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二十五夜 魯坊丸、鉄砲をつくらせる

〔天文十六年 (一五四七年)初夏四月はじめ〕

城内が衣替えでごった返す中、俺に来客が来た。

隣の領地である大喜を実質支配している大喜五郎丸の来訪だった。

大喜爺ぃに連れられてやってきた。

何度も会っているような気でいたが、実はこれが初対面だったのだ。


「お初にお目に掛かります。大喜五郎丸でございます」

「ろ、ぼ、う、ま、ぶ、じあ」(魯坊丸だ)

「私の事は嘉平より窺ってあると存じますから省かせていただいて、こちらに控えるのは、武具商の『兜屋』でございます」

「兜屋の小左衛門(こざえもん)と申します。魯坊丸様が硝石を欲しているとお聞きしてお持ちした次第でございます。ここに控えますのは、(うち)で贔屓しております。刀鍛治師の坂口(さかぐち)-作之助(さのすけ)にございます。この作之助が魯坊丸様に会っておくべきだと申すのでまかり致しました」

「作之助でございます。魯坊丸様は熱田明神様に御拝顔できるならば、連れて行ってほしいと申して、無理を承知で付いて参りました」

「お、れ、ば、あ、ず、だ、み、う、じ、ん、で、ば、な、い」(俺は熱田明神ではない)

「魯坊丸様は、自分は熱田明神でないとおっしゃっておられます」

「いいえ、あのような美味い酒をお考えになられるお方が、熱田明神様でなくて何でしょうか。金山衆の皆は、魯坊丸様についてゆく所存でございます」


作之助の言い方だと、鍛冶師は余程の酒好きなのだろう。

蒸留酒のことは他言無用なので兜屋も知らないらしく、その横で目をギラリと光らせていた。

これ以上話すとランビキの話になりそうなので、俺は酒の話を打ち切った。


「ど、こ、ろ、で、よ、ぐ、し、う、ぜ、き、が、で、ばぁ、い、つ、た、な」(ところで、よく硝石が手に入ったな)

「魯坊丸様は、硝石が手に入ったことを驚いておられます」

「まぁ、色々とございました」


兜屋が少し苦笑いを零し、硝石を手に入れた経緯を話した。

俺が硝石を欲したのはお小遣いの五貫文を手に入れてからなので最近の話だ。

硝石はすべて輸入に頼っており、簡単に手に入るものではないらしい。

大喜爺ぃの話を聞いて手に入るまで一年以上も掛かると覚悟していたが、先に値段を聞かされた時点で諦めた。

鉄砲一発を撃つ為に必要な硝石3gが百文もする。

俺はキロ単位で欲しかったので、1kgで三十三貫文が必要だった。

俺の小遣いで買える金額じゃなかった。

兜屋の話では、鉄砲と硝石を注文したのは信長兄上の家臣筋からだった。

何でも公方様が国友に鉄砲を作らせたことが切っ掛けだった。


天文十三年(一五四四年)に公方様こと室町幕府十二代将軍足利(あしかが)-義晴(よしはる)が、国友鍛冶師である国友(くにとも)-善兵衛(ぜんべえ)らに見本の火縄銃一挺を渡して、同じ物を作るように命じた。

一年後に模倣した鉄砲を公方様に献上すると、畿内で鉄砲が出回り出した。

南蛮渡来の珍しい品として重宝されているという。

去年(天文十五年、1546年)、元服した信長(のぶなが)兄上は那古野城主となった。

そこで新たに召し抱えた鉄砲師の橋本(はしもと)-一巴(いっぱ)から献上された鉄砲と一緒にその話を聞くと、珍しい物好きの信長兄上は鉄砲と硝石を大量に欲した。

こうして信長の家臣から兜屋も注文を受けた。

だが、兜屋は取り越せるのに一年近く掛かった。

やっと手に入れて家臣に献上したが、すでに信長兄上は鉄砲とそれなりの数の硝石を手に入れた後だったという。

こうして、受け取りを拒否された兜屋は困ってしまった。

他の大名や武将に売り付けようと鉄砲の買い手を探していると、五郎丸から鉄砲の注文をもらったという。


「ち、よ、う、ど、ま、で。お、で、ばぁ、で、つ、ぼ、う、な、ど、ぼぉ、し、が、つ、で、い、な、い」(ちょっと待て。俺は鉄砲など欲しがってない)

「魯坊丸様は、鉄砲を注文されていないとおっしゃっておられます。私も魯坊丸様が鉄砲を欲しいと言ったことを聞いたことがございません。欲しがられたのは硝石のみでございます」

