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五十二夜 魯坊丸、試飲会をひらく

〔天文十六年 (一五四七年)冬十二月初旬〕

福が嫁ぐ準備の為に中根南城を去っていった。

早朝に起こしにきたのも福ではない。

ふっくらした癒やし系の福はもういないと思うとちょっと寂しい。

婚姻を祝う気持ちなどまったくない。

だが、俺が福の後ろ盾と誰もがわかような品を贈ってやる。

それはボトルシップだ。

透明なガラスが手に入らないので船の部分のみになるが、誰もが魅了された世界で最も美しい帆船と称される『カティ・サーク』を贈るのだ。

ボトルシップは俺の趣味だったので設計図はすべて頭に入っている。

あとは手先の器用な庭師に頑張ってもらう。

ここ数日、朝から庭師にああだこうだといいながら材料の木を削ってもらった。

一つのパーツが完成すると、それを模倣して量産してもらう。

弟子が十人ほどいるので間に合うだろう。

帆の部分は侍女と女中に頼んでいる。

福なら「はい」の一言なのに、他の侍女らは「こんなのは自分らの仕事ではないとか」と文句が多い。

今日も色々と指示を出している内に良勝が迎えにきた。


「魯坊丸様。酒蔵に向かう時間となりました」


ヤバい、今日は朝寝を忘れていた。

今日は侍女らに「さっさとやれ」と叱っていたからか、侍女らも完全に忘れていたようだ。

馬に乗ると眠気が襲われた。

幸い、俺の鞍と鐙は特注であり、足の根元をベルトで固定するので落ちる心配だけはない。

馬上で船を漕ぎながら山崎川を遡った上流の酒蔵を目指した。


大五郎が酒蔵を建てていたのが幸いし、杜氏らしき者もいた。

五郎丸らは『酒師』と呼んでいるが、似たような者だ。

熱田神宮も神に供える酒を神官が造っており、酒を造る神官を酒神官という。

寺で造っている者は酒坊主かな?

元々は貴族や神社仏閣が独占していたが、戦乱で彼らにも被害が出て、その技術が流出したことで、惣が職人を抱えて『酒師』が誕生した。

この酒師が杜氏か酒職人かは微妙なのだが、それはどうでもいいだろう。

そんな連中を集めて、五郎丸は酒蔵をいくつか建てていた。

神宮主導で造るより、大喜屋として造った方が利益になるからだ。

それが俺にとって幸いだった。

杜氏としてのプライドとは縁遠い連中だったからだ。

俺が本物の酒造りを教えてやると言えば、素直に従ってくれた。

これが酒に関する神官や僧侶だったら、古式伝来のやり方と違うと口論になったかもしれない。


酒の造り方は割と簡単だ。

まず、水田の稲穂につく胞子の塊(稲麹)に灰を加えると麹菌だけを採取する。

この種酵母菌が重要だ。

次に覚えている酒造りの行程に従って作ってゆくのだが、いくつかの障害があった。


一ツ目は精米だ。

機械の桶に米を入れてグルグルと回す。

グルグルグルグルグルグルグルグル…………高速の回る精米機を使っても十八時間は掛かり、精米歩合四十%の大吟醸酒クラスなら三日も掛かる。

機械でもそれだけの時間を要する作業を、小さな桶に小分けして人力でやった。

力自慢の河原者を集めての人海戦術だ。

河原者らの根性が凄いというか、人間力を見直した。


二ツ目は種麹だ。

水田の稲穂につく胞子の塊(稲麹)に灰を加えると麹菌だけを採取できるという知識はあっても、作ったことはない。

種麹は買ってくるものであって作るものじゃなかった。

ホントに出来るのか?

自信満々に言ったものの内心は、仕込みははじまるまでわらわらだった。

できてよかった。

今回、成功した種麹を保存しているから、次回からは問題ない。


三ツ目は麹づくりの麹室がない。

この時代の酒造りは、現代と違うのだろうか?

ないなら建てるだけだ。

但し、今回は、サウナ風呂で代用した。

温度30度、湿度60%を保てと命令したが、温度計も湿度計もないので体感だ。

酒カビが巧く育つかが大きな賭になった。

桶ごとに違う麹を使うことになったのだが、一つでも成功すれば御の字だ。


酒母つくり、仕込みは経験者なので問題なかった。

下働きに河原者らを貸してやった。

この儘、酒職人に育ててゆこう。


灰を使った濾過が珍しいのか、皆が注目していた。

本来、灰を使うとうま味が消えるので、灰を使う酒造りは主流から外れている。

だが、雑味の素となる小さな粒のみを除去するフィルターがないので、しばらくは灰を使う。

いつか、灰を使用しないフィルターを開発しよう。


四ツ目は灰の量なんて知らない。

絞った生酒に灰をどれだけ投入するかも、色々と検証しなければならない。

今日は試すことが多過ぎる。


酒蔵に行くと、十個の大きな桶が並んでいた。

日本酒独特なアルコールに甘い香りに、酸っぱい匂いが混じっている。

酒ではなく、酢になっている桶があるのが察せられた。

酢になっていた桶は他に移動させた。

酒っぽい桶は八つであり、その内、四つが取り敢えず、酒になっている。

他の三つも売れるかどうかと言えば微妙だった。

このままアルコール度数を上げて、蒸留酒の材料にすることにした。

残る四つを絞っていった。


「ちゃんと酒になっております」

「う、ま、い、の、か?」(美味いのか?)

