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二十四夜 魯坊丸、衣替え 

〔天文十六年 (一五四七年)初夏四月はじめ〕

今日から母上や侍女らは衣替えで大忙しだった。

冬の衣装を仕舞って、夏の衣装を出してくる。

荷物を持った女中が絶えず走っている。

また、冬に二枚の着物を貼り合わせ、大喜爺ぃが持ってきた綿を詰めた着物から綿を抜く。

こちらも大変そうだ。

俺も夏用の着物に替えられると部屋の真ん中でポツンと置かれた。

忙しい皆を眺めながら暇を持て余した。

福も時々にこちらを見るだけで手を止めずに作業に勤しんでいた。

でも、日差しが暖かく気持ちいい。

そんな慌ただしい城内を抜けて、廊下を歩いてきた義理兄の忠貞が俺の前で跪いた。


「魯坊丸様。田植えの準備が整いました。ご覧になりますかか」

「も、ぢ、ろ、ん、だ」(もちろんだ)

「明後日に晴れていますれば、田植えを行います。外出のご準備をお願い致します」

「わ、が、つ、だ」(わかった)


前月、農地改革のプレゼンテーションをした俺に養父は義理兄の忠貞を付けてくれた。

中根南城の北は丘の麓であり、城の前の道は平針街道から分かれた街道が延びている。

その先には、西に夜寒という街道村に繋がっている。

この夜寒村から徒歩で松巨島(まつこしま)に海を渡るか、舟で野並(のなみ)に渡って鎌倉街道に合流するか、旅人が好きに選択できる。

何が言いたいかと言えば、中根南城の南には海が広がり、城近くの南と東は湿地地帯となっているということだ。

鳴海方面から中根南城は攻め辛そうだ。

この湿地地帯と丘の境界に俺専用の稲作実験場を設けることが許された。

一つ分の実験場は畳十帖(たたみじゅうじょう)ほどの広さだ。

わずかな坂を利用して段々畑を作り、上の三つは乾田、中の八つが水田、下の三が湿田という感じで三×四の十二個の田んぼが並ぶ。

義理兄の忠貞が中根南城、中根北城(牛山とりで)、中根中城(菱池とりで)の兵五十人を使って耕した。

下の田んぼは元々湿地なので畑の周りに土を盛って区画整理するだけ終わったが、水田は大変だった。

近くの川から水路を掘り、水の出し入れをコントロールする板を設置して水抜きができる機能を用意させた。

板を置くだけの簡単な作りだ。

水は温まりにくく冷めにくいので、夏の暑い時期は朝に冷たい水を張ることで稲の熱中症を防ぎ、夕に水を抜いて通気を良くすることで生育を高めるとか?

俺も農業は専門外なので、細かいことを知らない。

色々と実験するしかない。

そう言えば、忠貞が木の鍬で掘るといくつも壊れたと嘆いていた。

金山衆の鍛冶師に頼んで、スコップ、つるはし、鉄の鍬などを注文しようと思っている。

一輪車も鍛冶師に注文していいのだろうか?

最後に乾田は水田より上で耕して終わった。

すべての田に山から土を掘り返した土を投入してもらった。

城を守る兵の半数が交替で、毎日農作業に勤しんだのだ。

ご苦労様。


「あ、じぃ、う、う゛ぇ。びぃ、り、う、ご、や、あ、ばぁ」(義理兄、肥料小屋は)

「肥料小屋であっていますか」


俺は頷く。

長根村の長は長根村に肥料小屋を建てる約束をしてくれたが、他の村までは約束してくれなかった。丸根村と中根村に命じるのは簡単だが、その他の村のことに口を出すのは憚れるらしい。

そこで養父の命令として肥料小屋を建てることにした。

費用は俺の小遣いである五貫文の内、毎月の二貫文を抵当として大喜爺ぃに手配してもらった。

しかし、小屋が建っても厠や家畜小屋から汚物を運んで貰わねば意味がない。

その管理は義理兄の忠貞にやってもらう。


「すでに、丸根村と中根村には、肥料小屋が建ちました。他の村は嫌がりましたが、年貢を五分下げる条件で納得して頂きました。ですが、本当に大丈夫なのでしょうか?」

「だ、い、じ、う、ぶぅ。あ、れ、も、う゛、な、つ、ど、く、じ、で、も、ら、つ、だ?」(大丈夫、あれも納得してもらった?)

「えっと。大丈夫……納得ですか。交渉の件ですな。納得して頂きました」

「な、ら、も、う、だ、い、な、い」(なら、問題ない)