「硝石のみとはどういうことですか。鉄砲は要らないのですか? 五郎丸様、話が違います」

「ははは、そうでございましたか。鉄砲は要りませんか?」

「ぼぉ、し、け、れ、ば、じ、ぼぅ、ん、で、つ、ぐ、ばぅ」

「魯坊丸様は、欲しければ、自分で造るそうです」


俺は鉄砲の絵図面が書ける。

作成過程を一通り覚えており、ランビキを作れる鍛冶師の技術があれば難しくない。

むしろ、材料の鉄を調達する方が難しい。

などと考えていたが、大喜爺ぃをはじめ、五郎丸、兜屋、作之助は信じられない者を見るようにじっと俺を見て居た。

福が止めとばかりに「魯坊丸様なら簡単なことです」と言うと、作之助が身を乗り出して聞いてきた。


「魯坊丸様は鉄砲の作り方をお教えください」

「ぜ、に、ばぁ、ばぁ、ら、え、ん」(銭は払えん)

「鉄砲を作るのに銭は払えないとおっしゃっておられます。手当なしで宜しいのですか?」

「銭など要りません。むしろ、こちらが払いたいくらいです」


よっしゃ、鍛冶師GET。

鉄砲を餌に色々なものを作らせよう。

専属の鍛冶師が欲しかった。

庭師は大工仕事ができるが、鍛冶はできない。

作れないものがたくさんあった。

どれから作らせよう。


「ぶ、ぐ。が、み、ど、ぶぅ、で」(福。紙と筆)

「はい。畏まりました」

「なんとおっしゃったのですか?」

「魯坊丸様が紙と筆を所望されました。鉄砲の絵図面を書いていだだけるようです」

「魯坊丸様がお書きになるのですか」

「まさか。書くのは貴方自身です。私が魯坊丸様の指示を伝えますので、ご自身でお書き下さい」


福が少し困った顔をして、作之助に書かせる予防線を張った。

ランビキの時に福に書かせたがまったく通じず、中身が理解できずに福が言い間違うことを連発するので、何度も訂正することになる。

結局、鍛冶師に筆を持たせて俺の指示を福に伝えた方が巧くいった。

今回は、はじめから絵図面を書くことを諦めたみたいだ。

横から大きな笑い声を五郎丸が上げた。


「ははは、流石、魯坊丸様。兜屋さん、大きな儲け話が転がってきましたな」

「五郎丸様。本当に造れるのですか?」

「魯坊丸様が造れると言えば、造れます。後で貴重な酒をお試し頂きましょう。世界が変わりますぞ」

「何やら恐ろしい話ですな」

「兜屋の旦那。魯坊丸様の凄さが理解できましたか。俺に鉄砲を造らせてくれ」


作之助が兜屋にパトロンになることを願った。

鉄砲を作るには、鉄などの材料を仕入れて、炭などの消耗費を大量に使う。

作るのにいくら掛かるかわからない。

だから、仕事と生活を保障してくれるパトロンが重要になる。

鍋など作る鍛冶師と刀鍛冶では、その辺りが抜本的に違うそうだ。

養父の力を借りれば、鍛冶師一人くらいは何とかなるが、すでに田んぼで負担させている。

また、俺の小遣いでは鍛冶師は養えない。

銭が足りない。

俺の目に五郎丸にちらりと入ったので、先に用事を済ませることにした。


「ご、ろ、う、ま、る。し、う、ぜ、き、ばぁ、が、え、ん。ぜ、に、が、な、い」(五郎丸。硝石は買えん。銭がない)

「魯坊丸様は硝石を買う銭がないので、引き取ってほしいとお申しです」

「何を申されます。私は最初にお納めくださいと申しました。これは私からの挨拶料でございます」

「よ、い、の、か」(よいのか)

「魯坊丸様のおかげで熱田衆での地位が上がりました。琉球交易では、魯坊丸様の名を出せば、千秋様が優先するようにお口添えをいただけます。この程度の出費はすぐに回収できます。すでに御影石でも、随分と儲けさせていただきました。これからもお名前を使わせて頂く代金とお思い下さい」


