089死線
■死線
竜生の走行速度は自動車並みで、こちらとの距離をぐんぐん詰めてくる。左足と右前腕を失って息も絶え絶えの俺に対し、助手席の新郷のおっさんが振り返って、何かを押し付けてきた。薄緑色に輝くそれは、紛れもなく『八尺瓊曲玉』だ。
「さっき磯貝さんに吐き出してもらったものだ。綺麗にしてある。飲め、夏原」
「ありがてえ……」
俺はその目玉のような装飾品を飲み込む。とたんにすべての疲れと苦痛が取れた。腕と足も生え出てくる――男性器も。
「……よし!」
唯さんは車をUターンさせて逃走に移っていた。磯貝さんは弾丸を撃ち尽くすと、空になった薬莢を捨て、いったん車内に上半身を戻す。そして新しい弾を装填し始めた。躍起になっている。
俺は彼女の拳銃を片手で柔らかく押さえた。磯貝さんが目をしばたたく。
「どうしたの夏原くん。放してよ、オロチを攻撃できないでしょ」
「俺が決着つけます。だから磯貝さん、あなたは……」
言い終わる前に、竜生の『爆裂疾風』の怒号がとどろいた。ワゴンが後部から浮き上がり、そのままひっくり返ってブロック塀に激突する。俺たちが悲鳴を上げる中、塀が崩れ、ガラスが砕け、車体がゆがみ、この世の終わりかと思うような破砕音が響き渡った。
車が停止する。俺はその間、磯貝さんを抱きしめて盾となっていた。もし曲玉を胃に含んでいなければ、俺の頭蓋骨は地面との摩擦ですり減って、脳みそが露出していたことだろう。
「大丈夫かおっさん! 山城! 唯さん!」
山城が苦笑した。
「僕は動ける、何とかね……」
新郷のおっさんも無事らしい。
「俺は大丈夫だ。唯……唯!?」
唯さんは意識がないようだった。額から血を流して反応がない。
新郷哲也が狂った。
「唯! 嘘だろ、唯! しっかりしろ!」
俺は曲玉を吐き出すと、ハンカチでそれを拭いて、おっさんに託す。
「唯さんに無理やりにでも飲み込ませるんだ、おっさん! 俺は竜生と戦ってくる!」
「分かった、必ず戻れよ!」
「もちろんだ!」
俺は天地が逆となった車から這い出た。アメの協力で急上昇する。俺がいた場所を『水流円刃』の円盤が通過していった。それは単なる通行人の中年を腹から真っ二つにする。彼は何の罪もないのに絶命させられた。
俺はいい加減頭にくる。オロチの一族は人命というものを何だと考えているのだろう。
「西川竜生! てめえ、関係ない人を巻き込むんじゃねえっ!」
ヤマタノオロチと人間のハーフのような竜生は、長い首をもたげて薄ら笑いを浮かべた。毒のしたたる言葉を吐く。
「夏原、貴様の持つ『天羽々斬の剣』さえ砕けば、この竜生さまにかなうものはなくなる。そんなに野次馬の死が辛いなら、その剣をそれがしに寄越せ。そうしないなら、これからも巻き添えは増えるだろうな」
「この野郎……!」
俺はぶち切れた。理性の糸が脳内で切断される。気がつけば、アメによる真空波の乱撃をオロチに見舞っていた。
「ぐはあぁっ!」
竜生の首が、胴が、腕が足が、俺の攻撃で両断されていく。彼は紫色の血しぶきを上げて後退し、アスファルトに片膝をついた。
『落ち着け! 落ち着け姫英!』
アメの叫びにより、俺は憤怒の生きた見本から元に戻る。天羽々斬の剣は俺をしかった。
『アホみたいに神気を使うんじゃねえ! それより忘れたのか? 奴を倒すには八尾刀すべてを引っこ抜く必要があるってことをな!』
そうだった。俺はその言葉に冷静さを取り戻す。見れば、竜生の体は両腕・両足――八尾刀がくっついてのぞいている場所から再生を始めていた。
それに、これは――俺は薄ら寒いものを感じる。竜生の全身はますますウロコが増え、もはや人間の形状すら無視するかのようであったのだ。
だが奴はまだ首の再生が遅れているせいか、八尾刀を使うための声帯を復元しきれていない。
今のうちだ。俺はアメを振りかぶった。
「まずはその右腕だ!」
俺は復活途中の右腕を切断する。そしてアメの切っ先でえぐり、右肘から一本、右手からもう一本の八尾刀をこそぎ出した。いずれも刀身のみだ。
ええと、『爆裂疾風』と『つぶて氷』か。俺はそれらを手にすると、まずはこう叫んだ。
「『爆裂疾風』!」
復元最中だった竜生が吹き飛ばされる。地面を転がって並木にぶつかって止まった。憎悪と怨嗟の声が漏れる。
「おの……れ……!」
オロチの頭が再生された! このままでは何か八尾刀を使われてしまう。そうはいくかと、俺は急いで二の矢を射る。
「『つぶて氷』!」
俺に向かって何かを唱えようとした奴だったが、それより早く大量の氷の弾丸が、竜生の上から降り注いだ。
「がぼぉっ!」
アスファルトにヒビが入るほどの強烈な雹の雨だ。オロチのウロコをつらぬき引き裂いて、紫色の血だまりが瞬時にできあがった。
俺はこの機を逃さない。すぐに奴へ駆け寄ると、その両太ももを衝撃波で切断しようとした。両足の計4本の八尾刀を奪おうとしたのだ。だが……
「『飛翔雷撃』!」
うかつだった。竜生の首は言葉を発するまでに急回復していたのだ。
俺は彼の右足からの稲妻に撃たれ、気を失った。




