五十夜 魯坊丸、妹の手をもつ
〔天文十六年 (一五四七年)冬十一月十八日〕
新嘗祭は、天照大御神自らが、「豊かな稲穂ができますように」と祝ったことがはじまりとされる。
儀式となったのは、皇極天皇(642年)がはじまりだそうだ。
毎年のように儀式を執り行いたいのだろうが、そのときの情勢によって左右される。
今年は、美濃の大敗で多くの死者がでたので取り止めという雰囲気だったが、千秋季忠が「魯坊丸様をお迎えした年に執り行わないなどあり得ません。熱田明神様のお怒りに触れて、熱田を潰すつもりですか」と熱弁を振るった。
先月は恵比寿様を祀ったあとに、今年に収穫した初穂をお供えする行事も執り行っていた。
新嘗祭の為に身を清める儀式とかが色々とあり、今月は神宮の仕事で忙しかった。
他にもやることがあって、色々な意味でも忙しかった。
母上は熱心な熱田信者であり、神事に興味を持っていた。
神事を直にみたい一心で舞姫になることを決め、行儀作法を習い、誰が見ても素晴らしいと声を上げる舞を習得した。
その美しい舞を見た熱田の者は『熱田の楊貴妃』と褒めてくれたらしい。
だが、それが災いして親父の愛妾となる。
舞姫になれなかったことを残念がったので、「邪魔をした親父が酷い奴だ」と俺が責めると、母上は親父を庇った。
「魯坊丸。間違ってはいけません。信秀様はすばらしい方なのです」
「ふぁ、ふぁ、う、え?」(母上?)
「今川-氏豊様の那古野城をわずかな手勢を奪い取る手腕、守護代の織田-達勝様と対峙しても一歩も引かぬ胆力、逞しい胸板はすばらしいのです」
「お、や、じ、が?」(親父が?)
「信秀様はわたくしに可愛い魯坊丸を授けてくれました。感謝しかありません。信秀様は凄いのです」
「ち、ち、う、え、よ、り、で、す、か?」(義理父上よりですか)
「忠良様と信秀様を比べてはいけません。いいですか、ここだけの話ですよ。忠良様もすばらしい方ですが、信秀様と比べると月とスッポンです。これは秘密です。絶対に言ってはなりません」
「ふぁい」(はい)
母上は割と酷いことを平気でいった。
身分を考えれば、愛妾になれただけで幸せなのに、子供まで授けてくれたことを感謝していた。
母上はミーハーだった。
坊主のお経や説法が、ロックコンサートやディナーパーティーのように扱われ、神様に祈る神事は、最先端のコンサートらしい。
神の怒りや怨霊の呪いを信じる時代なので、親父も僧侶も神官も母上が追っかける対象だったみたいのようだ。
母上は当然のような顔で俺の保護者として、すべての儀式を観覧する気だった。
「そんな体でどこに行くつもりだ」
「わたくしは魯坊丸を見届ける義務があるのです」
「流石に入れてもらえん」
「嫌です。わたくしも付いてゆくのです」
今月は産み月であり、今にも産まれそうな大きなお腹だ。
神宮内で産気付いたら一大事だ。
無茶な対応にならないだろうが、流石に入れてもらえないと思う。
養父が引き留めて城に残ることになり、義理兄上の忠貞が付いてきた。
儀式の段取りは面倒くさい。
淡々と儀式を終わらせてゆく。
そして、やっと最終日に俺だけ神殿に残されて、初穂で作られた食事を食して儀式が終わった。
サウナ風呂に入って汗を流すと、寝所に入った。
明日、皆が集まって宴会で終わりとなる。
もうお家に帰りたい。
そんな事ばかりを考えていた。
俺の寝床には炭団入りの火鉢が置かれ、寝着と布団で身を守っているが寒かった。
中根南城の寝床とは段違いで性能が悪い。
俺の部屋は床板に隙間のない簀子を敷き、その上に畳を並べた。
加えて屋根裏にも同じ簀子を置き、障子と襖は取り外し可能な二重障子と襖を置いた。
すきま風を防止だ。
気密性が高いとまでは言えないが、所々に空気の層が生まれるので保温効果は素晴らしい。
