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十六夜 魯坊丸、ランビキの説明する

〔天文十六年 (一五四七年)春3月はじめ〕

三月になって中根南城にたくさんの職人がやっと来た。

これで浄水器が作れる。

我が城の大工を兼ねる庭師が土蔵の床の木をめくって準備をはじめていたが、一人で土蔵を浄水場に改造するのは無理だ。

千秋季光と大喜五郎丸が話し合った結果、浄水器の技能を熱田神宮に奉納することになった。

その技術を習得する為に、中根南城に職人と人手が派遣される。

これで材料費と手間賃がタダとなった。

加えて、熱田明神様のありがたい無病息災の神水が、神宮から周辺の商家に無償で配られる。

千秋季光はタダの水で滅茶苦茶な恩を押し付けるつもりだ。

有り難迷惑というのではないだろうか?

兎も角、水桶用の敷石が我が城に運ばれて、大手門の横に積まれていった。

この敷石って、三河でとれる御影石で割とお高いらしい。

銭に糸目はつけないと大喜爺ぃに豪語した五郎丸だが、その銭を熱田神宮に出させるとは、ちょい悪い奴だ。

千秋季光も乗り気なのでいいだろう。

木材の搬入や浄水器に入れる材料の準備などあるので、熱田神宮からの人手だけでは足りない。

そこで足りない分は村上一族の長に頼んだ。

小さな城を一つ建てる費用 (数万石 = 数万貫文)には遠く及ばないが、神宮の職人の日当は高く、高値の御影石を大量に買ったので、百貫文から二百貫文は掛かるらしい。

青い顔をされた養父が教えてくれた。

決めたのは五郎丸だ。俺の所為じゃない。


さて、その職人と一緒に来たのが、金山衆の鍛冶師だった。

熱田の東にある東村は、金山と呼ばれる鍛冶師が集まる地域であり、金山衆と呼ばれる。

ナント、羅牟比岐(ランビキ)で蒸留酒ができることを知っていた。

羅牟比岐が何であるか、どんな仕組みかは知らない。

琉球から流れてきた技術で、薩摩の方に美味い酒ができるという風の噂で知っていた。

鍛冶師の仲間内で知っていたが、その技術は当然のように秘匿されているようだ。

だが、地元の大工が焼酎の美味さを商人に自慢し、その商人から羅牟比岐がどんなものかと聞かれたが、金山衆の誰も詳しくしる者がいなかった。

それからも知ることが困難だったらしい。

酒に目のない鍛冶師が、何人も付いてやってきた。


「魯坊丸様。美味い酒を造る秘術をご存じとお聞きしまいた。どうか伝授してくだされ」

「ばぶぅ」(もちろんだ)

「魯坊丸様はお教えすると言っておられます」

「ありがたい」


鍛冶師らが美味い酒をこれで呑めると大喜びだ。

話していない内から歓声が上がる。


「ばぶぶぅ。おでがぼじででだぶ」(安心しろ。俺が教えてやる)


なんと言っても、鍛冶師の蒸留酒の先に消毒液がある。

成功してもらうぞ。

まず、福に書かせた『ぶんぶく茶釜』が三段重ねになった奇妙な絵図面を見せる。

気化したアルコールが飛んで、最上段の水の入った茶釜で冷やされて、落ちた水滴が中央の茶釜に集まる仕組みだ。

中央の茶釜に溜ったアルコールを外に流し出すのが肝要だ。

俺は水とアルコールの沸点の違いを教え、気化したアルコールを冷やして集める方法を教えた。

単純な原理を鍛冶師らは理解できない。

だが、奥の手がある。


「ばぶ」(見ろ)

「あちらに普通の茶釜を用意しました。よくご覧下さい」


福に説明した方法で鍛冶師を説得する。

茶釜が沸騰して、蓋が揺れるのを待った。

蓋が揺れ出してしばらくすると、その蓋をとって、蓋の裏の水滴を見せた。


「魯坊丸様は、この水滴を集める茶釜を造ってほしいそうです」

「そんなことに意味があるのか?」

「酒を沸かし、最初に入れた酒の量の一割ほどをこの水滴で回収して下さい。騙されたと思って作って頂けませんか?」

「作れと言われれば、作れなくはないが…………?」

「ばぶぶ」(とやかく言わずに造ってみろ)

「魯坊丸様が、騙されたと思って造ってみろとのことです」

「そういうことなら」


職人らが仲間内で相づちを打った。

さて、そこで構造を検討しはじめ、絵図面に近いモノができそうだという結論に至った。

実際に焼酎ができれば、目の色を変えるさ。

一度完成させてから、より良いモノを造れるように検討するつもりだ。

まずは、羅牟比岐で蒸留酒を作る所からはじめよう。

金山衆が絵図面を持って帰る。

話し合いが白熱して、もう日が高くなっていた。


魯坊丸日記 第十六話 「ランビキの説明する」の裏舞台


羅牟比岐(ランビキ)が九州の薩摩に戦国時代に上陸していたのが知っていたのですが、全国に知れ渡っていたのを知ったのは、WEB版の連載が終わることです。

戦国時代、天野酒造で復活した黄金の『僧坊酒』が存在し、帝や太閤秀吉のお気に入りだったと伝わります。

しかし、江戸時代に入ると、伊丹酒や灘の酒という端麗酒が一斉に世に出てきます。

どうやら室町時代に酒造りは確立しており、各地方に秘蔵酒が生まれていたようです。

『魯鈍人』の第二章では、知識チートの全否定をテーマにしております。

ちょっと過激な演出をしていますが、武士も職人も戦国人自身がチートだったと描いております。

つまり、知識チートがあっても、戦後人のチートが無ければ成立しないのです。

(第一章が知識チートで成り上がり、第二章で知識チートなんてなかった)