あっ、御影石の代金は要らないと言っていた奴か。

どうやらその代金を千秋家に出させたようだ。

腹黒い。

今のセリフを聞くまで、五郎丸が出したと思っていた。

名前代と言ってくれるなら、この硝石はもらっておこう。

俺の名を出せば、南蛮品や琉球の品が手に入るらしい。

南蛮の野菜の種や苗を頼んでおこう。

俺の小遣いの範囲なので、高すぎるものは駄目と断っておいた。

とりあえず、硝石GETだぜ。

俺は腰の下で拳を握った。


「魯坊丸様。筆と紙が届きました」

「よ、じ、や、る、ぞ(よし、やるぞ)

「作之助様。この筆をお取り下さい。私が魯坊丸様の指示を伝えます」

「ぶぅ、ぐ。ぶぅ、で、で、ばぁ、な、い。で、つ、ぼぉ、う、の、が、い、だ、い、だ」(福。筆ではない。鉄砲の解体だ)

「申し訳ございません。作之助様。こちらの鉄砲の解体からはじめるそうです」

「ど、こ、ろ、で、で、つ、ばぁ、よ、う、い、で、ぎ、る、の、が」(ところで、鉄は用意できるのか)


鉄には大きく分けて、(はがね)(てつ)に分かれる。

この日本で鋼の代表的なものを『たたら鉄』という。

たたら鉄は、日本の最古から生産されていた良質な鉄だ。

この『玉鋼(たまがね)』がなければ、名刀は打てない。

作之助は少し困った顔をした。

やはり簡単に手に入るものではないらしい。

普通の鉄でも造れなくもないが、連射を考えるなら銃身は『玉鋼』を使うべきだ。


「で、づ、が、な、い、な、だ、づ、く、る、が」(鉄がないなら、作るか)

「魯坊丸様は鉄から作るかと申されております」

「たたら鉄を作れるのですか⁉」

「ぜ、に、が、だ、ぐ、さ、ん、い、る。だ、ぐ、ざ、ん」(銭がたくさんいる。たくさん)

「魯坊丸様は、銭がたくさんいると申しております。二度繰り返しましたので、本当に大きな額になると思われます。どうされますか」

「旦那。出してくれ」

「待て、作之助。侍女様、いくらほど要りますか」

「はい。硝石のときもたくさんを二度繰り返すことはございませんでした。硝石のお代を軽く凌駕する額になると思われます」

「俺には無理だ。五郎丸様、どうされますか?」

「銭に問題はない。しかし…………」


五郎丸は「銭に問題はない」と言い切った。

流石、大喜一族の長、大店の隠居で田光(たこう)城主を配下に置くだけあって貯蓄が多そうだ。

だが、難しい顔をしてしばらく黙ってしまった。


「五郎丸様。俺に鉄砲を作らせてくれ」

「…………」

「五郎丸様」

「魯坊丸様。鉄を作る話の返事はしばらくお待ち頂けますか?」

「ず、き、に、し、ぼ」(好きにしろ)

「お待ちするそうです」


作之助を残し、五郎丸らは早々に席を立った。

さて、献上された鉄砲を分解させて、それぞれの名称と役目から叩き込む。

理解すれば、それほど難しくない。

ネックとなるのが、ネジ構造だ。

尾栓(びせん)の『おねじ』と『めねじ』の造り方を理解すれば、すぐに鉄砲は作れる。

だが、俺が教えるのだから『転造(てんぞう)』と言う強い力を加えて素材を変形させる塑性加工(そせいかこう)をマスターしてもらって量産できるようになって貰わねば意味がない。

さぁ、何から教えようか。

俺はワクワクしているのだが、福は少し引き気味な顔付きになっていた。

鉄砲を分解しようとした作之助の手から鉄砲が落ちる。

こらぁ、丁寧に扱え。

魯坊丸日記 第二十四話 「鉄砲をつくらせる」の裏舞台


プロットというか。

設定では、この時期に金山の鍛冶師に鉄砲の作り方を教える。

この一文のみです。

五郎丸や武具商人が付き添ったとか、そんな話は即興です。

橋本一巴が召し抱えた時期をはっきりさせていませんでしたが、二年後には居ることになっていたので問題ないでしょう。

実際に鉄を作るのは、寒い冬が適しているので、はじめての鉄づくりは、この冬の話となります。

しかし、鉄を作る為の石炭が手に入らないことを魯坊丸はすでに知っていますから、人工石炭をつくる時期を考えると、この時期に鉄砲鍛冶に鉄砲を教えないとタイムテーブルが狂ってしまうのです。

小説のプロットを書いてから必要なものを逆算すると、天文16年(1547年)春から夏が忙しい魯坊丸だったのです。

設定は、ほとんど一文なので楽だったんですけどね。


【あとがきの追加】(読み直して気になったので念の為に)

