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六十四夜 水野家の裏切り

 〔天文十八年 (一五四九年)四月〕

 三月十九日に行われた安祥城の攻防の詳しい詳細が入ってきた。

 今川方の大将太原雪斎(崇孚)、副将朝比奈泰能が駿河・遠江・東三河の兵の指揮を取った。

 安祥城の東に本陣を置いて雪斎が指示を出し、泰能は城の西南にある大手門で遠江衆の指揮を取り、援軍が到着すると、軍を二つに割って親父と対峙したのが泰能であった。

 岡崎勢も援軍を阻止する隊と城を攻める隊の二つに分けた。

 親父は安祥城へ入れる隊を何度も編成し、阻止する隊が出てくると撤退させて、敵を自らの陣形に引き込んで叩くという消極的な戦い方をした。

安祥城の兵糧は十分あり、人質の竹千代を殺すぞと岡崎衆を脅し、岡崎衆を寝返らせる工作を続けていたからだ。

雪斎が今川半数を本陣から動かさず、岡崎衆の背後からいつでも襲えるようにしていたのは、岡崎衆の寝返りを警戒していたからだった。

 攻め手である泰能が散漫な攻撃に終始したのも、岡崎衆の動向を見計らっていたと思われる。

 岡崎衆は親父と雪斎の天秤に載せられていた。

 

「岡崎衆も憐れだな。雪斎には消耗を強いられ、親父から竹千代の首を落とすと脅された」

「大殿を怒らせれば、竹千代殿の命はない。本気で織田の援軍と対峙できず、蝿叩きのように出される安祥城への援軍を追い払うしかありません。一方、安祥城の信広様を捕らえねば、人質交換になりません。敵の大将を殺さずに攻めるのは骨が折れます」

「しかも味方の今川方は岡崎衆の寝返りを警戒して全力を出していない」

「その通りです。今川本隊を温存しました。その半分になった兵をさらに二つに割らせました。大殿は援軍が到着した時点で安祥城が落ちないと確信を持たれたようです」

「親父の見立ては正しいと思う。だが、安祥城を守っていた兵の損耗は激しかった」

「大殿は、それ以上の敵を討ち取りました」

「ほとんどが岡崎衆だ。また、それこそが雪斎の狙いだった」

「織田軍を利用して岡崎衆を弱体化させるとは、某も流石に思いつきません」

「岡崎衆のみで織田家を撥ね除ける力がなくなった岡崎衆を横目に、雪斎は今川の兵を岡崎城に堂々と入れ、岡崎城に勤める妻子を人質にした。俺にもそんな手は思いも付かない」

「まったくです。これで岡崎衆は妻子と竹千代を奪い返す手立ては信広様を人質にするしか、方法がなくなりました」

「竹千代を人質として利用できないようにする一手か。恐ろしいことを考える」

「太原雪斎は稀代の軍師でございますな」

「こういう手を使ってくる相手と心得て対峙しないと足元を掬われる」

「その通りでございます」

 

 報告する望月衆を前に家臣らや見習いに聞かせる為に集めて、俺と定季が声を上げて感想を口にした。

 次世代を育てる為だ。

 疑問があれば、手を上げることで質問を許した。

 見習いの一人が手を上げた。


「次に襲ってくるのは、いつでございますか?」

「秋だ。それ以上はわからん」

「秋ですか?」

「俺が義元なら、織田家を救援するように下知を飛ばした吉良義安様を弾劾する」

「兵を送らずに弾劾するのですか?」

「いいか、分家が本家を襲うのは、主人を襲う『下剋上』と同義だ。武士としての信用を失う」

「それは大変です」

「そうだ。不義理なことをした今川家に対して、三河の諸領主が反発すれば、今川家の三河支配が遠のくだけだ」

「三河衆がどれほど大規模な反発するのですか?」

「三河武士は意地の塊だ。頑固さなら天下一かもしれん。損得など関係なく、叛旗を翻して吉良義安様の味方になるだろう。そうならぬように今回の裏切りを弾劾し、反省を促し、諸領主に根回ししてから義安様の西条城を攻める。あるいは、義安様から兵を上げるように唆す。攻められたので反撃するならば、咎める者はいないからな」

「なるほど」

 

