四夜 魯坊丸、福のお家事情を知る
〔天文十五年 (1546年)秋八月〕
福が侍女に昇進した
仕事内容は余り変わらないが、福の説明だと立場が違うそうだ。
非正規雇用のアルバイトと正社員の違いだろうか?
しかも福の場合は、大宮司千秋季光と養父中根-忠良が土豪である村上一族の長に挨拶にいったとか。
「魯坊丸様には、感謝しかございません」
福から何度も礼を言われた。
村上一族は古くから熱田神宮社領の長根荘を預かる土豪であり、熱田の大宮司は殿様のような存在であり、城主の中根家は代理に過ぎない。
つまり、社長が支店長と一緒に部長の家を訪ねて、一族の娘を欲しいと言った訳だ。
しかも仕える相手は、熱田明神の生まれ代わりとか?
信仰深い村上一族は大いに喜んだ。
福の家族は一族の中で問題を抱えており、どちらかと言えば厄介者扱いだったらしい。
俺にお礼を言いながら、福は自分のお家事情を話してくれた。
「私は村長から魯坊丸様が中根家から無下にされていないかを監視する役目でした。そうしないと、弟への助力をしないと言われたのです」
「ばぶ」(それで)
「弟は成田家の分家を継ぐ身ですが、三年前に父上が戦死しました。領地はすべて本家預かりとなっております。領地を取り戻すには、村上家の助力が必要なのです」
福の家族はなかなかに難しいお家事情を抱えていた。
福の父は東にある平針の土豪である成田家の分家であった。
平針城は飯田街道沿いにある東の城であり、三河へ抜ける重要拠点の一つらしい。
成田家は平針のさらに東の鳥栖城を中心に「応仁の乱」を契機に力を付けた新興勢力であり、平針の成田家も鳥栖から分離した一派だそうだ。
福の父は次期当主に漢文を教える教師役を授かって殿の覚えも目出度かったのだが戦死してしまった。
だが、福の弟は幼く、領地を本家預かりとされた。
そこまで普通の事らしい。
しかし、本家から派遣された叔父は家臣をすべて放免し、本家から連れてきた者に領地の管理を任せてしまった。
叔父は分家を乗っ取る気なのだと言う。
福の弟が元服して領地を継いでも、このままでは信頼の置ける家臣が一人もいない。
叔父の傀儡にされる。
福の母は実家の村上一族を頼って、信頼のおける旧家臣らを養ってもらった。
来るべき日まで、信頼できる家臣らを引き留めるためだ。
こうして、分家の主導権を争うイザコザが待っている。
村上一族の長からすれば、成田家と好を結ぶ為に母を嫁がせたのに、厄介事を持ち帰ったことになる。
だが、黙っていれば、村上家の沽券に関わる。
村上一族の中で福の肩身が狭いのはそのためだ。
福の母は乳飲み子を残してなくなった家の後妻になって、村上一族の為に働いて、少しでも村上一族の心証をよくしようと躍起になっているそうだ。
福も母が嫁いだ先の義理の弟の世話などを手伝った。
その義理の弟は言葉が少し不自由だった為に唇を読む読心術を福は身に付けたようだ。
何が幸いするか判らないものだ。
さて、二年ほど掛けて、義理の弟も言葉をはっきりと発せられるようになった。
福も畑の手伝いが増えてきたそうだ。
そんな頃に中根家から俺のために女中を出せという命令が舞い込んだ。
福が自ら名乗り上げたのは、母と同じく村上一族への心証を少しでもよくするためだ。
そんな福が熱田明神の生まれ代わりの侍女に選ばれたと大騒ぎらしい。
皆が優しくなったと戸惑っていた。
「でも、魯坊丸様。皆から意地悪をされていた訳ではありません。勘違いなさらないでください」
「ばぶぅ」(わかっている)
「母上も大変驚きながら喜んでおります。魯坊丸様、ありがとうございます」
「ばぶぶぶ」(俺は何もやってない)
「なにも……でしょうか? 私は魯坊丸様の侍女になれて幸せです」
福は首を傾げながら可愛く笑った。
魯坊丸日記 第4話 「福のお家事情」の裏舞台
今回、説明したお福さんは、WEB版で女中として登場しております。
彼女の設定は、平針城の家老である成田家の分家の娘として登場しております。
この平針城をご存じの方は、小野田勘六が築城したと残っています。越後の上杉家とは、どこの上杉家でしょうか?
