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 四十五夜 魯坊丸、策士策におぼれるをしる 〔加納口の戦い(五)尾張編〕

〔天文十六年 (一五四七年)九月二十六日〕

美濃、加納口の戦いが終わった。

結果は、多くの家臣や兵を失った織田家の大敗北であった。

二十一日早朝、稲葉山城を包囲する織田方の陣から織田大和守家の兵が夜陰に紛れて撤退したことが発覚して、早朝から織田方の陣中が騒がしくなったらしい。

そして、撤退の密談中に古渡城が織田大和守家の別道隊に襲われているという伝令が飛び込んできて織田方の士気が乱れたのが原因だった。

親父 (織田(おだ)-信秀(のぶひで))は即座に撤退を決定し、陣を払って撤退を開始した。

もちろん、斎藤(さいとう)-利政(としまさ)(道三)の反撃を警戒し、ゆっくりと下がるという撤退であったが、二十一日夕方、利政は織田勢が十分に撤退したことを確認すると反撃に転じた。

絶妙なタイミングだったらしい。

決死の覚悟で残った殿(しんがり)は織田勢の稲葉山城からの撤退を確認し、自分達も撤退しようとした瞬間を狙われた。

青山信昌、毛利敦元、寺沢又八弟、毛利藤九郎、岩越喜三郎などが踏みとどまって斉藤勢を止めようとしたが、一度でも生きて戻れると思った兵らの士気が上がる訳もなく、兵達が我先にと逃げ出したのだ。

青山らの奮戦も虚しく、殿は一瞬で駆逐された。

上がらぬ士気に苦労しながら親父は斉藤勢の反撃に対して加納で迎え討つ態勢を取った。

しかし、斉藤勢の反撃の様子もない。

斉藤勢も兵の数が少ない。

被害を恐れて織田勢を逃がす選択をしたと判断した親父は本格的な撤退に転じ、スムーズに兵の半数が川を渡河し終えた頃に殿を突き破った斉藤勢が現れた。

親父も利政を警戒して渡河を遅らせていたが、半数が渡り切ったことで親父も渡河することにした直後だった。

神掛かったタイミングだ。

反撃がもう少し早ければ、斉藤勢に組織的な反撃ができ、逆に遅ければ、織田方のほとんどが無事に撤退していた。

渡河中の親父を守る為に逃げ出す兵を無視して、少数で斉藤勢の勢いを止めなければならない。

最悪のシチュエーションとなったのだ。

奮戦したのは織田大和守の三奉行の一人である織田因幡守と、熱田衆を率いる千秋季光が加納の入り口に兵を集めて、親父が渡河し終える時間を稼いだらしい。

因幡守は大和守に加担していないことを証明する為に必死だったのだろうか?

親父に先を譲った犬山の織田(おだ)-信康(のぶやす)も斉藤勢に追い付かれて戦死した。

千秋季光が残ったのは俺が余計なことを言った為だろうか?

皆、帰らぬ人となった。

九死に一生を得て戻ってきた養父の中根(なかね)-忠良(ただよし)の話を聞き終えると、岡本(おかもと)-定季(さだすえ)が土下座をして謝罪した。


「申し訳ございません。某が細心の注意を払っておれば、このような結果にならなかったと思われます。謝ってすむことではございませんが、申し訳ございません」

「妻から話は聞いた。定季はよくやってくれた。中根を守り切ったことを誇ればよい」

「あと一日。いいえ、半日早く動いていれば、古渡城の襲撃を防ぐことができました。某の失態でございます」


定季は失態というが、井戸田や田子の民は松明を持って八事に夜のピクニックで終りの予定だったから、はじめから数に入れておらず、先行した井戸田・田子の兵も十九日の夕方から二十日の早朝まで夜通し歩かせたので休憩させない訳にいかない。

八事の兵を集めるのに時間がかかる。

況して、野盗が退治されて浮かれている民を引き締めてながら他領の領主に協力を求めての徴兵だ。

結局、その場で仮眠を取らせ、目が覚めると宴会となった時間はもったいないが、周辺の領主を説得に成功した。

むしろ、よくやってくれた。


残念なのは、笠寺が敵方に与した可能性があると察した鳴海の山口(やまぐち)-教継(のりつぐ)は戦いが終息すると、兵を連れて笠寺を問い質す為に引き上げたことと、柴田(しばた)-勝里(かつさと)も後続の柴田にその場を任せて平針城へ突撃し、平針と隣接する島田の牧家も撤退したくらいだ。

定季は柴田家や松平家の将を説得して、那古野まで動向を了承させた手腕は見事だったのだ。

だが、それが後悔となる。

宴会を許さず、柴田家や松平家などを無視して、その日の内に中根・井戸田・田子の民を那古野に移動すれば、数は少なくなるが織田大和守家の奇襲を思い留まらせることができたかもしれないとか…………数は多い方がよかったに決まっている。

