078天羽々斬の剣
■天羽々斬の剣
俺は粉砕される山頂から、際限ないと思えるぐらい落ちていった。木や岩、石に砂が、土石流のように表面を滑り落ちていく。俺はその中で必死に取っ掛かりを探り、どうにかつかまってそれ以上の転落を防いだ。
ヤマタノオロチの勇壮かつ壮烈たるその姿は、見られない人が気の毒に思えるほどすさまじいものだった。八つの頭はそれぞれが別の生き物であるかのようにのたくり、長大な首を鞭のように振るっている。ちょっとした山ひとつ分に思える巨大な胴体は、その内部に太陽を保持しているかのように輝いていた。そして八つの尾。草薙の剣を内蔵するそれが、いったいどれか分からないほど、巨獣は滑らかに尾をばたつかせていた。そうした体の表面を覆うウロコが、どれもきららかで美しい。
しかし目の前のそんな光景は、今の俺にはどうでもよいぐらいだった。
俺は絶望の檻にとらわれていた。磯貝さん。俺の恋焦がれる人。その人が、オロチに飲み込まれた――
「ちくしょう!」
俺は土砂を拳で殴りつけた。彼女はその直前に胸を刺されていたし、もう生きてはいないだろう。あんな可愛くて格好いい人が、どうしてこんな目に……!
と、そのときだった。
ヤマタノオロチの頭のひとつが、俺目がけて襲いかかってきたのだ。俺は急に現実に戻って、あわてて岩から手を離した。間一髪、オロチの頭は俺を食い損ねる。別の首が怒ったような鳴き声を上げた。それは信じられないほどの肺活量と重低音で、びりびりと俺の五体を震わせる。
俺は坂道を転がり落ち、山道で止まった。効果が鈍ってきているとはいえ、やはり曲玉が胃袋に収まっていることで、体の傷はすぐに治る。昌伯のデコピンで俺の肩に命中した弾丸も、傷跡ごとごっそり消えていた。
「おうい! 夏原か?」
駆けつけてくるものがある。新郷のおっさんと、その助手の男女ふたりだった。彼らは無事だったみたいで、懐中電灯の光で俺を照らしつつやってくる。俺は合わせる顔がなかった。
「すまねえ。ヤマタノオロチの復活は止められなかった。それに、磯貝さんもオロチに食われて……。本当にすまん」
赤子の鳴き声と雷鳴と、それから岩石を削るような破砕音。それらが渾然一体となったうなり声が、オロチのそれぞれの口から発せられた。あまりの声量の大きさに、こちらの鼓膜が破けてしまいそうだ。
それを聴くうち、俺はだんだん腹が立ってきた。磯貝さんを食ったヤマタノオロチと、それを防げなかった情けない自分自身に。
「おっさん、どうすりゃいい。どうやったらオロチを倒せるんだ?」
新郷は、「またとんでもないこと言い出したな」といった表情をありありと浮かべる。しかし、少し考えてつぶやいた。
「『天羽々斬の剣』なら……もしや」
その固有名詞には覚えがあった。確か新興宗教の教祖・勝間龍覇が言ってたっけ。
『スサノオが十拳剣「天羽々斬」でヤマタノオロチを倒した』。
「それだ! その剣はどこにあるんだ?」
「あのなあ……。天羽々斬の剣は奈良県の石上神宮に安置されているんだ。とても取りにいける状況じゃないぞ。第一、行ったところで宮司が貸してくれるわけもないしな」
島根県から奈良県までドライブしてる間に、ヤマタノオロチは人間を食い尽くしちまう……。俺は絶望的な状況に暗澹とし、その場で両膝をついた。思わず地面を殴りつける。
「ちきしょう……!」
せめて磯貝さんの遺体を取り戻し、正式に弔ってあげたい。
天羽々斬の剣があれば……天羽々斬の剣があれば……!
そのときだった。山城が叫ぶ。
「何だあれは!?」
俺が見上げると、遠くに光の塊が現出していた。それはだんだん大きくなって、こちらを目指して飛んでくる。UFOか? あるいは何かのヘリなり飛行機なりか?
いや、そのどれとも違う。なぜならそれは、ゆるやかに減速すると、俺の至近の宙でぴたりと止まったからだ。
「剣!?」
唯さんが仰天していた。俺はその片刃鉄刀に手を伸ばした。刀身が少し欠けている。
「まさか……天羽々斬の剣?」
持ってみたところ案外軽い。刃渡りは1メートルぐらいか。ちょっとだけ試し斬りしてみると、目の前の硬そうな岩が真っ二つになった。俺も一同も仰天する。
そのとき、突然刀が震えた。
『おいおい、俺さまにつまらねえもん斬らせてんじゃねえよ!』
俺はヤマタノオロチの咆哮で、いい加減耳がおかしくなったのかと思った。新郷のおっさんや山城、唯さんがまばたきをする。彼らにも今の悪童のような声が聞こえたのか!?
「おい、今のは……」
また真剣が微細動した。声に怒りが含まれている。
『俺さまはお前らの目の前にある剣だよ。「天羽々斬の剣」とは俺さまのことだ。石上神宮からひとっ飛びしてやってきたぜ、曲玉の大将さんよ!』