ここ鉄砲を購入した信長は、天文19年(1550年)に国友に五百丁の鉄砲を購入した話とは別の話です。

今は天文16年(1547年)であり、信長は鉄砲を珍しいと思っていますが、武器としての性能には疑問を持っている所です。

しかし、天文18年(1549年)に第三次安城合戦が起こり、織田信広が太原雪斎(崇孚)に攻められて生け捕りにされるという事件が起こり、そこで鉄砲が使われたと聞いて、信長は鉄砲の価値を引き上げて、国友に注文を出したと私は考えています。

つまり、天文16年では、10丁程度の鉄砲を購入して満足したと考えております。

(もっと数は多かったかも知れませんし、少なかったかも知れません)

信秀も三河の戦いで鉄砲を使ったという話も残っています。

話は眉唾な伝承ですけど。



【追加の人物】

兜屋小左衛門:外伝オリジナル 武具商人(鉄砲塚町の駒屋小左衛門をベース) 

坂口作之助:外伝オリジナル 金山の刀鍛冶師。後の鉄づくりの親方


・鉄砲塚町(東区相生町):江戸時代にあった町。江戸初期に鉄砲稽古場と塩硝蔵とが設けられ東新町ともよばれた。


・金山神社は、承和年間(834~848年)、または応永年間(1394~1428年)に、熱田神宮の鍛冶職人「尾崎善光」が、鍛冶の神である「金山彦命」(かなやまひこのみこと)を勧進して創建したと言われており、この地は「尾張鍛冶」の発祥地にもなりました。


尾栓のおねじ=ボルト ⇒  ヤスリを使って手作業加工で製作。

銃身後端部のめねじ  ⇒ 鉄製のめねじ用のねじ型を使って鍛造加工。


◆ねじの歴史


天文12年(1543年)にポルトガル人が種子島に漂着し、2挺の火縄銃を領主の種子島時堯が買い入れました。

時堯は2挺のうちの1挺を、刀鍛冶の八坂金兵衛清定に与えて、製造方法を研究させました。

金兵衛は苦心の末に約1年で製造に成功し、火縄銃に「尾栓のねじ」が使われたのです。

この尾栓のねじは銃身の端末側に使われています。

銃身は八角形で、ねじ形式の部分は尾栓のねじを外して火薬や弾の残留物を取り出したり、望遠鏡の様に銃口を覗いて影のある所を叩いて銃身の曲がりを矯正するためです。

金兵衛にとって、「ねじを作る」事はそれほど問題にはならなかったようです。

「ねじの作り方」としては道具も揃っていないので、リベット状の軸に蔓または糸などをコイル状に巻き付けて、この螺旋に沿ってヤスリなどで加工したと考えられます。


小栗上野介忠順は「日本の近代化の父」とも言われております。西洋文明を目の当たりにし、その発展ぶりに驚愕し、1本の「ねじ」を持ち帰ったそうです。氏曰く「ねじは西洋文明の原動力なり」と有名な格言を残されております。

日本の近代化に歩む過程でも、やはり「ねじ」は重要なアイテムであったのだろうと言えます。

1850年代に成ると ヨーロッパで冷間鍛造機が開発されます。

当時、1/2インチ径のボルト二本の価格は、職人の日給の半分くらいだったそうです。

現在なら一本¥5000以上するのでしょうか?


ねじ山を成形するには、古くはねじ山を1ヶずつ、切削で加工していました。ねじを大量に使用する時代になって、「転造」と言う加工方法が開発されました。

「転造盤」又は「ローリングマシーン」と呼ばれる機械で加工します。

切削によって、ねじを作るのではなく、冷間塑性加工によって圧造します。

ホッパーと言う箱があって、ここにヘッダーブランクを投入し、1本ずつレール上に整列させ、ねじ山を切った鋼製の「転造ダイス」又は「ローリングダイプレート」に送ります。


ヘッダーブランクは、この2枚のダイプレートの間を、適当な圧力で押しつけられながら転がることによって、ブランクの表面にねじを成形する事ができ、文字の通り「転造」がピッタリの表現です。

転造ねじの特徴は、切削ねじと比較すると引っ張り強さが大きく、押しつけて、塑性加工によって作っているので、表面が硬くなっています。(加工硬化と言います)又、ダイプレートで連続生産しますからねじ精度の均一性が保てます。


〔株式会社ヤマシナの記事より抜粋〕

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