五十三夜 魯坊丸、三歳になる
〔天文十七年 (一五四八年)春正月〕
魯坊丸、三歳となりました。
念の為に言いますが数えの三歳で、発音がはっきりして、ジャンプができる程度の正味一年九ヵ月です。
今年から神宮でお泊まりとか罰ゲームですか。
座っているだけですけどね。
なが~~~~~~い祝詞を聞いていると、子守唄のように眠気が襲ってきた。
「魯坊丸様。寝てはいけません。こんなところで寝れば、風邪を引きます」
わかっているけど、眠たいんだよ。
神事に強制参加とか、鬼ですか。鬼ですか。鬼ですよね。
せめて俺の睡眠サイクルで神事を進めてくれ。
師走から正月までの怒濤の神事を終えて、中根南城に戻ると母上が拗ねていた。
「魯坊丸、どうして母を招待してくれないのですか?」
「む、り、で、す」(無理です)
「忠良様もこんなに情けない方と思いませんでした」
「そ、の、か、ら、だ、で、そ、と、に、で、る、の、は、む、り、で、す」(その体で外にでるのは無理です)
「気合いで何とかなります」
出産して一月だ。
体力が落ちている母上が、寒い中で神事を長時間見るのは危険だ。
皆で強引に止めた。
養父が残り、義理兄上が付添人となった。
中根南城の暖かさとは雲泥の差だった。
城には暖房が効く部屋がいくつもあるが、神宮は火鉢のみで耐えることになる。
俺も雪ダルマと見違えるような厚着の上に祭事の礼服を着て、急遽作らせた湯たんぽで凌いだ。
俺は極寒の寒さに震えながら、風邪を引かずに乗り切った。
拷問だよ。
神事の後に宴会があり、挨拶だけでも面倒だった。
清い酒なので清酒と名付けた試飲も忘れない。
これがなければ、逃げ出していたよ。
そう言えば、駿河から京に戻る途中、尾張を立ち寄った山科-言継が俺に会いたがっていたとか、公家とか冗談じゃない。
会えなくてよかったと思う。
他にたくさんの方々とあったので、尾張とその周辺の情報も多く入った。
しかし、それをまとめる時間はなく、神宮も師走を走り、正月を乗り切ったのだ。
やっと戻ってきた第一声が「どうして母を招待してくれないのですか?」ですか。
報われないな。
さて、やっと落ち着いたので情報を整理しよう。
織田弾正忠家の状況は変わっていない。
尾張は清須の織田大和守家が反抗したままで睨み合いが続いている。
まさか尾張守護を人質のように監禁するとは、親父も考えていなかったらしい。
清須を力攻めで守護に何かあれば、親父は主殺しとなり、今まで積んできた徳が一気に崩壊してしまう。
まず、守護を取り戻すことが重要となっていた。
三河も現状維持だ。
西三河をほぼ掌握したのだが、肝心の吉良家が織田方に寝返ってくれない。
理由は、今川家の反撃が凄いからだ。
渥美の戸田家を味方にできたが、すぐに今川は東三河に兵を差し向け、一時は戸田の居城である田原城付近まで兵を進めた。
二連木城の兵が退路を断つ素振りを見せたので兵を引いたが、今川方の存在を大きくアピールすることに成功した。
三河湾の制海権を織田家が握っているが、三河中央に位置する上ノ郷城の今川家臣鵜殿-長持が陸路を確保している限り、吉良家も簡単に寝返る訳もない。
上ノ郷城から今橋城を今川から奪う為に、親父は北条に挟撃の誘いの手紙をせっせと送っているらしい。
巧く進めば良いのだが、俺の予想は宜しくない。
ノンビリとゴロゴロするぞ。
と思っていると、遅れて正月の挨拶がはじまった。
正月の挨拶は終わりではないらしい。
周辺の大領主らと挨拶は終わっていたが、中根と八事の小領主らとまだなのだ。
八事の領主の中には、俺と会うのがはじめの者もいる。
今年は色々と無理を言うつもりなので心証を悪くする訳にもいかない。
それが終わっても溜まった質問ラッシュだ。
色々と相談できなかったことが溜まっていたから、質問が途切れない。
ノー!
