七十八夜 月夜の乱入者 (三雲三郎左衛門の件)
〔天文十九年 (一五五十年)2月15日〕
夕餉の後の地獄の特訓を生き抜いて、湯船に浸かって至福を感じる。
今日も生き残った。
お湯をかき混ぜながら紅葉が聞いてくる。
「若様。湯加減はいかがですか?」
「丁度いい」
「それはよろしゅうございます」
紅葉をはじめ、数人の侍女が石鹸を泡立たせて体を洗う準備を進めている。
着物の取り替えすら侍女任せ、一人で体を洗うとかさせてくれない。
風呂を造ったのはよかったが、一緒に入ってくる侍女に恥ずかしさで悶えた。
体の隅々まで洗われ、風呂から上がると、同じく水気を拭き取ってくれる。
前も後ろも真ん中もだ。
恥辱プレーか・・・・・・と最初は思った。
「島田の農地化が思っていた以上に進んでいたな」
「はい。山が一つ消えかけておりました」
「島田城も堀と石垣で落しにくい城になった」
「肝心の屋敷が完成しませんので、移転は先になりますが・・・・・・」
「まったくだ」
島田城の牧-長義は尾張守護・斯波-義統の弟・義長の子であり、格式を重んじ、プライドも高い。
拡張した堀と石垣に見合う城の建て直しを決め、立派な御殿を建てる予定だ。
ただし、護岸工事と堀・石垣に予算をすべて投じたので銭がない。
少数精鋭の宮大工で築造していた。
完成は三、四年先になる。
長義本人は住まいとなる奥御殿が完成するまで、家臣の屋敷を借りて住んでいた。
一年以上も主人が滞在される家臣の心情も複雑だろう。
「若様の真似をして、熱田の商人が土を買いたいと申し出た結果です」
「掘った土で水堀を作り、売った代金で石垣を作る。そこで止めておけばよかったのだ」
「まったくです。別屋敷を建て増しするに留めればよかったのです」
「中根家と牧家の家格の違いだろう」
中根南城は曲輪を外に広げて巨大な城に変貌した。
正門から見える表屋敷、家臣が多くなって機能しなくなった本屋敷は建て替えた。
しかし、養父、母上、俺が住む奥屋敷は見窄らしいままである。
側近や侍女、下人が住む屋敷も古い。
一方、曲輪内に建てた長屋は真新しく広々とした間取りの上に、ベッドなど完備している。
大外曲輪の外に建てている外壁はアーサー王のキャメロット城に似た壁だが、壁の外側に古びれた板を張り付けて、みずぼらしい城を演出していた。
見た目と中身がアンバランスなカオスな城だ。
景観を重んじる長義には我慢がならないのだろう。
「若様。熱田西の海岸湿地を埋め立てています。その土地に流下式枝条架併用塩田を作る計画ですがよろしいのでしょうか? 松巨島の島民は塩作りを商いとしております。笠寺の民に喧嘩を売る行為です」
「笠寺の山口宗家は今川家と通じていた。鳴海の山口教継は親父に恭順しているが、親父が死ねば、信長兄ぃに従うかは疑わしい。笠寺が離反したので塩が作れませんは拙いだろう」
「確かに。大喜家は塩を運んで儲けております。塩を運べなくなるのは問題です」
「今建てているのは保険だ。実際に塩を作るかは決めておらん」
中根家は湿地を埋めて新田を広げている。
しかし、護岸工事で出る土はすべて消費できない。
そこで熱田の西にある湿地を熱田神宮から超安値で買って埋め立てている。
埋め立てを目の当たりにした熱田商人も熱田神宮から土地を買い、島田から土を買って埋め立てはじめた。
手狭になってきた藏を増やすそうだ。
なぜならば、街道沿いに土地はあまっているが親父の許可がでない。
那古野が発展すると、熱田と那古野と二つの町を結ぶ街道沿いは貴重だ。
手を付けたくないので、信光叔父上に止めてもらっている。
だから、安易に手に入る土地を見て参入してきた。
埋め立ては割と時間と銭がかかる。
「西へ進めると前田家の領地とぶつかります」
「まだ、当分は境界を越えてないが、近づき過ぎるのは拙いな」
「境界をはっきりさせる事をお薦めします」
前田家の領地は、八ツ屋、荒子、松花、中野の海岸沿いに走る土手道(百曲街道)までだ。
しかし、先の湿地も埋め立てで水田にできると知れば、『わが領地だ』と主張する。
西にある中野村との境界線だ。
熱田神宮と中野村まで一里はあり、まだ半分の半分にも達していない。
しかし、半分に近付く頃には前田家が騒ぐかも知れない。
早めに手打ちは必要か。
つらつらと考えていると、のぼせそうになった。
部屋の近くまで来たとき、バタバタと部屋で待機していた侍女らが次々と庭に飛び出した。
庭を見た。
暗さにも慣れて、月明かりでも十分に庭を見渡せる。
何もない・・・・・・否、いた。
城の壁の上に立ち、仁王立ちで腕を組んでいる。
鎧武者が鎧を脱いだような直垂に、動き安さを追求した戦袴の姿だった。
対する侍女らは様々だ。
護衛役は忍者姿の黒装束、侍女役は着物姿に小太刀を構え、笛が吹かれると、渡り廊下から着物に籠手を装備した侍女も駆け付ける。
もちろん、屋敷の家来らも刀を持って走ってくる。
侵入者はしばらく壁の上で動かない。
味方を待っているのかと思ったが、そうではなかった。
庭に三十人が揃った
出払っている者、巡回している者、正門・外壁を警護している者、宿舎で待機している者、寝床に入っている者等々がまだ集まっていない。
しかし、一人が相手なら三十人で十分だろう。
俺の前に千代女とさくらと紅葉が並んだ?