肥料小屋を建てるのに納得した村は、田に山の土を混ぜ、苗と苗の間隔を均等に植え直すように命じた。これが出来なければ、五分の年貢削減はなしとさせた。

二十センチメートルという正確な『正条植(せいじょうう)え』でなくとも、一定の間隔を開ければ、風通しと日光量の増加で自然と収穫量が上がる。

最低でも一割増を見込んでいる。

だから、五分減らしても例年分の年貢は確保できると思う。

来年用に作った肥料を出来高の一割で売ることで、すべてを帳消しにする計画だ。

それをより確実にする為に実験が必要なのだ。

まず、今年は最適な間隔を探し、来年は肥料の配分比の最適量を探す。

それが終わってから品種改良の研究だ。

品種改良には長い時間が掛かるので、長根村の長に村上一族から五人ほど譲ってもらい、俺の家臣に召し抱えることになった。

読み書きができ、槍自慢でない者を撰んでもらう。

やって貰うことは稲の品種改良だからね。

その家臣に我が中根南城の近くの肥料小屋も管理してもらう予定だ。

その肥料小屋のみ特別仕立てだ。

普通の肥料はPh値が酸性にならない程度に石灰を投入する予定だが、我が城用の小屋は硝酸カルシウムができやすい配分にするつもりだ。

その堆肥から硝石を取り出す。

そうだ。

高くて買えないならば、自分で作ればいいのだ。

硝石があれば、いつでも氷を作ることができ、氷を使った冷蔵庫や、生クリームやアイスクリームなども作れる。

料理の幅も無限だ。う~ん、夢を広げるな~。


翌日、大喜爺ぃが五郎丸と武具商『兜屋(かぶとや)』を名乗る商人と金山の鍛冶師を連れて俺の元を訪れた。

俺の前に大量の硝石5kgが入った箱と二丁の鉄砲が置かれた。

一度、硝石が欲しいと大喜爺ぃに強請ったが、価格を聞いてびっくりした。

氷を作るだけなので、借りても返す当てもなかったので諦めた。

買うのを諦めたが、硝石を諦めた訳ではない。

三年くらいは作るのに掛かると考えていたが、目の前にその硝石がある。

欲しい。滅茶苦茶に欲しいけど…………この量は買えんぞ。

ちょっと無理⁉

魯坊丸日記 第二十四話 「衣替え」の裏舞台


硝石は一般的に火縄銃を撃つ為の火薬の材料として知られていますが、当時のヨーロッパでは、氷を作る為の道具としての意味合いが強かったと思われます。

古代ローマではワインを冷やすために雪や氷が用いられ、その氷を作る為に硝石が使われていました。

火縄銃の登場で火薬の意味合いが強くなりましたが、依然として生活に欠かせない道具だったようであり、魯坊丸も氷を作る道具として硝石を注文したのです。

一度は注文しましたが、価格を聞いて諦めたのです。

しかし、何故か、鉄砲に造りに欠かせない鍛冶師が同行してきました。

欲しがった意味を勘違いされたようです。


設定で、鉄砲の火薬1発(3g)で100文としております。

(異論がある方もいるでしょうが、確実な資料がないので推測で決めました)

ですから、硝石5kgは約167貫文(2,000万円)となります。

価格を聞いて諦めた魯坊丸は自分で作ることにしたのですが、何やら勝手に向こうからやってきました。


◆硝石(硝酸カルシウム)の価格

永禄年間(1558年~1569年)

火縄銃 1発に必要な硝石の量約3グラム。

硝石3グラムは、25文(3000円)


永禄2年、長尾景虎(上杉謙信)は足利義輝に謁見して、「鉄砲薬ノ方井調合次第」という本を頂きます。

そして、上杉家伝来の「鉄砲一巻之事」には

「足軽に一発、二発撃たせてみて、駄目なものを除き、適性がありそうな者には十発でも十五発でも撃たせてみて吟味すべきである。適性のない者に撃たせても玉薬(火薬)の無駄になるから、槍足軽にするように・・・」

とあります。

(25文(3000円)くらいでしょう?)


大友宗麟は硝石二〇〇斤を銀一貫目

永禄十一年頃

硝石二〇〇斤(120kg)を銀一貫目(792万円)

銀一貫=1,000匁=66貫文

(3g=約8文=約200円)


永禄年間でも 鉄砲一発の値段差が 九州200円、畿内3000円になります。


WEB版・小説版内、それより五年早い天文22年(1553年)の価格なので、贅沢品と考えて1発100文(1万2000円)として、足軽十人分としております。

但し、江戸初期になると秩父などで硝石作りが奨励されており、一気に価格が下がったと思われます。


1貫文 = 12万円

1文  = 120円

25文  = 3000円


本願寺証如の日記『天文日記』

天文二十一年(1552)十二月七日、本願寺は焔硝十斤を室町幕府の将軍・足利義藤(義輝)に献上した。


永禄十一年(1567)十月十七日、豊後の大友宗麟はマカオの司教ドン・ベルシオール・カルネイロ宛ての書簡の中で、自分が山口王の毛利元就に勝利するために、毛利氏が硝石を輸入することを一切禁止し、カピタンモールをして大友氏のもとに毎年良質の硝石二〇〇斤を運ぶことを求めている。宗麟はこの硝石二〇〇斤を銀一貫目、あるいは言い値で購入するとも述べている。


秩父地方は江戸幕府からの要請もあり、さらには祭りには必ず花火が奉納されており、火薬づくりが盛んだった。黒色火薬は硝石(硝酸カリウム)に硫黄、木炭を調合して作るが、日本に硝石の鉱脈はなく、民家の床下の土地から硝石を作る「古土法」という方法が考案され、戦国時代に全国に広まった。

江戸時代の換算相場は「金1両=銀60もんめ=銭(銅)4000文」

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