「美味いというか、何というか、酒でございます」

「魯坊丸様。飲めなくはありません」

「私は美味しいと思います」

「甘くない酒は珍しいと思います」


俺を気遣った意見ばかり、三つ目まで微妙な意見ばかりであった。

最初ならこんなモノか。

蒸留酒にすれば、同じアルコールだ。

問題ない。

半ば諦めながら、最後の桶をよく混ぜてから掬ってゆく。

匂いだけで美味い酒だと語っている。

皆の顔が綻んでいる。

搾り器に入れて酒を絞ると、皆の顔に笑みが浮かんでいるのがわかった。

これを小さな桶に入れ直して、灰の配合を変えて試す。


「魯坊丸様。これが神酒でございますか⁉」

「ふ、つ、う、の、さ、け、だ」(普通の酒だ)

「これが普通というならば、今までの酒は酒以下でございませんか」

「そ、ん、な、に、う、ま、い、か?」(そんなに美味いのか?)

「絶品でございます」


信じられないと言葉を発して、皆が酒を一気に飲み干してゆく。

良い反応だ。

次の試飲は微妙な反応になった。

やはり灰を入れすぎるとうま味が消えて、先に飲んだ酒に及ばないという。

だが、普通の酒より美味いとか?

俺も舐めてみたが、全然味がわからん。

次は少し灰を減らしてみる。

美味いという灰の配合を探しながら、何度も絞ってゆくことになった。

五郎丸らが飲んだのは生酒だ。

これに火入れをしないと、生きた酵母が味を変えてゆく。

軽く火入れをさせて、一升の酒壺に入れ替えさせてから千秋季忠や親父などに、試飲を頼むように言っておいた。

熱田神宮と織田弾正忠家が一番のお得意様になる予定だからだ。

段取りだけ話し合うと、俺は中根南城へ戻る。

待っている間に、俺は食事と休憩を取っていたので問題ない。

扉を開くと、もう日が暮れていた。

さむ、寒い。

外に出ると、凍るような寒さが襲ってくる。

酒蔵も寒かったが、外は一段と寒い。

俺は上着の毛皮をぎゅっと握る。そして、空を見上げた。

月のはじめは月の出が遅く、真っ暗な夜空に星々が見事に輝いて美しい。

冬の星は明るくて最高だ。

不便過ぎる世の中だが、それを帳消しにするほど美しい星空が広がっていた。

魯坊丸日記 第五十二話 「試飲会をひらく」の裏舞台


挿絵(By みてみん)


知識チートの要である酒造りの話です。

昔、酒蔵と言えば、儲かる商売でした。

竹下元総理(第74代)の実家も造り酒屋の酒蔵です。

その他にも、池田勇人(第58~60代総理大臣)、佐藤栄作(第61~63代総理大臣)も酒造業でした。

田舎であっても以下に儲かっていたかがわかります。

桶売りという厳しい時代もありましたが、潰れた酒造業は経営に失敗しただけであり、地道に酒を造っていた酒造業で潰れた蔵はありません。

要するに、もっと儲けようと欲をかいて事業拡大に失敗した蔵と、努力を怠り桶売りで儲けていた酒蔵が桶売りできなくなって潰れたかのどちらかです。

(灘の酒とかが、機械化の大型化をした為に桶買いの必要がなくなった)

安い酒の乱発で経営が苦しくなった時期もありました。

しかし、真面目に営業と技術を磨いた酒蔵は生き残りました。

そして、また受難の時期になっています。

現在は、酒の多様化が進み、酒の需要が減ったことで苦しい経営が続く蔵も多くなりました。

ここからしばらく苦しい時代が続きそうです。


何が言いたいのかと言えば、ライバルがなければ、酒って儲かるんだよ。

言いたいのはそれだけです。


【酒造りの行程】

精米:米を削る。

洗米:よく洗ってから水に漬ける。

蒸米:釜で蒸す。

麹づくり:麹室(こうじむろ)で種麹を撒いて繁殖させる。

酒母つくり:麹と水を混ぜ合わせたものに、蒸米を加え発酵させて酒母を作る。

仕込み:酒母を大きな桶に移し、麹・蒸米・水を三回に分けて加え、もろみを作る。

絞り:完成したもろみに圧を掛けて本酒を取り出す。

濾過:本酒に灰などを混ぜで細かい布で絞り直す。

火入れ:濾過した酒に軽く火を入れる。

貯蔵:半年から一年ほど寝かして酒を熟成させる。

瓶詰め:完成した酒を瓶に詰める。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 知識チートはいつ見てもいいですね! 一発成功とせず試行錯誤、条件を変えての対照実験をしているところも素晴らしいです! 酵母菌(糖類からアルコールを作る)と麹菌(デンプンを糖類に分解)が…
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