 義元がそんな面倒なことをするのも、今川家が足利一門だからだ。

 足利一門であることを武器に京の公家を味方に付けて、周辺の大名に対して外交で有利な立場を得ている。

 義元は信用できないと公家にそっぽを向かれた時点で、その有利性が崩れる。

 美濃の斎藤利政は守護を追放という不義理をした為に、尾張織田家、近江六角家、越前朝倉家などの四方を敵にすることになった。

 同じように、大義名分さえあれば、尾張織田家・甲斐武田家・相模北条家が三カ国同盟を結んで、今川を袋叩きする未来もある。

 義元はそんな危ない橋を渡らない。

慎重に一歩ずつ義安を追い詰めてゆく。

 つまり、次の戦まで半年は掛かる。


「それが理由で秋以降と推測できる」

「わかりました」

「はい。魯坊丸様、宜しいでしょうか?」

「なんだ」

「水野信元殿が今川方と接触し、織田家から寝返るという噂が流れております。その真偽は如何ですか」

「あれは半分嘘だ」

「半分ですか」

 

 去年、小豆坂の戦いの前に、刈谷城の水野信近が上ノ郷城の鵜殿(うどの)-長持(ながもち)に密書を送っていた。

 鵜殿-長持は義元の妹を妻にもらって準今川一門衆となった今川方の武将であり、東三河と西三河を隔てる三河山地の先っぽに城を構えている。

 水野家を警戒する知多千賀衆からの報告だ。

 衣ヶ浦(ころもがうら)湾の対岸にある緒川(おがわ)城の水野家当主水野(みずの)-信元(のぶもと)は非常に用心深い人柄らしく、弟の信近の動向を知らない訳がない。

 織田家の陣容を今川方へ漏洩し、今川方への繋ぎを信近に命じているのだろう。


「まず、水野-信近殿が今川方の鵜殿-長持と連絡を取っているのは事実だ」

「やはり、織田家を裏切っておったのですね」

「違うぞ。水野-信元殿は知多の小領主として公方様に献金を行っている。地頭職か、奉公衆の地位を頂き、織田弾正忠家に近い地位になろうとしている。水野家は同盟国であって家臣ではない」

「しかし、今川家と連絡を持つのは」

「それの何が悪い。俺の父上も義元に和睦を望む手紙を送るぞ。一国一城の主が外交を行って何が悪い」

「その・・・・・・・・・いえ、何も言うことがございません」

 

 俺に睨まれて見習いが声を萎めた。

 脅すつもりはなかったのだが、俺に反論するのが怖かったのだろう。

 俺は訂正を加えた。


「其方の推測は正しい。信近と長持との交渉は織田家を裏切る算段であろう。だが、それが本心とは限らん。今川方を騙しているのかも知れん。織田が今川に負けた場合に備えているのかも知れん。答えはどこにもない。推測するのは良いが結論を急ぐな」

「はい」

「俺も信元殿を信じておらん。だから、協力はしても技術は一切渡していない。密偵が送られてきているが排除させている。俺は信元殿をまったく信用していない」

「魯坊丸様が信じていないと言われて安心しました」

「今川方は織田家と水野家の同盟を破棄させたい。下世話な噂が流れるだろうが安易に乗るな」

「わかりました」

 

 水野信元も必死なのだ。

 安祥城が陥落すれば、水野家は今川家と国境を接するようになる。

 海戦なら今川軍と互角以上に戦える自信がある水野家も、陸路から攻められれば一溜まりもない。

 戸田家の二の舞は避けたい。

 そして、今川家が水野家を狙う理由は水路の確保だ。

 駿河から伊勢に向かう船の安全を考えれば、義元は知多半島の水野家を確保したい。

 だから、海上の安全を担保に密約を結んだのだろう。

 これは俺の推測に過ぎない。

 だが、そう考えれば史実の『桶狭間の戦い』が起こる前に水野家が滅ぼされていない理由に説明が付く。

 密約を交わし、水野家が寝返っていたから今川家は後ろを気にせずに進軍できた。

 もちろん、史実の『桶狭間の戦い』に水野家の者も織田方と参加している者もいる。

 織田と今川の双方に兵を出しておけば、水野家は滅ぶのは避けることがきる。

 それが水野-信元の策略だ。

 まだ裏切っていないのか、すでに裏切っているかはわからない。

 そうなると心して接してゆこう。


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