正月から朝寝、昼寝、夕寝の休憩時間こそ確保されているけど、自由時間はなしです。
幼児虐待だ。
児童相談所に訴えヤル。
ないのはわかっているけど…………ぶつぶつ?
まだ、終わらないのか。
千秋家とか、岡本家とか、大物とは挨拶が終わったと思っていた。
でも、来ました。
平針城城主の図書助 (加藤-順盛)と羽城城主の勘三郎 (加藤-延隆)を筆頭に、平針家老一同と加藤家の主だった者らが…………あっ、忘れていた。
忘れていたというより、忘れていたかった。
正月に福が成田家の嫁いだ為に、この両家は熱田神宮の神事と正月の宴会をパスしていたのだ。
俺から福をとった張本人だ。
俺の支持者でもあるので笑顔を絶やさないようにと思うのだが、割り切れないものもある。
図書助が福を褒めれば褒めるほど、俺は言葉が少なくなっていった。
俺と図書助の挨拶に微妙な空気が漂った。
「魯坊丸様。顔色が悪そうに見えますが、何か、ございましたか?」
「な、に、も、な、い」(何もない)
「そうでございますか?」
「…………」
「図書助、長い。長すぎる。さっさと代われ!」
その微妙な空気を読まず、勘三郎が図書助を怒鳴りつけた。
強引に襟をとって後ろに下げると、勘三郎が前に寄せる。
寄せてくる。
俺の後ろの護衛らが思わず、刀に手を掛けるほど近付いてきた。
「魯坊丸様。あの美しい船は何でございます。見た事もない形ですが、その雄大さ、その曲線美はこの世のモノではございません」
「な、ん、ば、ん、せ、ん、だ」(南蛮船だ)
「南蛮船? 某も南蛮船の絵を取り寄せましたが、ずんぐりむっくりで美しくありません。確かに、関船より丈夫そうですが、乗りたいとは思いませんでした」
「そ、う、か。き、に、い、つ、て、く、れ、て、う、れ、し、い」(そうか。気に入ってくれてうれしい)
「魯坊丸様。あの美しい船を造りましょう。銭はいくら掛かってもかまいません」
そこから勘三郎の独断場であり、帆船の美しさに魅了された勘三郎が帆船を褒めまくる。
俺は竜骨の説明をさせられ、外海のでる為の強度を説明し、七つの海の話をすれば、帆船に乗って世界を巡るとか言っている。
勘三郎の中では、もう建造することは決定らしい。
そこで羽城の勘定奉行職から俺に質問が飛びだした。
予算を聞かれても知らん。
勘三郎が勘定奉行を怒鳴りつけた。
だが、引かない。
そこに図書助も参戦し、両家に建造費を捻出させる話へと移っていった。
図書助が勘三郎の暴走を止める。
絶対に建造するという勘三郎と大喧嘩だ。
最年長が暴走とか、止める者が止まらないから厄介だね。
正月の挨拶はどこかに消えてしまった。
魯坊丸日記 第五十三話 「三歳になる」の裏舞台
帆船の構造を知り尽くしている魯坊丸ですが、帆船を造ったことはありません。
模型と実物は違います。
その隙間を埋める為に、多額の銭が投入されて、何度も試行錯誤の建造がここからはじまります。
銭が泡のように消えてゆきます。
その過程で、新型の三百石船とかが生まれ、日本の海洋技術が進化します。
主に「ジャイロコンパス」と「六分儀」が開発され、天測航法の一般化が進みます。
西洋から学ぶはずの過程が省略された訳です。
ただ、それを支えたのは、当時の日本人の知的水準が高かったからです。
同時代のアフリカや東南アジアの職人では作れなかったでしょう。
国単位での知的水準の平均が重要なのです。
そういう意味で中国や西洋は可能です。
念の為にいうと、アフリカや東南アジアを馬鹿にしている訳ではありません。
そんな技術を必要としないほど恵まれた土地で育っていた。
田畑を育てなくとも、勝手に実るようならば、育てる技術は育ちません。
争うが少なければ、戦う技術も生まれません。
楽園に知的な技術も知識も必要ないのです。
そういう意味で生まれた国が重要だったというのが、1つのテーマでした。