ですから、清酒と焼酎は戦国時代に存在していました。

しかし、よく調べてゆくと、九州の焼酎を知っていたものが多かったのでないかという文献が残っていたのです。

ウィキペディアにも、「永禄二年(一五五九年)に薩摩で焼酎が蒸留された可能性がある」と書かれているので、その辺りに齟齬はないと思います。

※. 鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社が補修された際、大工が残した落書き「焼酎も振る舞ってくれないけちな施主」というものが最古の記述が残っています。

その文献のニュアンスから、普通の大工にも焼酎が出回っていたことがわかります。

つまり、南九州では、貴重な酒であったが、門外不出の秘蔵された酒ではないとわかります。

種子島の鉄砲伝来が天文十二年 (一五四三年)であり、泉州堺の橘屋又三郎は鉄砲伝来を知ると、いちはやく種子島に赴き、二、三年後には鉄砲の製造技術と砲術を習得しています。

その伝達速度の速さから見れば、堺の商人らが大工を知る酒を見逃す筈がありません。


WEB版では、酒の次に、魯坊丸が焼酎を九州に先駆けて披露する感じで描かれておりますが、小説版では、職人の間で焼酎の存在を知っている前提で描かれております。

(一行か、二行であり、読者様に伝わるかは不明ですけど・・・・・・・・・・・・?)

 そこがWEB版から小説版での変更点の一つです。

なお、実際に広がったのは九州征伐や朝鮮出兵で九州の焼酎が全国に知れ渡ることになったと私は考えております。


そう言えば、

最近、韓国のキム研究所長が壬辰倭乱・丁酉再乱(※文禄・慶長の役)の時、倭将の相良頼房が酒を作る朝鮮技術者を大挙引き連れ帰った文献が見つかったと発表しています。

陶磁器職人を連れ帰った武将がいるので、酒職人を連れ帰った武将もいるでしょう。

この相良頼房は、連れ帰った捕虜で唐町を作らせ、その中の陶工が上村焼窯を開いています。

酒造り職人が居てもおかしくありません。

でも、どんな酒かと調べました。

肥後の酒は、豊後を中心に肥後でも生産されていた麻地酒(あさじざけ)と、加藤家の後に入った細川家が保護した赤酒が候補に挙がります。


麻地酒(あさじざけ)(あさじざけ)蒸し米と米麹、水を仕込んで密封し、土に埋めて翌年の立春の頃まで熟成させる濁り酒らしく、日出藩では暘谷城(ようこくじょう)の二の丸に麻地酒を貯蔵し、幕府への献上品としたと伝わっています。

ジョージアの伝統的な『土器ワイン』に似た作り方です。

(クヴェヴリ製法と呼ばれ、土器にワインを入れて土に埋めて熟成させる工法)

日本酒の起源とは別種の貴重な酒のようです。


赤酒は灰持酒(あくもちざけ)と呼ばれ、仕込み、「もろみ」に木灰を投入することで、酸敗を防ぎ保存性をよくするという酒であり、灘や伊丹の酒と類似点が多いように思われます。

確かに、清酒の起源と呼べる製造法です。

しかし、灰持酒で調べますと、奈良時代以前にお神酒としてつくられ、平安時代に編纂された古代法典である『延喜式えんぎしき』にも、その製造法が記載されています。

端麗な澄み酒は、奈良時代から平安時代にかけて確立していたことがわかったのです。

(※.神社などで秘蔵されており、世に知れ渡っていなかっただけなのですね)

口噛み酒 (口神酒)以外にも、伝統的な酒造りがあったみたいです。

つまり、最古の神社なら、灰持酒(あくもちざけ)の製法が残っている神社があったかもしれません。


朝鮮の酒は、高麗時代に宋や元の醸造法が導入され、古来の醸造法も発展し、麹の種類も小麦麹と米麹に分けられ、酒の品質も多様化したとあります。

蒸留酒は日本や中国などに頻繁に輸出されていたので、その職人を連れ帰ったのかも知れません。

種類は、天竺酒チョンジュクジュ美人酒ミインジュ黄酒ホアンジュ暹羅酒ソムラジュ紅麹酒ホンクックジュ東陽酒トンヤンジュ金華酒クムァジュ緑豆酒ノックッジュ戊戌酒ムソルジュ鶏鳴酒ケミョンジュ程郷酒チョンヒョンジュなどがあり、薬用酒が主ですが、その中の天竺酒は蒸留した焼酎だったようです。

清酒に影響したのではなく、焼酎の製法に影響したのではないでしょうか?

故に、朝鮮の清酒が日本の清酒の起源の可能性はまったくありません。

歴史的に逆行してしまいます。

しかし、トンでもない似非情報から貴重な情報を得たのです。


灰持酒の製法が奈良時代から平安時代に広がった可能性がでてきました。

当然、熱田神宮もその候補一つになります。

小説版を書きはじめた時点で、この事実を知らなかったので反映できなかったのが残念に思えます。

ホント、残念無念。

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