに、この状況だ。
神はいないのか。
「み、か、ど、に、ふぁ、じ、を、か、か、せ、た、お、れ、の、く、び、ふぁ、と、ぶ。お、れ、を、ま、も、れ、な、か、つ、た、お、も、え、ら、の、く、び、も、と、ぶ、ぞ」(帝に恥をかかせた俺の首は飛ぶ。俺を守れなかったお前らの首も飛ぶぞ)
「魯坊丸の言った通りだ。恐れ多くも帝に恥をかかせて只で済む訳がない。ここにいる者は一連託生だ。魯坊丸に腹を切らして、我らも生き恥をさらすつもりはない。そして、お前らも同じだ」
村人や河原者の出身の者はそんなことにさせないと憤慨し、職人らは慌てふためき、武士の家臣らは是非もなしという感じで顔を歪める。
五郎丸もわかっておりますという感じで項垂れている。
熱田の酒として売り出しており、熱田神宮の首脳部の責任も問われるので、この総動員に反対する者はいまい。
しかし、職人や作業員を無償で働かせる訳にもいかない。
そんなことをしても士気が続かない。
掛かる費用を試算し、その予算をどこからか捻出する。
まず、いくら掛かるかだ。
五年から十年ほど掛けて開発するつもりだった酒造所を一月で建てる。
無茶は承知だ。
天国から地獄へ真っ逆さまだ。
魯坊丸日記 第五十五話 「清酒の注文をもらってびっくりする」の裏舞台
ピンチは最大のチャンスといいますが、魯坊丸にとって最初の難関が襲い掛かりました。
織田信秀のミスですが、当主が失敗を認める訳もありません。
無理難題で潰れていった家臣の多いこと。
魯坊丸はこれを乗り切らないと先がありません。
逆に言いますと、10年先の未来を半年後に縮めてしまう事件が起きたのです。
競馬で例えるならば、サイレンススズカが馬群を抜いて飛び出した所です。
このまま二十馬身をつけてゴールに入るが、足がポッキリと折れて終わるのか?
そんな瀬戸際になったのです。