074小碓命
■小碓命
ああ、俺は死んだ。死んでしまった。たった16年の短い生だった。
だってそうだろう? 俺が寝ていたのは綿のような雲海だ。それと蒼穹以外、何もない空間にいるのだ。思わず笑ってしまうほどの典型的な天国に、俺は失笑する。まるで漫画だ。
俺は自分の服を見て驚いた。六田高の制服じゃないか。もちろん男のものだ。神さまは俺が召される際、サービスでシンボルマークとも言うべきこの格好にしてくれたのだろうか。
俺は上半身を起こしたまま、今にも天使が上から降りてきて、俺を次の生へ導いてくれるものだと考えていた。いや、それはずうずうしいか。下から悪魔が這い上がってきて、俺を無間地獄へ引きずり落とすほうがまだありそうだ。
そう、俺は神田周平と勝間龍覇を殺害した、罪深き人間なのだから……
それにしても、あの後新郷のおっさんたちはどうなったんだろう? 西川姉弟とその一族は、どうもどこかへ向かったらしいけど。
そう、ヤマタノオロチの復活。あいつらはそれが最終目標みたいなことを言ってたっけ。小型犬のような可愛らしい見た目のオロチなら歓迎したいところだ。けど、まあ『口』や『目』の怪物のような、もっとおぞましい化け物なんだろう。
神話のヤマタノオロチは、八つの門に八つの首を突っ込めるほど巨大だった。そんな山のような魔物がこの世に降臨して、無事で済むわけがない。西川ほとりはそんなオロチをコントロールできるのか? 思いどおりに使役できるのか? それもまた疑問点のひとつだった。
暇だ。この空間にきてからだいぶ経った。1時間か? 2時間か? 太陽がないのに明るいままだから、時間の感覚がおかしくなってくる。もういい加減、何か変化があってもよさそうなものなのに。
と、そのときだった。
「人が来るとは珍しいな」
背後から急に声をかけられて、俺は心臓が潰れそうなほどびっくりした。ぱっと離れて、そののち振り返る。そこにはひとりの少女が立っていた。綺麗だ。まずは単純にそう思った。
それからその服の古臭さに目がいった。いや、着物自体は龍の刺繍が施され、豪華絢爛そのものである。ただ、どうにも時代がかっている。まるで古代の日本の民族衣装のようなのだ。
腰には長剣が鞘に収まって、腰帯にたばさんである。足は素足。髪の毛は真っ黒で、背中へ滝のように落ちていた。
「女――じゃないな」
俺は彼女――ではなく彼をそう識別し直した。女装した男子。そう認識したのだ。女にしては肩や顔ががっしりし過ぎているし、男ならそのりりしい眉毛も納得がいく。
少年は頭をかいて恥ずかしそうに笑った。
「ばれたか。でも……」
彼は俺を純粋な瞳で観察する。笑み崩れた。
「きみも女なのに男の格好か」
ばっちり見抜かれた。俺はあぐらをかいて仏頂面を作る。少年は俺の隣に座り込んだ。
「私も男なのに女の格好をさせられてる。似たようなものだ」
そこで、彼はふと気がついた、とばかりに自己紹介した。
「名乗るのが遅れた。私は小碓命。きみは?」
俺はいつの間にか、彼に警戒を解いている。そうさせる親しみやすさが、小碓命にはあった。
「俺は夏原姫英だ」
小碓命は両手を頭の後ろで組み、雲海に寝転がった。
「実は、きみがこの場所に来ることは、ある程度分かっていた」
「へ? どういうことだ」
「私は未来が見通せるんだ。他人のそれは4割くらい。自分のそれはほぼ完璧に。すごいだろう」
「そいつは……すごいな」
この空間は何だ、お前は何者だ、俺は死んだんじゃなかったのか。いろいろ聞きたいことがあるはずなのに、俺は奇妙にも、未来を見通せるという彼の話を最優先していた。
小碓命は気分よさそうに目を閉じる。
「すごいけど、それだけだ。これから私にはさまざまな未来が待っている。自分の末路さえ、な。それをあらかじめ知ることは、正直つらい……」
重々しい実感が、その言葉には込められていた。俺は何も言えない。言えるわけがない。
「姫英。もしきみが望むなら、きみの未来をできる限り話してあげよう。どうする?」
俺は沈思黙考した。未来、か。草薙の剣で断ち割られて、未来も何もあったもんじゃないと思うが……
でも俺は、口を開いて断った。
「いや、いいよ。小碓がつらく感じているのはよく分かったけど、それならなおさら、俺には何も話さないでくれよな。未来は分からないから面白い、手探りだから楽しい。今ここで小碓と会って話をしているのだって、知っていたら興ざめだ。そうだろう?」
小碓命は微笑んだ。立ち上がって万歳し、両腕を伸ばす。
「やっぱり私は、人間に生まれたかったよ」
え? 人間じゃないのか? 彼は俺を見下ろした。
「姫英、きみの世では草薙の剣がオロチの復活に使われようとしている。オロチの死せる場所へ行き、これを阻止するんだ。いいね」
小碓命の体が透き通っていく。俺の目の前で、彼は背景に溶け込んで消えた。
「おい、小碓……!」
そのときだった。世界が暗転したのは。




