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六十七夜 帰蝶の熱田参拝

 〔天文十八年 (一五四九年)五月末〕

 信光叔父上のお陰で要らない仕事が増えた。

叔父上が帰った後に出仕可能な監督を集めて、配置換えの大会議を行った。

去年、水増ししたばかりなのに、また水増しだ。

 俺は忠貞義兄上に頭を下げた。


義兄上(あにうえ)、申し訳ござません。精鋭の黒鍬衆を解体し、育成に二十人、残る八十人を十人ずつに細分し、鍬衆九十人を付けて、八班の工事を指導する者とさせて頂きたい」

「魯坊丸、頭を下げる必要はない。元々、その予定だ」

「精鋭の百人を残し、下から選出する予定でした。しかし、その時間が無くなりました。今後は、中根北城の北側に訓練場を設置して、黒鍬衆の見習いと素質のある子供を同時に育てようと思います」

「子供であっても素質があれば、黒鍬衆に取り立てる訳だな」

「その通りです。ですが、育てるのは義兄上ではなく、黒鍬衆の十人です。二十人の内、十人を選んで下さい。そして、残る十人に見習いから九十人を選抜して、早急に新たな黒鍬衆を編成して下さい」

「了解だ。つまり、見習い黒鍬衆九十人を使えるように指導が俺の仕事だな」

「工事の総監督に加えて、黒鍬衆の再編成をお願いすることになります」

「問題ない」

 

 忠貞義兄上は頼りになる。

 護岸工事で村から民を動員して進めるので、他領主との打ち合わせは養父忠良に任せた。

 村三百石で十五人を課役に徴発できるが、租庸調(そようちょう)の庸に依存した労役はしない。

最大動員数に制限を掛けず、一日十文を支払う。

飛び入りも認めるが村単位で派遣してもらって村人に支払う。

但し、領主が上前を撥ねる最大額は二割とした。

つまり、村に最低一人当り八文の支払いが行われる。

ここが重要だ。

ドイツのアウトバーンを建設するときに工事を請け負った会社は受注した価格に対して作業員の賃金の割り当てが定められた。

公共事業で会社が儲けても作業員に賃金が支払われない事態を避ける法案を提出して可決させた。

必ず労働者に賃金が行き渡るようにした。

そのお陰でドイツは好景気となって経済の好循環が起こった。

農民に渡した銭を領主や村長に奪わせてはならない。

搾取されては意味がない。

支払った銭を使わせて、経済を回すのだ。

熱田の村々で銭が回るようになってきたように、周辺の村でも銭を使う喜びを教える。

そんな諸々の規約を領主らに教える交渉を養父してもらう。


「母は何をすればよいのですか?」

「母上は・・・・・・・・・」

「母は」

「お茶会をして貰いましょう」

「茶ですか?」

 

 茶とは、京や堺で流行っている茶道だ。

 しかし、形式にこだわり堅苦しくなって広まらない。

 南蛮式ティータイムを広めて貰う。

 アフタヌーンティーだ。

 養父と一緒に交渉に行き、相手の夫人らとテーブルに椅子を使って座ってお茶を楽しむ。

 美容によい茶、冷え性に効くお茶、お通じに利くお茶などを説明しながら、たわいもない会話を楽しみ、互いの情報を交換する。


「それは面白そうです。私が広めて見せましょう」

「よろしくお願いいたします。ゴボウ茶やどくだみ茶など、長根村に沢山のお茶を栽培してもらっております。売れ行きがよくなれば、皆も喜びます」

「魯坊丸に役に立つ情報も沢山聞いてきますよ」

「村が豊かになれば人が増え、兵を多く出せることなどの話も奥方から旦那様に届くようにお願います」

「当然です」

 

 母上にも仕事を振って喜ばせた。

 配置換えのおおまかな案を話し合うと、あとは奉行方へ丸投げだ。

 最初から完璧を求めず、問題を微調整した方が早い。

 しかし、人材面で綱渡りが続いていた。

 

 夕食の報告会を終え、風呂に入る。

 部屋に戻ってくると、確認の書類が積まれていた。

 薄い絵の付いた本程度の厚みだ。

 熱田から帰ってきた日のように山積みではない。

 俺はそれに署名しながら、千代女が読み上げる明日の予定を聞いた。


「明日の夕刻から月末の熱田衆会があります。明後日はお祓いが一件のみで、昼まで宝物庫の書籍を読む時間が取れそうです。昼から酒造所へ移動して月次報告を聞く予定です」

「祓いの一件は、帰蝶義姉上か」

「いいえ、帰蝶様は若様を指名しておりません」

「ちょっと待て。少し前に那古野の伊賀者から俺が熱田に向かう日取りの問い合わせがなかったか?」

「ございました。帰蝶様の護衛が直々に挨拶に訪れ、私が若様の予定をお知らせしました」

 

 帰蝶義姉上は護衛に丹波の忍びを雇って尾張に来たのだ。

 頭は若い娘で、年齢は千代女らと変わらない。

性格はさくらに似て、ひょうきんだそうだが、腕前が那古野を守る伊賀の頭と同等らしい。

那古野の頭目は気難しい信長兄ぃと対立しないように腕前より性格の良い者を選んだ。

戦闘技術は千代女にわずかに及ばない。

 つまり、帰蝶義姉上の忍びの頭は、千代女未満、さくら以上の強者だ。

 目付役の老人がさらに強そうだとか?