楓は?
蝋燭を消した暗い侍女部屋からスッと出た銃身からズドンという音と一緒に火が飛んだ。
「くそぉ、避けられた」
楓が部屋から飛び出してきた。
鉄砲の銃声を合図に侵入者は壁を飛んで庭に乱入する。
飛び掛かる家来や侍女を避けて、手刀のみで対応する。
ヤバい奴だ。
まるで赤子を捻るように転がしてゆく。
何見姉さんと乙子姉さんが左右から数人の侍女を率いて挟み打ちにした。
「なんの!」
侵入者は自ら何見姉さんへ飛ぶ。
間合いを詰めて一撃で何見姉さんを撃沈させると、他の侍女を無視して乙子姉さんの懐に入った。
乙子姉さんと一緒に地面を転がると、むくりと侵入者が立ち上がる。
何見姉さんも遅れて立ち上がった。
しかし、肩を外され、足を引き摺っていた。
「さくら、楓、紅葉。気を引き締めろ」
千代女の張り詰めた声が響く。
遅れて、槍隊と鉄砲隊が正面から屋敷の脇を回って入ってきた。
だが、すでに侵入者と俺の距離はほとんどない。
侵入者の間合いだ。
現に俺を連れて逃げ出そうとした侍女の綾の足にクナイが刺さって倒れている。
俺が逃げ出すのも御法度らしい。
紅葉が俺の前に立つと、千代女が動いた。
同時に、黒装束の百合、薫、木通も飛び掛かり、味方の影にさくらと楓が付いてゆく。
六人掛かりで侵入者を抑えようとした。
千代女の一撃を手に装着した籠手で受け止めると、蹴りの一撃で千代女を引き離す。
そして、千代女が一度後退して、再度の攻撃に転じる隙に五人を沈めた。
「まだだ!」
千代女が叫ぶと、目の前にいた千代女の姿がブレる。
残像を残し、横飛びから渾身の一撃が侵入者を襲う。
千代女の小太刀が籠手と接触して火花を散らすに留まった。
刹那‼
腕を取られた千代女がふわりと体を浮かせて、弧を描いて地面に背中から叩き付けられる。
まるで千代女が自分から飛んだように見えた。
合気道の投げ、あるいは、柔道の空気投げのような技であった。
千代女は必死な形相で立ち上がろうとするが、背中から落ちた衝撃で口から血を吐いて咳込んだ。
終わった。
紅葉が死ぬ覚悟で攻撃を仕掛けるが、あっさりと沈黙した。
侵入者が間合いを詰め、勢いの儘に首元を抑え、壁に押し付けられた衝撃が走る。
ぐわぁ。
歯を食いしばって衝撃に耐えたが、次に為す術はない。
喉から手を放し、胸ぐらを掴み直す。
そして、もう片手が腰から小太刀を抜き、月明かりに刃が光った。
千代女が「止めろ」と叫ぶ。
「こんなモノか。鬼娘と呼ばれた望月の実力は?」
「若様に何かしてみろ。相打ちとなっても其方を殺す」
「くくく、威勢だけはよいな。だが、実力が伴っておらん」
「若様に近付くな!」
侵入者が俺を見据えた。
ボロボロになっても助けようとしてくれる千代女に感謝だ。
戦国の世は厳しいな。
備えても、たった一人に突破されてしまう。
白い目が俺を捉えた。
睨み返すしか抵抗できない。
「ふふっふ、気に入った」
そう言うと、俺を掴んでいた手を放し、さっそうと庭を掛けて去ってゆく。
何が起こったのか、俺も理解できないが、周りの者も唖然としていた。
壁を越えようとした頃になって、我に返った鉄砲隊が構え、鉄砲を放ったが、すでに姿はなかった。
一体、何だったんだ。
数日後、加藤順盛が侵入者を連れてやってきた。
城中の者が緊張し、武器を構えて遠巻きに見守る。
順盛が近江六角家に仕える重臣・三雲-定持の子で三郎左衛門と侵入者の紹介をした。
そして、加藤家の客将として加藤の名を与えたと言った。
順盛の紹介が終わると、俺を殺そうした侵入者は顔を上げて名乗りを上げた。
「この度、加藤家の客将となりました加藤三郎左衛門と申します」
ふざけるな!




