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ex1.夏原姫英B

ex1.夏原姫英B


 セミが鳴いている。号泣というより慟哭(どうこく)といった具合で、とにかくやかましい。輪郭がはっきりした太陽が、入道雲と田舎の町並みを熱で焦がしていた。

姫英(きえい)! 野球で遊ぼうぜ!」

 これは親友の少年、賀来修二(かく・しゅうじ)の甲高い声だった。坊主頭に十円ハゲがある、どこにでもいる快活な小学3年生。

 じいちゃんの家の軒先で、バニラアイスバーを食べていた俺は、すかさず返事をした。

「おう! 今行く!」

 夏休みといったら友達との野球だ。広島ファンの俺と修二は、テレビで活躍するプロ野球選手たちに魅せられ、その真似事をするのに人生のひとコマを捧げていた。

 修二は俺が女だとは知らない。そもそも俺が告げてないし、告げるようなことでもないと(たか)をくくっていた。

 一緒にスポーツをやって盛り上がれるなら、俺が女の体でも問題ないはずだ。そう楽観視していた。


 野球場は河川敷(かせんじき)のいつもの場所である。すでに20数人の男子が集まり、早くも2回裏まで進んでいた。

「ちっ、夏原じゃねーか」

 相手チームのボス、投手の渡辺裕太(わたなべ・ゆうた)が俺の出現ににらみをきかせてきた。ここらではボス猿とあだなされているデブだ。

 俺は到着早々、1死3塁の得点機に代打で起用された。何を隠そう、俺は長打こそ打てないものの、短打はかなり得意なのだ。打率は数えてないが、多分6割を超えている。

 マウンド上の裕太が振りかぶった。

「夏原、お前なんか空振り三振にしてやる!」

 そして投げてきたのは得意のチェンジアップ。だが球種もコースも、俺の読みどおりだった。

 ボールがバットに弾かれる音。

 俺はセンターに打球を弾き返し、見事タイムリーを演出してみせた。歓声をバックに、ゆうゆうと一塁にたどり着く。裕太の悔しがる顔が小気味いい。どんなもんだい!


「いやぁ、まさかあれが決勝点になるとはね」

 修二が後片付けに励みながら、俺を激賞する。

「やっぱ姫英はすごいや。男子のなかじゃ一番じゃないかな、運動神経」

「へへっ、ありがとうな」

「……ちょっと小便がしたいな。姫英、一緒に立ちションしよう」

「おう、分かった。俺も漏れそうだったんだ」

 そうして、悲劇は起こる。

 大きな木の根っこに向かって、俺と修二は半ズボンを下ろした。一気に放尿する。

 修二ががく然となった。

「き、姫英、お前……!」

「うわあっ!?」

 俺の尿は、修二とは違って真下に放たれたのだ。パンツと半ズボンが(またた)く間に濡れていく。

 大声を聞いて、野球に参加していた男子たちが集まってきた。驚嘆がセミの声を一時的に圧する。

「女だ!」

「男じゃなかったのか!」

「姫英は女、姫英は女ー!」

 違う。

 待ってくれ。

 俺は体が女子なだけで、心は男子なんだ。

 俺はどうにか放尿を止めると、しとどに濡れたパンツと半ズボンを上げた。恥ずかしい。居たたまれない。

 裕太が余裕をかましながら、決定的なひと言を放った。

「女は野球に参加したら駄目だ。男のスポーツなんだからな! 明日から来んなよ、夏原!」

 俺はその言葉に打ちのめされた。あんまり悔しくて、辛くて、両手で顔を覆いながら球場から逃げ出した。

 セミの声が暑熱とともに、俺の心をあぶる。俺は男だ、男だ、男なんだ。なのになんで、なんで俺は女なんかに生まれちまったんだ……!

 涙があふれて止まらず、下半身の濡れそぼった衣類の気持ち悪さになおさら自己嫌悪におちいる。

 走りつかれた頃、ようやく家に着いた。俺の様子にじいちゃんが目をしばたたいている。

 俺はのけ者にされたことを恥じ、家族の誰にも打ち明けなかった。思い出すだに苦しい過去のひと幕だった――

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