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058悪夢

『心は男、体は女子! な主人公、力を欲するあまりヤバい小刀を私物化します!』第二部


■悪夢


 以前、好きな先輩に抱きしめられるという、素晴らしい明晰夢(めいせきむ)を見たことがある。あのときはこちらからも抱きしめ返そうとして、いきなり相手がクラスメイトの女子に変わったんだっけ。で、『放射火炎』を食らって目覚めるはめになったんだ。

 では、今のこの明晰夢は何だろう? 俺の知る二人の男が、俺の両足を引っ張って、アリ地獄の穴に引きずり込もうとしている。

神田周平(かんだ・しゅうへい)勝馬龍覇(かつま・りゅうは)……!」

波紋声音(はもんせいおん)』と『停止時間(ていしじかん)』の八尾刀(はちびとう)を使っていた二人。

 そう、俺がこの手で殺した二人……!

「や、やめろ! やめてくれ!」

 俺は必死に叫んだ。だが氷のように冷え切った手は、俺の両足首をつかんで離さない。周平は溺死したため、顔や体がぱんぱんに膨らんでいる。一方龍覇は、その老いた顔を真っ赤にしてまなじりを吊り上げている。

 二人の手は一層食い込み、俺の足に爪が刺さって出血するほどだ。しかしそんな痛みも気にならない。とにかくあの穴に――二人がはまっているあの地獄へ直結する穴に、引きずり込まれては駄目だ。

「た、助けてくれ……!」

 そう、これはあの日以来、頻繁に見ている悪夢。そのバリエーションは多彩だが、こうまではっきりした夢は今までになかった。

 周平が風船のような顔で笑った。かのように見えた。

夏原姫英(なつばら・きえい)、お前は俺たち人殺しの仲間だ。ひとりだけその輪から抜けようだなんて、虫が良すぎるだろう?」

 龍覇が真っ赤な歯茎をむき出しにして、俺の足を手繰り寄せる。

「わしの生涯の夢を台無しにして、のうのうと生きるなど許せぬ。さあ、来るのだ……」

 俺は周囲の砂をつかんで全力で抵抗した。だがそれも無駄なあがきだ。

「うわあああっ!」

 俺は漆黒で、一片の光もない無窮(むきゅう)の世界へ、とうとう飲み込まれた……!

 そこで目が覚めた。


「はあ……はあ……」

 俺はまず、からからの喉の痛みと、体中にまとわりついた寝汗の不快感を味わった。そしてエアコンの冷風と、カーテン越しに窓から差し込む朝日に、徐々に現実へと引き戻されていく。

「足……!」

 俺は飛び起きると、とにかく両足を確認した。そこには周平や龍覇の爪あとはなく、ただ無事な足首があるだけだった。

 そうさ。何が地獄の穴だ、馬鹿馬鹿しい。そんなものに俺が落とされるわけがない――落ちなきゃいけない道理がない。

 不意におかしくなり、くっくっと笑った。そして、後はただただ肩を揺らす。だがその笑いの奥で、俺は人をふたりも殺した自分の罪を、無視できたりはしなかった。


「ひでー夢だった……」

 両親が会社へ、妹が中学校へ行くと、俺はじいちゃんの仏壇に線香をたむけた。お祈りしてから家を出る。玄関を施錠すると、愛用のBMXに乗って、六田大学付属高等学校――略して六田高へと出発した。俺は1年B組の生徒なのだ。

 俺は女の体だが、精神は男だ。白いシャツに灰色のスラックス、青いネクタイという制服姿で、鞄を背負い道路を疾走する。海に隣接する街、山口県萩市。

 同じ六田高の制服を着た男女が、ばらついて歩く中を、さっそうと通り抜ける。早いものでもう7月。みんな夏服に衣替えを済ませ、残り少ない1学期をいかに過ごすか思案しているようだった。

 ちなみに俺は六田高文芸部所属だが、恒例の朝練はなくなっている。顧問が新しく長良(ながら)先生になったのだが、「俺は前任者みたいに働き者じゃない」とのことで、朝練をさっさとなくしたのだった。

 それにしても。

 俺は今朝の夢を思い出して憂鬱(ゆううつ)になる。俺が女の体でなく、男であったならば、あんな死者の手など強引に振りほどいてしまえそうだった。普段でも自分の非力さを如実(にょじつ)に感じているのに、夢の中でさえ痛感するとは。

 もし俺が、八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)を吐き出さなければ。もしあのまま、男の体でいたならば。あんな夢ごとき、うなされることもなく蹴り飛ばせていたかもしれないのに……

 俺は軽く頭を振る。そんな妄想はもう意味がない。曲玉は隠して埋めたし、もう俺以外の誰も手にはできない。それに、俺は誘惑に勝ってみせると決めたのだ。もう曲玉のことは考えないようにしよう。

 ふと目の前に見知った背中がふたつあった。俺は努めて明るく声をかけた。

上山(かみやま)! 浜辺(はまべ)さん!」

 カップルが振り向く。俺の顔を見て頬をゆるめた。

「よう、夏原」

「おはよう、夏原くん」

 上山雄大(かみやま・ゆうだい)浜辺真理(はまべ・まり)さん。俺の親友でクラスメイトで、なおかつ文芸部の部員だった。俺は煩悶(はんもん)を放り捨て、ブレーキをかけて自転車から降りる。そうしてふたりとともに、BMXを押しながらあれこれしゃべり合った。

 悪夢の残滓(ざんし)は、ようやく心の中から消えていった。

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