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十一夜 魯坊丸、離乳食になる

〔天文十六年 (一五四七年)春一月〕

正月の祝いは三が日で終わるものではないらしい。

養父は挨拶に何度も出掛け、挨拶にくる来訪者を迎えるので大忙しの日々が続く。

俺も呼び出されることが多かった。

年が明けて、一番変わったことは食事だった。

二歳になると乳母が乳を与えるのを控えて、離乳食が主食に変わった。

重湯(おもゆ)か、それとも麦湯(むぎゆ)のようなものを福が匙に掬ってくれた。

米やそば粉、豆、魚粉を混ぜた雑穀粥の上汁らしい。

それをお粥にせず、乾かせて丸めたものが兵糧丸(ひょうろうがん)と呼ばれる戦の非常食になるとか。

豆や魚粉も含まれるので、米だけのお粥に比べると栄養価も高そうだ。


「あぶぶぶ」(悪くない)

「魯坊丸様。美味しいですか?」

「ばぁぶ」(美味くない)

「そうですよね。私も苦手です」


重湯を与える福も美味しいと思わないというか、その雑穀粥が福らの主食になる。

これからしばらくずっと続く。

水飴を混ぜると美味しく食べられるようになるらしいが、赤子の離乳食には水飴を混ぜることはないと言う。

確かに甘いものを過剰摂取させるのは良くないと納得したが違うらしい。

赤子の体を心配して甘味を使用しないのではなく、単にお米の五・六倍もする高価な水飴だから勿体ないだけであった。

意外と世知がらい話だった。


「ばび、べでようか、がんばえるど、ばぶるだい」(だが、栄養価を考えると悪くない)

「え、い、よ、う、か? えっと『えいようか』で当たっていますか」

「ばぶ」(うん)


俺はタンパク質、脂質、糖質、ビタミン、ミネラルに分類される栄養価の説明をする。

これがバランスよく取れないと成長を阻害する。

例えば、白米で作る重湯になると、糖質の炭水化物が多くなり、バランスが悪い。

白米ばかり食べると、脚気というビタミン不足の病気になることもある。

俺がそう説明すると、福がケラケラと笑った。


「白い米など、滅多に食べることはありません」

「なでをだべる」(何を食べているのだ?)

(あわ)(ひえ)、麻の実、そして、偶に玄米を頂きます。侍女になってから、はじめて白い米を食べました」


福は領主の姫だった筈なのに貧乏そうだ。

福の説明だと、領主と言っても城を持たない小さい領主は大変らしく、戦で使う刀、槍、兜、鎧、馬を揃えねばならない。

米は戦の時に備えて残しておかねばならず、余った米を売って武具を揃える。

特に馬は餌代が大変らしく、領主の食事代より銭が掛かる。

だから、小さな領主は雑穀を食べて飢えを凌ぐ。

それは中根南城も同じらしく、養父や母上も雑穀を食しているらしい。


「ばぶふはばずじいぼか」(養父は貧しいのか?)

「いいえ、この中根南城は貧しい訳ではありません。奥方様の実家は熱田商人で財を貯めております。多くの献金を貰えるそうで十分な備えができるそうです。銭で困っているとか聞きません。ですが、贅沢はできません」

「ばぶ」(なるほど)


栄養価を気遣って雑穀の重湯にした訳ではないようだ。

そもそも味に問題ない。

乳の味もわからなかったが、重湯の味もわからない。

味覚がないのだ。

ただ、口を動かしていると、色々なものが食べたくなる。

味噌汁、豆腐、卵焼き、大根の煮物、ブリの照り焼き、肉じゃが、生姜(しょうが)焼き、筑前煮(ちくぜんに)、すき焼き、海老天、唐揚げ、ラーメン、牛丼、刺身、いなり寿司、スパゲティー、ピザ、コロッケ、ポテトサラダ、カボチャ煮、サツマイモ等々が脳裏に巡った。

思い出すと、益々食べたくなる。


「魯坊丸様。何か食べたいものがございますか?」

「なぶぼぢぶ」(何を言っている?)

「なにやら食べ物の名を呟かれておりました。なにか、食べたいのかと」


俺は料理を思い浮かべながら呟いていたらしく、福にわからない言葉がずらりと並んで困ったようだ。

俺は気にするなと言った。


「魯坊丸様。不思議な食べ物の名はわかりませんが、味噌汁ならば用意できます。次のお食事でお持ちしましょうか」

「ばぶ。ぞうか、みぞぢるなば、あぶか」(そうか、味噌ならあるな)

「味噌はございます」

「ばぶ」(頼む)

「承知致しました」


その日の夕刻。

久しぶりの味噌汁に感動して汁を啜ったが、やっぱり味は判らなかった。

こんなものか。


魯坊丸日記 第十一話 「離乳食になる」の裏舞台


戦国時代の離乳期は不明です。

・生後二ヵ月から果汁を与え、四ヵ月から離乳食を与える。

・一歳で乳を止める。

・二~三歳まで乳を与えていた。

資料は出所が不明なものばかりです。

十ヵ月くらいで歯が生え揃うのを待って離乳食に変わったという説は合理的です。

赤ちゃんも歯が生え揃うまでものを口にしたがりません。


縄文時代の離乳期とか、出土した子供の骨から調べたのかとかいう不明な資料もありました。

※江戸時代の18世紀以降に盛んに出版されるようになった育児書では、子供が生まれてから3年程度は授乳を続けることが推奨されていました。

〔江戸時代の育児書『小児養生録』作者:千村真之〕


江戸事態の離乳食は、重湯すなわち多量の水分を加えてよく煮た薄い粥の上澄み液を与えたとか。

その糊状のデンプンは、消化がとても良く水分と糖分それに少量加えた塩分を効率良く補給できる優れものだそうです。

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