越後守護の上杉家かな?(上杉-定実(不明~天文19年2月26日))
上杉謙信が上杉家の名を名乗るのは、永禄4年(1561年)閏3月16日です。
〔長尾景虎は、上杉憲政の要請もあって鎌倉の鶴岡八幡宮において、山内上杉家の家督と関東管領職を相続し、名を上杉 政虎と改めた〕
一方、桶狭間の戦いは、永禄3年(1560年)5月19日であり、謙信の家臣が尾張にきたと考えるのは無理があります。
永禄4年以前にも越後にも上杉家があったのかもしれませんので、すべてが嘘という訳ではないのでしょう。
しかし、慶長九年(1604年)の裕福寺に小野寺の名が刻まれているのを見ると、小野田勘六はこれより少し前の方と思われます。
そこで私はこういう仮説を立てました。
小野田勘六は佐々成政の家臣だった。そして、佐々成政の命令で平針第1古城を築城した。
時期は、活躍し始める永禄4年から長島一向一揆との戦いの天正2年(1574年)まで、
この時期なら織田家も上杉家と関係が深くなっており、どこかで知り合って頼ってきたとしても可笑しくありません。
では、桶狭間の戦いで入った平針城はどこでしょうか?
それが郷之島公園にあったとされる第一古城より古い平針古城です。
この平針も古くから熱田神宮領でした。
付近にある針名神社は10世紀初頭以前よりあり、尾治(張)氏の末裔尾治(張)の針名根連の命を祀っております。
さらにその山奥に鳥栖城がありました。
成道寺に境内に鳥栖城跡があり、永正十二年(1515年)の城主成田公夫妻の墓碑と伝えられる石仏二体があります。
小説の舞台である天文21年(1552年)の37年前であり、織田信長の祖父の織田信定の時代の方です。
成田家はこの辺りに勢力があったと考えられます。
また、後に平針第2古城を築城したとされる新屋敷氏もこの辺りの豪族の1つと仮定しました。
ここからが舞台裏の設定です。
成田 福は、平針城の家老である成田家の分家の娘であり、父が亡くなると本家が分家の土地を接収し、弟が元服するまで預かるとしました。
しかし、父の家臣らはすべて放免され、弟が領主になっても信頼できる家臣がいない状況になります。
それに不安を感じた福の母は、実家の村上家を頼り、後妻として嫁いだ先の家で、夫の家臣を養うことにしたのです。
福も義理の弟の世話を命じられます。
その弟の一人に知恵遅れの子供があり、福は必死に意思疎通を図る過程から、唇の動きで言葉を読む技術を習得したのです。
こうして2年間の世話で弟の武蔵は話すことができるようになり、体も急に大きくなって、手伝いもできるようになったのです。
武蔵は頭が賢い訳ではないですが、体も大きくよく働きます。そして、福の命令は何でもきく子に育ちました。
さて、武蔵らの弟らの手が少し離れた頃に、中根南城で魯坊丸の誕生が近づきます。中根家より村上一族はその世話役の女中を求められました。
そんな厄介な仕事は、福に回されたのです。
福は魯坊丸が生まれると、福は侍女の命令通りに魯坊丸の世話を見ます。
主に、様子見、オムツの交換、下着・オムツの選択です。
魯坊丸付きの侍女は交替で休みますが、女中らは休憩もなく、魯坊丸の様子を伺うのが仕事です。
魯坊丸は泣かない子ですが、暇な時はいつも発生練習をしていました。
その唇の動きをみて、福はなんとなくですが、魯坊丸が話しているように感じて声を掛けます。
すると、魯坊丸は福の質問に「あい」と返事するのです。
こうして、福は生まれたばかりの赤子と、暗号解読のような会話を楽しんだのです。
こんな設定で、まだ0(ゼロ)歳の魯坊丸が冬の寒さを乗り切る為に、炭団を作らせる下地としました。
もちろん、ただ設定であり、本編では「女中を使って作らせた」の一文で終わりです。
しかし、そんな有能な女中が本編にいないのは不自然です。
そこで平針城の城主を、加藤家にする事で解決する事にしました。
|加藤順盛、通名は図書助と呼ばれ、羽城の城主です。
熱田の羽城には、幼少の竹千代(後の徳川家康)が預けられた所とされます。
西加藤家と呼ばれ、高針城の加藤家が東加藤家だったのでしょうか?