障子を開けて、人が出入りする度に冷気が入ってくるのをどうするかが、今後の課題だ。
因みに、台所の横にプレハブ式の新しい小屋をいくつか建てた。
湯風呂、サウナ風呂、脱衣所、休憩所の四つである。
その休憩所の一角には風呂釜が置かれており、ここで薪を投入して湯船のお湯を暖める。
休憩所の一角に窯があり、それが暖炉の代わりとなって暖かい。
けど、夏場は…………いうまい。
今は夕方から夜に掛けて、下働きの談笑部屋となっていた。
何か作業をする日は、俺もよく利用する。
凍えるような寒い日々が続くが、暖を取れる部屋があるのは良い事だ。
神宮では火鉢の前しか暖がとれない。
あと一日が長い。
肩を落としていた俺の寝所に、中根南城から使者がきた。
母上の陣痛がはじまったと。
今度は間違いないと産婆が言っているらしい。
「す、え、た、だ、さ、ま。し、ろ、に、も、ど、り。う、ま、れ、る、こ、の、た、め、に、き、と、う、し、た、い」(季忠様。城に戻り、生まれる子の為に祈祷したい)
「確かに、それは一大事でございます。儀式は無事に終わりました。どうぞ、魯坊丸様のお心のままに動いてください。私もこれから御子の無事を祈祷させていただきます」
「か、ん、し、や、す、る」(感謝する)
「誠心誠意のお祈りをさせていただきます」
季忠の許可をもらって城に戻ったが、母上が部屋にいなかった?
ナント、談笑部屋に寝床を移動させていたのだ。
風呂窯を焚きつづけていると、一日中暖かい部屋だろう。
母上の部屋も気密性を上げているが人が出入りする度に温度が下がり、大勢の為に隣の部屋を開けて使うようになると、もう機密性などないに等しかった。
母上の鶴の一声で談笑部屋への移動が決まったらしい。
声を掛けると、母上は元気そうだ。
そして、陣痛がはじまると、俺と養父は部屋を追い出された。
長い長い夜が過ぎ、朝方に「オギャー、オギャー」という泣き声が響いた。
「魯坊丸、生まれた。儂の子だ」
「ち、ち、う、え。お、め、で、と、う、ご、ざ、い、ま、す」(義理父上、おめでとうございます)
「ありがとう。魯坊丸…………魯坊丸様」
「ち、ち、う、え。さ、ま、ふぁ、い、り、ま、せ、ん」(義理父上、『様』は要りません)
「そうか、魯坊丸。これでよいか」
「ふぁい」(はい)
部屋に入れてもらうと、産婆が「残念ながら…………」と言葉を詰まらせて妹だという。
妹の何が悪い。
無事に生まれただけで最高だ。
母上に奨められて、俺はゆっくりと妹の手を取った。
ちっちゃい、滅茶苦茶にちっちゃい手だった。
でも、可愛い。
猿みたいにぐちゃぐちゃだが、俺の妹は可愛い。
可愛い。
魯坊丸日記 第五十話 「妹の手をもつ」の裏舞台
まだ、登場していませんが、魯坊丸(織田信照)の妹のお市も天文16年生まれです。
残念ながら何月に生まれたのかわかりません。
里の名前はオリジナルです。
信照に中根家の姉か、妹がいたようですが、詳しいことはわかりません。
天文16年の十一月に生まれましたが、一ヵ月すると二歳扱いになるので可哀想ということで、天文17年に生まれたという設定の妹の里でした。
徳川家康も天文11年12月26日に生まれたが、それでは可哀想と翌年生まれにされたとか?
どちらが真実かは墓の中です。
〇中根-忠良
後妻:尾張熱田の商家の娘(楊夫人、非常に美しかった;熱田の楊貴妃)
長男:(正信?)中根-忠貞<作中:主典従七位下将曹>(上司:浅井-高政、部下、鉄砲頭、番長津田-算長)
次男:(正照)正秋──養子として織田信照(正信・忠實)
3男:某(幼名喜蔵)
長女:某?
4男:正澄(幼名新左衛門)
5男:某(幼名市之助)
6男:某(幼名新平)