075目的地
■目的地
「姫英。おい、姫英!」
小碓命のすずやかな声から一転、よく耳になじんでいる低音の声が鼓膜を叩いた。俺は弱々しく目を開ける。
「何だ……新郷のおっさんかよ……」
「大丈夫か、お前。本当に何でもないのか?」
俺は自分がワゴンの最後部座席に寝かされていることに気がついた。夏なのに外套を毛布代わりにかぶせられている。
「あれ、俺はどうなったんだ? 確か、草薙の剣に頭から両断されて……」
「どうやら記憶もばっちりみたいだな。安心しろ。お前は全身を曲玉の力で再生された。ちと時間がかかったがな」
揺れている。車はどこかを走行しているみたいだ。
そこで、俺は自分が女の体に戻っており、なおかつ全裸であることに気がついた。外套さまさまだ。
「俺が斬殺された後のことを教えてくれよ」
「よし、分かった」
新郷のおっさんは煙草を吸いつつ教えてくれた。
まず10割の草薙の剣は、俺を丘ごと真っ二つにした。俺は脳天から股まで綺麗に両断され、鮮血を撒き散らして倒れた。
俺の肉体が再生しないことに満足した西川昌伯は、腕に草薙の剣を収納すると、ベンツに乗って仲間ともどもその場から立ち去った。『口』の怪物たちは、そのときほとりの手で一斉に消し去られた。
その後、曇天から雨が降り始めた。それを気つけに目覚めた山城は、新郷と唯さんを起こし、俺のもとへ向かった。完全に死んでる俺を見て、新郷のおっさんは柄にもなく泣いたという。
だが俺の肉体は再生し始めていた。非常にゆっくりではあったが、胴が復元され、手足が生え出したらしい。
そこで唯さんが俺を抱きかかえ、山城は新郷に手を貸して、そろって丘から下りていった。雨でびしょ濡れになりながらワゴンに乗り込んだ。石彫公園から離れた直後、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきたという。
間一髪、警察によるわずらわしい事態を避けることができた……
すると『八尺瓊曲玉』はいまだ俺の腹にある――というか、斬られて真っ二つになった後、片方の体の胃袋に残っていたわけだ。傷ついたり壊れたりすることなく。そうして俺を再生してくれた……
「でも何でこんなに回復が遅かったんだ? それに、何で俺は女の体に戻ってるんだ?」
優男の山城光輝がうながす。
「吐き出してみたらどうだい、夏原くん」
「そうだな」
俺は喉に指を突っ込み、曲玉を吐き出した。それには極端な変化がある。
「光ってない……!」
そう、曲玉は初めて見たときからずっと、薄緑色の光をほのかに放っていた。それは今、単なるメノウの装飾品のように、一切輝かず手の平にあったのだ。
「曲玉の力も有限だったってことか……」
新郷が紫煙を吐き出す。
「まあいい、夏原。服を着ろ。探偵稼業の小道具として車に一式仕舞ってあるんだ。その外套のようにな」
「向こう向いてろ、ふたりとも。俺は男だろうが女だろうが、少なくとも露出狂じゃないんだからな」
「へいへい」
新郷のだぶだぶの服――長袖だ――で身を包むと、俺は早速さっきの夢――現実感がすごかったが――の話をした。
「小碓命? そりゃヤマトタケルの幼名だ」
「マジかよ」
英雄ヤマトタケル。草薙の剣で草をなぎ払い、炎で焼け死ぬところを助かったという逸話のある神さま。それは宝刀の名の由来でもある。
あいつ、そんなとんでもない奴だったのか……
「小碓は言ってたぞ。『オロチの死せる場所へ行き、これを阻止するんだ』ってな。もしこれが夢ではなく本当のことなら、西川ほとり・昌伯率いるオロチ一族の目的地も分かろうってもんだ」
唯さんが赤信号で停車させ、ワイパーの動きを早めた。
「ヤマタノオロチがスサノオに倒されたのって、確か島根県仁多郡横田町付近のはずよ」
山城が感嘆の吐息をもらした。
「ほう、桧垣さん、よく分かりましたね」
唯さんは照れたように頬をかいた。
「これでも割りと勉強熱心なほうなんですよ、私。もっと言うと――スサノオは奇稲田姫と結婚する代わりにヤマタノオロチを倒しました。その奇稲田姫の名の由来が、その横田村にあった『稲田』という地名なんです」
それだけじゃありません、と彼女は言った。
「その近く、『船通山』の頂上には、『天叢雲剣』――草薙の剣の別名です――の碑が置かれているんです」
新郷はヘビースモーカーらしく、新たな煙草に着火した。
「さしあたって有益な情報はそれだな。ただ、ヤマタノオロチがこの世に復活するかもしれないなんて、そんな荒唐無稽な話じゃ警察は動いてはくれないだろう。かといって俺たちだけじゃどうしようもないしな」
俺は弱気で引き気味の私立探偵に怒鳴った。
「『どうしようもないしな』じゃねえよ! 磯貝さんがさらわれたんだぞ! ほとりは言っていたぜ。『オロチは綺麗な女が好み。この磯貝とやらを、オロチへのいけにえにしましょうか』ってな! 磯貝さんを助けるためには、俺たちが行くしかないんだ!」
おっさんは俺を眺めた後、自分の両頬を両手で叩いた。
「……そうだったな。よし、唯。島根県へやってくれ」
かくして俺たちは、一路船通山へ向かった。




