081救出
■救出
オロチの首は動力が切れた機械のように、胴の上や過去のそれの上に倒れこんだ。すごい地響きと砂ぼこりを立てる。
俺は全長2メートルはあろうかという長剣――草薙の剣を手にして、その場にしゃがみこんだ。さすがに安堵のため息が漏れる。何せ、後もう少しでやられるところだったからな……
『おい姫英、イソガイとかいう奴を助けるんだろ?』
「そうだった!」
俺は息つく暇もなく、今度は胴体を斬り始めた。アメの発する光のおかげで電灯いらずだ。
「磯貝さーんっ! 俺です、夏原です! 生きているなら返事してくださーいっ!」
俺はすがるような思いで肺活量をフルに使った。紫色の血液と黄色の胃液が、切り進むうちあふれ出してくる。その一方で磯貝さんの返事は聞こえてこない。
大丈夫。彼女は生きている。胸を刺され、ヤマタノオロチに丸呑みにされても――きっと、彼女は生きている。生きているに違いないんだ。
そうじゃなかったら、辛すぎる……!
俺は目尻から流れ落ちる涙を腕でふいて、鼻声で同じ呼びかけを繰り返した。
そのときだった。
「磯貝さんっ!」
何と磯貝さんが、オロチの内臓でぐったり漂っていた。胃液による溶解で、その肌は痛ましいぐらいに火傷している。
だが。
「な……夏原くん……」
磯貝さんは変わり果てた姿でなお、俺の名前を呼んだ。俺はそのことに、ものすごい辛さとすさまじい嬉しさを感じた。
「いるわ……ここに……た……助けて……」
「もちろんです!」
俺は嗚咽をこらえつつ、磯貝さんの軽くなった体をオロチの体内から引きずり出した。
彼女は酷いありさまだった。服はほとんど溶けて、皮膚は大部分がただれている。放っておけば10分とかからず死ぬであろう状態だった。
俺は自分の喉に指を突っ込み、曲玉を吐き出した。服の下で男性器が失われるのを感じる。俺は磯貝さんの口を開けて、そこに曲玉を入れた。
「ごほっ、げほっ……」
吐き出す磯貝さん。俺は神にも祈るつもりで彼女にささやいた。
「飲み込んでください、お願いです、磯貝さん!」
もう一回。今度こそ……!
「んっ……ぐうぅ……っ!」
磯貝さんの喉がごくりと動いた。そのとたん――
「あれ、夏原くん……!」
彼女の体は完全に回復していた。ただれた皮膚が剥がれ落ち、その美しい顔があらわになる。まるで生まれたばかりのような、みずみずしい素肌だった。
俺は磯貝さんを抱きしめた。痣がつきそうなぐらい強く。その命が失われなかったことが、嬉しくて、嬉しくて……!
「よかった……! 本当によかった……!」
俺は泣きじゃくった。
上下の大事な箇所は見えていないとはいえ、服はぼろぼろである。磯貝さんはそれを気にして恥じらいつつ、俺と隣り合って座りながら、どうやって命を繋いでいたかを話してくれた。
「私は胃液のプールに落ちた後、何とか胃袋の壁のような場所まで泳いだの。胸の傷が痛くて苦しかったけど、頑張ったわ。そして、行き止まりに向かって残り一発の弾丸を発射したの。開いた穴から噴き出したオロチの血を、息も絶え絶えで飲み込んだわ。それで胸の傷は回復した。私もオロチの一族になったのかな? それ以外に助かる方法はないと思ってたから、狙いどおり成功して嬉しかったわ」
周りではヤマタノオロチの尻尾と胴体が山をなしている。朝日が暗闇を一閃でほふり、物体に長い影を従わせた。
「でもせっかく開けた穴はすぐに閉じて、血液の流れも止まってしまった……。また私は絶望の崖に立たされたわ。それでもあきらめず、きっと誰かが助けに来てくれるって信じて、胃液の中で待ってたの」
磯貝さんは満幅の感謝を示すように、俺の頭を手で撫でた。
「ありがとう。夏原くんがいなかったら、私は死んでた。心からお礼を言うわ」
俺は照れて鼻をこすった。嬉しいなあ。幸せだ……
「おーい、夏原! 磯貝さん!」
私立探偵・新郷哲也が、助手の唯さんと山城を率いてこちらへ登ってくる。足の傷がまだ完全に癒えていないってのに、無理しちゃってまあ。
『おい姫英、俺はしばらく必要ないだろ。その腕に住まわせろ』
天羽々斬の剣――アメが俺の承諾なく、勝手に俺の右腕に入れ墨と化して貼り付いた。まったく、勝手な奴だ。とっとと石上神宮に帰りゃいいのに。
ああ、と俺は気がついた。そのための神気が尽きているのか。
俺は立ち上がって仲間に手を振った。かたわらに転がっている草薙の剣は、もう異様な瘴気を発することも、空間を歪ませることもない。おそらくこの剣もまた、オロチとともに死んでしまったのだろう……
と、その草薙の剣が急に持ち上がった。え? 持ち上がった?
よく見れば、『口』の怪物が草薙の剣をくわえて飛び去っていくところだった。そしてその行き先は、切断された尻尾の上で陽光を背にする、背の低い少女――
西川ほとりだ!
「生きてたのか……!」
俺がにらみつけると、彼女はふんと笑った。
「オロチは再び殺され、草薙の剣はその力を失った。でもオロチは何度でも復活するわ。私たち、オロチの一族がいる限り。おじいさま――西川竜生が生きている限り……」
脇へ上ってきたのは、彼女の双子の弟・昌伯だ。その腕に草薙の剣が痣として収まる。
「さらば!」
ほとりは『目』の化け物を召喚すると、その髪の毛につかまった。昌伯も別の『目』に取り付く。そして、西のほうへと飛び去っていった。