ともかく、竹千代が人質になった年は、『第2次加納口の戦い』があった天文16年(1547年)と予想されます。
『三河物語』で戸田家が裏切って、今川家へ連れてゆく所を織田家に連れていったと書かれていますが、戸田家がそんな危ない橋を渡る意味がありません。
そうなのです。
竹千代の父松平広忠が織田家に負けて、竹千代を織田家に人質に出したことを隠しただけです。
天文16年(1547年)は、信長の父である信秀の居城が放火された年であり、信秀は居城を末森に移します。
末森城は飯田街道沿いにあり、ここで末森城より東が末森衆、中根南城などが熱田衆、那古野周辺が那古野衆に再編成され、
信秀から重要拠点の1つである平針城を図書助が任されることになった。
そして、叔父の加藤 延隆が羽城を任された。
熱田の千秋家が魯坊丸を盛り立てます。
また、延隆は瓶に入っていないボトルシップに釘付けとなり、本物の南蛮船を造ろうと魯坊丸に接近し、その過程で福と親しくなり、図書助に福の弟の救済を頼んだのです。
(※)別設定:ボトルシップは魯坊丸が細工師に造らせた物です。手先が自由に動くようになると材料だけを細工師に用意させて自分で自作します
平針城の成田家は、加藤順盛が城主になっても土豪として仕えます。
そして、加藤順盛の嫡男の順政の子、順盛の孫の小姓に福の弟が選ばれた事で慌てます。
成田分家との和解が再需要となり、弟の姉である福と成田本家の嫡男との婚姻を打診し、千代女が来る少し前に魯坊丸の元を離れた。
というのが、赤子の魯坊丸が活躍できた理由の設定です。
本編で紹介するつもりがなかったので、かなりガバガバな設定でした。
福と魯坊丸やりとりは私の頭の中にあるだけであり、細かい肉付けはしていなかったのですが、書籍化に伴い、出版社さんからここの詳細がわかりつらいとか駄目出しをされて、設定を煮詰めて直して、名を福としました。
登場シーンは少ないですが、文字化しました。
今回の番外編である『魯坊丸日記』のエピソード集のとして、大活躍するキャラクターとなっております。
■加藤家
加藤-順盛永正11年 (1514年)~天正16年 (1588年)
通名:図書助
平針城主(小説設定)
図書助家
祖父:加藤 景繁
父:加藤 順光
叔父:加藤 延隆
嫡子:加藤 順政
次男:加藤-弥三郎(岩室長門守の婿となり岩室勘右衛門)
加藤家は藤原氏を祖とし伊勢山田で神官の家で代々図書助を名乗る。
順光の父・景繁の時、熱田に移ったと伝わる。
■平針第1古城
所在地:天白区平針1丁目
立地:平城
築城時期:?
築城者:小野田勘六
主な城主:小野田勘六、佐々成政
現状:神田公園
小野田勘六:小野田勘六は、越後の上杉家の家臣でしたが、上杉家を離れ浪人となって、この地で城を持つ身にまでなった。
謎1:慶長九年(1604年)の裕福寺(東郷町)再建の旨札に『小野田長右衛門、同太郎左衛門』の名前がある。
謎2:桶狭間合戦時、佐々成政がこのお城に入ったとの記録が残っている。
謎3:一代でその名を消した城主・小野田氏のお墓は、平針慈眼寺ふもとの平針墓地内にひっそりと建っている。
■平針第2古城
所在地:天白区原5丁目
立地:平城
築城時期 ?
築城者:新屋敷氏?
主な城主:新屋敷氏?
現状:原小学校・原中学校
謎:新屋敷は新しい屋敷ではなく、『新屋敷』氏と読む。
平針街道は、慶長17年(1612年)に徳川家康の命で、岡崎から名古屋城への近道として造られました。姫街道とも脇街道ともいわれた。
天白区役所編集の観光案内に、『石仏地蔵尊、施主近藤佐太郎・明和4年(1767年)2月に建立したもので、『追分地蔵』の呼び名がある
■平針古城:平針第一より古い城。郷之島公園(平針城跡)
小野田氏以前の城とされる。(平針城A跡:平針古城、平針城B跡:平針第二古城より古いと思われる)
平針平子山、旧旧道の平針街道、通称、姫街道です。
■針名神社:平針城の近くの神社。
創建は10世紀初頭以前
尾治(張)氏の末裔尾治(張)の針名根連の命を祀る。
平針(第一)古城の城主だった小野田勘六の墓もある。
平針とは「平墾」の転化で、比較的平らな土地である所を開墾したところという意味です。
平針第二古城:飯田街道を押さえた平針のお城
築城者 新屋敷氏?
主な城主 新屋敷氏?
平針も熱田神宮領
■成道寺石仏 鳥栖城 永正十二年(1515)乙亥正月十二日
境内は鳥栖城跡と考えられ、この一角に城主成田公夫妻の墓碑と伝えられる石仏二体があります。その一体に「鳥住伝心浄本菴主」「永正十二年(1515)乙亥正月十二日」と刻まれ、紀年銘としては市内最古のものです。
通称・別名:新屋敷鳥栖城、取隅城
所在地
愛知県名古屋市南区鳥栖2(成道寺)
旧国名
尾張国
分類・構造
平城
築城主:成田時重
築城年
応仁年間(1467〜1468)
廃城年:永禄2年(1559)
■高針城
所在地:名東区高針二丁目
立地:平城
築城時期 :?
築城者:加藤勘三郎
主な城主:加藤勘三郎
現状:宅地、畑
加藤勘三郎は上社城の城主だった記録もあり、上社城の城主は、加藤勘三郎、加藤勘四郎、柴田勝義と代わっています。
(柴田-勝義は柴田勝重の子で織田家重臣の柴田勝家の父とされる)
かなり古い人物です。高針城より南に5kmほど行った所が平針です。