 ワザワザ、俺が熱田神宮に来る日に参拝するのにお祓いのご指名がないのが可怪しい。


「あははは、若様を恐れて指名しなかったのです」

「さくら、馬鹿か?」

「馬鹿とは何ですか」

「若様が恐ろしいならば、若様がいない日に参拝すればいいだろう」

「若様がいる日を知らないのです」

「ちょっと前に若様の予定を聞きに来ていただろう。忘れたな」

「ぐぐぐ、忘れていました」

 

 さくらと楓が漫才をしている。

 さくらが抜けているのはいつもの事だが、俺が熱田神宮にいる日を聞いて参拝しながら、俺を指名しないのは謎だ。

 そこで横に座っていた定季が「ごほん」と一度咳を切ってから説明してくれた。


「相変わらず、魯坊丸様はご自分の噂に鈍感ですな」

「定季、どういう意味だ?」

「そのままの意味です。魯坊丸様は元服もされていないのに織田家一門衆に列しております。信広様、信長様、信勝様、それに続く第四位、魯坊丸様は織田弾正忠家の家督を継ぐ候補でございます」

「その噂は聞き飽きた」

「魯坊丸様がそう想われましても、那古野の家臣は信じません。しかも帰蝶様の婚儀もまとめた取次の平手政秀、取次代の堀田正貞に次ぐ目付役です。しかも取次代の正貞が何度も足を運び、婚儀が魯坊丸様の一言で取り止めになると噂されました」

「あれは蝮殿の嫌がらせだ」

 

 交渉が膠着した年末。

 蝮殿は美濃の家臣を熱田神宮へ参拝させ、その帰りに那古野に寄らせた。

 その那古野の宴の席で、俺が婚儀に反対して仮調印を認めない。

このままでは同盟も婚儀も取り止めになるかも知れないという愚痴を吐いた。

 正式な使いではなく、あくまで愚痴だ。

 家臣の愚痴であって、蝮殿の苦情ではない。

 しかし、信長兄ぃを支える家臣はただの噂では済まない。

信長兄ぃと帰蝶の婚儀で信長兄ぃは斉藤家の後ろ盾を得る。

 信広兄上と家督を争う那古野の家臣にとって、斉藤家の後ろ盾を得ることで信長兄ぃが家督を継ぐ可能性がぐんと上がる。

 それに反対する俺が敵に見え、佐久間信盛を筆頭に抗議にやってくる者もいた。

 俺が家督を狙っている?

 信長兄ぃに斉藤家の後ろ盾を付けさせたくない理由が馬鹿らしい。

 ゲスの勘ぐりを憂鬱に思った。

 定季は話を続けた。


「ご自分のことでなければ、あの策が信長様と魯坊丸様の対立で帰蝶様の味方を作る策とお気づきになります」

「敵の敵は味方。共通の敵が入れば、仲良くし易いという奴か」

「斉藤家を後ろ盾とする那古野派、婚姻に反対する魯坊丸派、那古野の家臣を二つに割りました。佐久間信盛を筆頭に帰蝶様を擁護する派が生まれた訳です」

「あの嫌がらせは帰蝶義姉上を守る為の布石だったのか」

「彼らは帰蝶様と魯坊丸様が仲良くすることを嫌います。魯坊丸様が熱田神宮にいる日を確認しながら、お祓いで指名もせず、面会の申し出もない。つまり、偶然を装ってお会いになりたいと、御自分のことでなければ、すぐに察したでしょう」

 

 なるほど、俺が鈍感だった。

 帰蝶義姉上の忍びが俺の予定を聞きに来たのも理由があった。

 人目を忍ぶ為だ。

 期待に添わねばならんか。

 

 翌々日、帰蝶義姉上ははじめての熱田神宮に参拝した。

信長兄ぃの健康を祈願され、お払いが済むと、巫女に扮した紅葉の案内で庭を見学になり、宝物庫に向かう途中の俺とあった。

軽く礼を交わし、何気ない会話をした。

蝮殿は交渉のことをすべて帰蝶義姉上に話しており、俺は猫を被る必要はないらしい。

おっとりして抜けている感じだったが、洞察力が高く、頭の切れもよい。

帰蝶義姉上は俺と敵対する気がないと宣言されて、その日は別れた。

次の日、伊賀者を通してお礼の手紙が届いた。

どうして伊賀者に手紙を託したのかと返信を送ると、信長兄ぃは伊賀の頭目に会っている様子はない。

一方、俺の側には甲賀者が常におり、中根南城の中に伊賀者も多い。

伊賀者が守る酒造所へ入るのも俺ばかり。

伊賀者の雇い主が誰かはすぐにわかったと返事がきた。

少し勘違いをしている。

まぁ、そんな違いは些細なことだ。

肝心な忍びの管理者が俺だとあっそり見抜かれた。

やはり、蝮の娘も蝮だった。


帰蝶様と魯坊丸の会談は、【小説】魯鈍の人 第一巻 第四話「尾張に腰入れした帰蝶は麒麟に出会う」の帰蝶の回想で書かれております。

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