兎も角、翌日から柴田勢が先行して移動を開始してくれたのだ。


これはあくまで想像に過ぎないが、可能性は高い。

十九日に清須の織田大和守家は東尾張で大規模な軍事行動があったと知って、二十日に密かに兵を集め、二十日の夜陰に紛れて行軍し、二十一日の早朝に古渡城を奇襲した。

俺の短慮が招いた失敗だ。

相手だって少しは考えるし、タイミングを図っている。

運の悪いことに、千秋(せんしゅう)-季忠(すえただ)が那古野に出向いて信長兄上を説得に行っていたので熱田衆の動きが一歩遅れた。

熱田の兵がすでに熱田神宮内に集めっていたのに、対応できなかったのが勿体なかった。

信長兄上は美濃の親父へ使者を派遣したのは二十日夕刻だ。

那古野でも兵を集める陣触れを出して戦の準備をはじめ、同時に尾張領内の各所へ物見を出したが、この物見が織田大和守家の軍勢を見つけて戻ってきたのも早朝であり、古渡城への奇襲を防ぐことができなかった。

油断していた古渡城はあっという間に大手門を破られて、三ノ丸を奪われると、二ノ丸の攻防へと移っていった。

古渡城の兵は少なく、その少ない兵でよく耐えたと思う。

救援に駆け付けた那古野と熱田の兵が攻め出すと、織田大和守家の猛攻が止まり、さらに御器所(ごきそ)方面に大軍を見つけると、形勢不利と察したのか、三ノ丸に火を放って引き上げていった。

古渡城は三ノ丸と二ノ丸の機能を失ったが、半日で危機を脱した。

だがしかし、奇襲を受けた時に那古野の信長兄上と美濃の親父に救援を求める使者を出したことが『加納口の戦い』の敗因となった。

信長兄上の使者が先に到着しており、親父は首脳陣を集めて安全な撤退を協議していたが、そこに古渡城の伝令が織田大和守家の謀反と古渡城の奇襲を告げて入ってきた為に、それが全軍に伝わってしまったのだ。

士気ががた落ちとなり、全面撤退しか手の打ちようがなくなった。

昼過ぎ、親父は諸将に全軍撤退を告げた訳だ。

すべてが絶妙なタイミングで不幸の連鎖を起こした。


今回の敗因は運の悪さではない。

五百人近い首を討ち取られ、二千人は溺れ死んだという大敗北となった原因は、俺が情報を疎かにしたことだ。

千秋家か、五郎丸に頼んで、大物である清須の織田大和守家と、岩倉の織田伊勢守家だけでも見張り置かせるべきだったのだ。

不確かな情報を元に計略など立てたことが愚かだった。

策士策におぼれる。

情報集めを粗末にした馬鹿が、策略を巡らせて先手を取っているつもりで油断して失敗した。

俺が戦などできる訳もなかった。

まったく、馴れないことをするものじゃない。


因みに、養父が帰ってくるのが遅れたのは、親父が織田全軍で清須を攻めたからだ。

美濃の兵はほとんど四散していなくなったが、兵の半数は無事に渡河を完了していたので、三千人ほどを維持できていた。

那古野に集結していた兵を吸収して清須を攻めた。

流石に、数合わせの農民らは帰してくれた。

中根や井戸田、田子をいつまでも空にできないので、最小の兵も戻された。

清須攻めは一方的だったが、攻めている途中で西三河の岡崎松平勢が安祥城に攻めているという連絡が入って清須攻めを中断し、軍を編成し直して西三河の援軍に向かった。

激戦を生き抜いた熱田勢を西三河に連れてゆくのは無理と考えて帰城を許してくれた。

五百人を動員した熱田衆の死者は五十四人、負傷者三百人強とか。

父と兄らを失った季忠が熱田神宮の大宮司に就任したが、この大きな損失を埋める為に、頭を悩ませていると五郎丸から報告を聞いていた。

戦国時代って、厳しいな。


魯坊丸日記 第四十五話 「加納口の戦い(五)」の裏舞台


史実では、『加納口の戦い』は9月22日となっていますが、この世界では魯坊丸が動いたことで1日前倒しになっております。

そして、中根家や柴田家の活躍もなかったことにされました。

当然ですよね。

城を落とした訳でもなく、野盗100人ほどを討伐したのみであり、お褒めの言葉くらいは頂いても褒美をもらえるほどの手柄ではありません。

織田信秀は敗戦のショックで尾張の支持を失い掛けており、尾張の国衆を留める為に必死な時期だったでしょう。

褒美や感状といった儀式は後回しにされたようです。

実際、戦より随分と時間が経ってから感状をもらっている武将も多くみかけます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 動員兵力にある程度の幅を持たせることができるのはそれが正しいです。 通常を超える兵役を課す場合、次の条件を守る必要がありますが。 1,郷土防衛戦もしくは籠城戦である。 苅田や略奪から故…
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