073絶命
■絶命
磯貝さんはその髪の毛をつかまれて、西川ほとりのもとで気を失っている。顔は青ざめ、その手にあるはずの拳銃は消えていた。
「夏原! こいつを殺されたくなかったら、大人しくその八尾刀をあたしに渡しなさい! そうしたら仲間の命は助けてあげるわ」
「てめえ、磯貝さんに何をした!」
「ちょっと頭を殴っただけよ。『口』に体当たりさせてね」
俺は新郷のおっさんたちはどうなったんだと、元いた場所を見た。驚愕した。おっさんも山城も唯さんも、ぐったりと倒れているではないか。
「こ、殺したのか!? みんなを!?」
ほとりはぶうたれた。
「だーかーらー、『口』を歯を閉じた状態でぶつけただけよ。殺す気なら最初から噛み千切ってるわ。六田高の生徒みたいにね」
俺は頭上を見て驚き恐怖した。何十匹もの『口』の怪物が、うようよと宙を舞っていた。彼女はいったい何匹同時に使役できるんだ?
昌伯がまた仲間を斬った。ダメージを回復して立ち上がる。
「この野郎、殺してやるぁっ!」
「待ちなさい昌伯」
獰猛な猟犬のような昌伯が、ぴたりと動きを止めた。
「でも、姉さん……!」
「いいから」
「くそっ……!」
双子の弟は5割の草薙の剣を下ろす。無念そうにうなだれた。
ほとりは俺に対して片目を閉じた。頬に人差し指を添えて口角を持ち上げる。
「夏原とその仲間って、あたしたちを傷つけても殺しはしないのね。そこは好感持っちゃった。だからあたしもお返しに、その八尾刀を譲ってくれたら、もう手出しはせず引き上げるわ。どう? いい条件でしょ。それとも……」
不意に、その表情に凍土の寒さが満ちる。
「この『口』の怪物たちと、草薙の剣とを前に戦ってみる? 仲間を皆殺しにされた上で、ね」
俺は奥歯を噛み締めた。草薙の剣を振るう昌伯もたいがい恐ろしいが、その姉のほとりはさらに段違いの怖さだ。そのことがようやく身に染みて分かった。
ほとりが磯貝さんに『口』の化け物を近づける。
「ほら、返事は? あたし、気は短いほうよ」
「……った」
「え? 何?」
「分かった。『爆裂疾風』を渡す! 渡すよ! ……だから、もう仲間には手を出さないでくれ」
「物分かりがいいわね。好きになりそう」
俺は八尾刀を目の前に放った。『口』がくわえてあるじのもとに持ち帰る。
「確かに。……昌伯、これで草薙の剣が10割になるわ!」
何? 俺はよく見てみた。なんと、『放射火炎』『飛翔雷撃』『つぶて氷』の3本が、すでにほとりに仕える黒服の手にあるではないか。どうやら俺の仲間を気絶させたときに奪い取ったらしい。
昌伯はその黒服を草薙の剣で斬り伏せる。文句も悲鳴もいわず、彼は死んで倒れた。3本の八尾刀と『爆裂疾風』、そして草薙の剣が、噴き上がる血の中で合わさる。
その瞬間だった。
「うわっ!」
まばゆい稲妻が天より地に落ちる。それは草薙の剣をしたたかに打ち据えて、次いで暴風と轟音を巻き起こした。
石彫公園の観光客の多くはすでに逃げ散っていたが、危険を顧みない一部の客は、遠巻きにこちらを見守っていた。だが彼らもこの落雷には驚愕し、とうとう一目散に逃走していった。
俺は影が躍る視界で、全長2メートルはあろうかという長剣を見た。昌伯が空に掲げるその宝刀こそは、10割の、完全体の草薙の剣だった。
その刃は黒い瘴気をもうもうと噴き上げ、今にも燃え上がりそうなほど激しくきらめいている。周囲の空間が軋み、たわんで、まるで今にも異界へ溶け込んでしまいそうだった。見た目と違って羽毛のように軽いらしく、昌伯はあたかも無邪気な子供のように、その刀身に惚れ惚れしていた。
違う。もう、俺が見た5割の剣じゃない。完全に覚醒した、正真正銘の神の宝刀。それを前にして、人間に何ができるだろうか。
ほとりが弟をたしなめた。
「昌伯、この程度で喜ばないで。あたしたちの真の目的は、あくまでヤマタノオロチの復活なんだから。……そうね」
彼女は残忍な笑みで、失神している磯貝さんを見下ろした。
「オロチは綺麗な女が好み。このイソガイとやらを、オロチへのいけにえにしましょうか。それにふさわしい美貌だし」
「なっ……!」
俺は激怒した。話が違う。
「仲間には手を出さないって言っただろ! 汚ねえぞ!」
「うるさいわね。今さら死にゆくあんたに関係ないでしょ」
ほとりが鼻で笑った。俺に背を見せる。
「殺しなさい、昌伯。そうしたら、さっさと出発するわよ」
ほとりと生き残りのスーツ男たちが、それぞれベンツに乗り込む。磯貝さんも連れ込まれた。
そんな中、昌伯は俺ににたりと凶暴な笑顔を見せる。殺しの快感に酔っているようにも思えた。
「じゃあな、夏原姫英ぃ……! プチリと、ありんこを潰すみたいにあっけなく殺してやる……!」
もろ手上段に構える。
「その回復力でも、果たして頭まで治せるかな?」
次の瞬間、昌伯は草薙の剣を振り下ろした。




