085姉弟の最期
■姉弟の最期
「磯貝さあぁんっ!」
俺は深い衝撃に絶叫した。磯貝さんが殺された! 俺の、目の前で――
「てめえっ!」
気がつけば俺は、剣を振りかぶって昌伯に飛びかかっていた。この野郎、よくもよくもよくも……!
だが俺がアメを振り下ろすより早く、『口』の化け物が横から突っ込んでくる。ふん、胴を食われても構うものか。昌伯の寝ぼけづらをこの手で両断できれば――磯貝さんの仇を討てれば、もうどうなってもいい。
だが、そのときだった。
『おいおい、適当な攻撃してんじゃねえよ』
アメ――天羽々斬の剣が、俺の体を急上昇させる。『口』は獲物をとらえ損ねて虚空を噛んだ。
何をしやがる、この剣め。俺は憤慨する。しかし足下を見やって驚いた。
「磯貝さん!」
何と宮内庁の『文化継承室』特務員は、その頭をにょっきり生やしていたのだ。そうか、曲玉だ。彼女は八尺瓊曲玉を事前に飲み込んでいたのだ。
頭部を再生された磯貝さんは、血の塊を吐き出し、ぜえぜえと息をもらした。俺は彼女のもとに駆けつけたかったが、『口』の怪物が重厚な布陣をしいているため、近づくことすらできない。
西川一族の頭首・西川竜生が興味深そうに彼女を見下ろす。
「この回復力……! いったいどうなっておるのだ?」
そういえばオロチ一族は、一貫して八尾刀集めを最優先してたっけ。曲玉のことはよく知らないらしい。それはこちらに有利な点だった。
竜生が昌伯の持つ草薙の剣を見やる。それは沈黙し、磯貝さんの血を浴びても何の変化もなかった。
「何にしても、この女ではオロチさまへのいけにえにはならんか。やはり今の草薙の剣にはもっとも濃い血こそが必要なのだな」
俺は再び屋上に着地する。アメを構えてオロチ一族をにらみつけた。
「お前ら、人間の命をいったい何だと思ってやがるんだ。袋木先輩をはじめとして、今まで何人殺してきた? 10や20じゃきかないぞ」
憤怒が爆発しそうなほどに、俺の胸郭を内側から叩く。俺は激怒していた。磯貝さんが曲玉を飲んでいなかったら、彼女は即死していたのだ。非道もここに極まれりというものだ。
「何がヤマタノオロチの復活だ。てっきりお前らにはあれを飼いならす方法でもあるのかと思ったが、オロチはただ暴れまわっただけじゃないか。結局お前らは何がしたかったんだ?」
竜生は俺の発言を無礼と取ったか、眉間にしわを寄せる。
「オロチさまはこの腐った人間社会を浄化してくださる。今、早速ヤマタノオロチさまの死肉が高値で販売されているのを知らないのか? それを食ったものはオロチさまの一族に加わることになるのだ。いったん食べてしまえば、その子も孫もひ孫も、未来永劫オロチさまの一族となる。その中から、『目』や『口』の怪物を使役できるものも出てくるだろう。あるいはもっと素晴らしい能力を持ったものも、な」
俺は自分の顔から血の気が引くのを感じた。何て恐ろしい事態だ。老人は小さい目に異様な光をまたたかせる。
「まあ最初の計画では、オロチさまにもう少し暴れていただき、人間たちに絶望を味わってもらうつもりだったが――お前のその剣で亡きものにされてしまった」
計画は変更だ、と言った。
「草薙の剣を貸せ、昌伯。どうやらこの女は人質にもいけにえにもならないようだからな。わざわざワゴンに『目』を取り付けて、住みかを特定させたが、いらぬ苦労だったようだ」
「おじいさま、ひと息にやってください。僕は痛いのごめんです」
「分かっておる」
剣が昌伯から竜生の手に渡った。ん? 何をする気だ?
老人が目を閉じた昌伯に対し、刀を振りかぶる。俺はそうと感づいて叫んだ。
「や、やめろぉっ!」
「むんっ!」
次の瞬間、昌伯は祖父の手で袈裟斬りに斬られていた。孫は断末魔の悲鳴を上げることもなく、鮮血を撒き散らして屋上の床に倒れこむ。即死だろう。
「きゃああっ!」
突如目の前で展開された殺人に、磯貝さんが恐怖の悲鳴を上げた。竜生は草薙の剣を握り締め、殺した孫よりその刃を注視する。
「草薙の剣が浴びるように血液を吸っておる……! さすがはそれがしの孫だ。やはり凡俗のものよりオロチの血が濃いのだな」
竜生の体つきが変化し始めた。肩が盛り上がり、胴がすぼんで、足が太くなる。だがそれは固定せず、腕が伸びたかと思えば、腹部がタルのように膨らみ、太ももが細くなった。
安定しているのはその笑みだ。
「くははっ! 草薙の剣が、オロチが暴れておる! さあほとり、いくぞ!」
「はい」
老人が孫娘を一刀両断した。『目』や『口』の怪物が一斉に消滅し、ほとりは分割されて倒れ伏す。俺は思わず叫んだ。
「ほとり!」
竜生の血管という血管が浮き出て、その両目が真っ赤になる。首が伸び、肌という肌がウロコで覆われた。両の肘・手・膝・足から計8本の刃が飛び出て、体は2倍に巨大化する。
ヤマタノオロチと人間が融合し、ひとつとなったらどうなるか――そんな難問への答えが、今俺の眼前にあった。西川ほとり・昌伯の双子の姉弟が、その濃い血液が、オロチを復活させたのだ。




