069五割の剣
■五割の剣
俺は抜き放った八尾刀の力をフルに発揮し、強烈な爆風を昌伯へ叩きつけた。いや、そのはずだった。
「でやぁっ!」
相手が5割の草薙の剣を振るう。すると、俺の放った突風は一瞬で消え去り、代わりに鋭い衝撃波のようなものが俺の左耳を真っ二つにした。
「ぐああっ!」
俺は炸裂する直前、本能で身をよじっていた。それがなければ、耳だけでなく頭が分断されていただろう。
いや、いっそ死んでいたほうがよかったかもしれない。それほど左耳の激痛はすさまじく、俺の意識を混濁させるには十分過ぎた。俺はその場にうずくまり、ぼたぼたと流れ落ちる血潮の音を聞く。
ほとりが勝ち誇って冷笑した。ほら見なさい、といわんばかりだ。
「さあ昌伯、とどめよ。殺りなさい」
「姉さん、僕はやっぱり嫌だよ」
弟が反抗した。俺は激痛が鈍痛に変わっていくのを知覚しながら、反撃の機会をうかがう。
ほとりが地団太を踏んで怒鳴った。
「何よ昌伯! あたしにばっかり『口』の化け物で殺しをさせておいて、自分の手は汚したくないっていうの?」
「いや、そんなことないけど……」
「そんなことあるでしょ! あたしに『目』と『口』を呼び寄せる能力があったから、あんたはいつもいつも適当に昼寝をしてこれたんじゃない。今回ぐらい仕事しなさいよ! 馬鹿!」
「……う、うん。分かったよ……」
弟は押し切られてため息をつく。
目の前で昌伯の足がこちらへ向かってきた。直接俺を斬る気だ。奴の影が振りかぶる。
今だ!
「『爆裂疾風』!」
今度は足元を狙って暴風を放った。昌伯の両足が折れる音が、確かに聞こえた。
「ぎゃあっ!」
昌伯は前傾してうつ伏せになり、なった状態で吹っ飛んだ。顔面がコンクリートにこすれて血の跡が伝う。
「きゃああっ、昌伯!」
ほとりが血相を変え、弟のもとへ向かう。昌伯は、こんな目に遭っても草薙の剣を手放さなかった。
俺はよろめいて立ち上がった。どうする? 逃げるか? それとも追撃するか?
そのとき、俺はいつの間にか、周囲に一般人の野次馬が集まり出していることに気がついた。恰幅のいい老人が俺にこわごわ尋ねてくる。
「きみ、耳を怪我しているじゃないか! 大丈夫かね?」
それを別の年配の女性が制した。俺に目くじらを立てる。
「この子、銃刀法を知らないのよ。とにかくその物騒なものを捨てなさい!」
見れば、双子の姉妹のほうにも人がつどっていた。
これは駄目だ。追撃はできない。俺は逃げることにした。だいたい磯貝先生が公園で待っているんだ。早くそこへ行って、彼女を安心させてやらないと。
そのときだった。昌伯が野次馬をぶった斬り始めたのは。
「ひええっ!」
「がはっ!」
「ぎゃああっ!」
腕を落とされた老婆、腹から真っ二つにされた妊婦、袈裟懸けに斬られた中年。血の塊が、まるで絵の具のように、塀や地面にぶちまけられた。まだ無傷の野次馬たちが、恐怖に絶叫して逃げ散っていく。
「夏原姫英……っ! よくもよくもよくも――やってくれたなぁっ!」
その中心で、両足が折れたはずの昌伯が立ち上がった。顔もぐずぐずに潰れていたが、次第に元に戻っていくようだ。これが草薙の剣の力なのか、オロチ一族の能力なのか、俺には分からない。ただひとつ分かるのは……
このままここにいては、殺される未来しかない、ということだった。
「くっ……!」
俺はきびすを返して全力疾走した。この場合、燃料は純粋な戦慄だ。
「逃すかっ!」
ほとりが指を鳴らした。直後に俺の右足首が灼熱する。耳とは比べ物にならないほどのすさまじい激痛に、俺は転んでしまった。痛みの中、何事かと見やる。
右足がなくなっていた。
「なっ……!」
俺は焼きごてを押されるような、神経の束を剣山で削られるような、そんな痛みにもがき苦しんだ。視界には、ほとりの操る『口』の怪物が見える。奴に噛み付かれたのだ。
昌伯が草薙の剣を脇に垂らし、こちらへ近づいてくる。
「もう許さない――絶対に絶対に絶対に、だっ!」
昌伯が剣を振るった。俺の左肩が切り裂かれる。血が噴水のように噴き出た。
「生まれてきたことを後悔させてやるっ!」
再度刃がひらめく。俺の右目がくり抜かれた。俺は声にならない声を上げた。
ほとりの嘲笑が響き渡る。
「あーあ、こうなったら昌伯はあたしでも制御し切れないわ。残念だったわね、夏原」
絶望と恐怖がこみ上げてくる。このまま殺されるしかないのか。泣いて哀願して頼み込めば、あるいは命だけは許してもらえるかもしれない。だがそれだけは死んでもできなかった。男の意地というやつだ。
激痛の海の中で溺れる。流れているものが血か汗か、それすら判別できなくなっていた。それでも俺は一縷の望みを託して、『爆裂疾風』だけは手離さなかった。
「その八尾刀がそんなに大事か? なら右腕ごと斬り落としてやるっ!」
昌伯がそんな恐ろしいことを叫んで、草薙の剣を振り上げる。も、もう駄目だ……!
そのときだった。
「夏原くーんっ!」
磯貝さんの声だ。俺が背後を振り返ると、彼女が上半身を乗り出して、こちらへ車で爆走してきたところだった。彼女は拳銃を構えている。
え? 何でそんなものを一般人が?
驚き戸惑う暇もなく、銃声が響き渡った。磯貝さんが発砲したのだ。昌伯が胸から出血して仰向けに倒れた。
磯貝さんはドリフトで車を停めると、「夏原くん、乗って!」と叫んだ。俺はわけも分からず、ただただくもの糸にすがりついた。
車が発進する。追ってくる『口』を『爆裂疾風』で撃退すると、俺は後部座席に沈み込んだ。
右目と右足首下を失ったけど、俺はまだ生きている。助かった……




