005爆裂疾風
(5)爆裂疾風
結局その日、二階堂さんが登校してくることはなかった。俺は上山と浜辺さんと一緒に下校した。本当は女子テニス部の2年生・向井渚先輩にも会っておきたかったが、さすがに男の自分が再三訪ねると迷惑かなと考えたのだ。それに、二人とはもっと話しておきたかった。
上山が興味津々に尋ねてくる。
「その自転車、だいぶ変わってるが……高かったのか?」
「ああ、これならトータルで10万円ぐらいはいったかな」
彼は目を見張って心からの言葉を発した。
「本当か。結構いくんだな」
俺は少し得意気になる。小遣いをはたいて買ったときの感動を思い返していた。
「その代わり頑丈だぜ。ちょっとやそっとじゃ壊れやしねえ」
「どうりで俺にぶつかっても破損しなかったんだな」
俺は今朝の出来事を思い出し、急に言語の泉を枯らしてしまった。干からびた声を出す。
「……ああ、その節はごめんな」
「ははは、冗談だ。許せ」
上山は上機嫌で笑った。浜辺さんもくすくすと口元を押さえる。俺はほっとして苦笑で追従した。
萩駅へ足を向けるふたりと、お別れになる交差点までくる。今日は楽しかった。
「じゃ、ここでお別れだな、夏原。また明日な」
「夏原くん、じゃあね」
「おう!」
俺は手を振りながら去っていく彼らにお返しする。ふたりとも俺の友達になってくれた。嬉しいな……。その後、BMXにまたがってさっそうと走り出す。
しかし……
「雨か」
運の悪いことに雨滴がぱらぱらと降ってきて、俺のブレザーや膝に付着してきた。粒が大きい。こりゃ本降りになるな、早く帰ろう――と、俺は強くペダルを漕ぎ出す。
昨日の繁華街に差しかかった。ほどなく、誰かが俺の目の前に急に飛び出してきた。
「またかよっ!」
今朝の轍を踏まず、俺は急ブレーキをかける。よく見れば、出てきたのは昨日二階堂さんに因縁を吹っかけていた、あの中年男だった。額に大きなガーゼをはっている。火傷の跡だろう。
「待ってたぜ、坊主」
男は髪を申し訳程度にセットした、無精ひげと太い鼻が目立つ風貌だった。よれたコートにネクタイなしのワイシャツとズボン、という格好だ。
俺を待ち伏せていたのか? それはちょっとした恐怖として俺に寒気を覚えさせた。雨もいよいよ強くなってきて、セットしておいた短髪が濡れ始める。
それらがもたらす焦りに、俺はつい怒鳴ってしまった。
「どけよおっさん! 俺は急いでんだよ!」
しかし男は俺のBMXの前輪をつかんで離さない。こいつ、ふざけやがって。
彼は片手でコートの内側から名詞を取り出し、俺に突きつけた。ええっと、何々……?
『私立探偵 新郷哲也』
私立探偵? この中年男が?
「俺は昨日見てるんだ。お前さんが八尾刀を持ち去る現場をな」
ハチビトウ? 俺の小短刀のことか? それにしても、見られていたのか。
「あれを渡してほしい。調査案件で欠かせない代物なんだ」
頭を下げて要請してくる。昨日と違ってふらふらしていない。
「昨夜は少々酔っていたが、今日はしらふだ」
「そのようだな。でも何のことだかさっぱりだ」
新郷の目がギラリと光った。
「とぼけるか。じゃあしかたないな」
いきなり頬に雷が炸裂する。おっさんが俺のほおげたを殴ったのだ。そうと気づいたときには真横に転倒していた。痛ってぇ!
おっさんは俺の背負う鞄を強引に奪い取ると、勝手に開き、中から小短刀を取り出した。
「こいつだ……!」
新郷の顔が歓喜に満ちる。何が「こいつだ」だよ、ふざけやがって。俺は憤激してすぐ起き上がり、奴のあごに怒りの右ストレートを命中させた。たとえ自分が非力でも、ナメられるわけにはいかない。
「ぐえっ!」
パンチの角度が良かったのか、おっさんはバランスを崩して尻餅をついた。すると小短刀がその手からこぼれ落ち、アスファルトに激突する。白いプラスチックの柄が割れた。
雨がどしゃ降りのなか、剥き身の刀身を拾い上げた俺は、茎に刻まれた文字に気がつく。文字通り刻みこんであるその4文字は……
「『爆裂疾風』……?」
俺は思わず読み上げた。すると突然、刃から猛烈な爆風が放たれ、立ち上がりかけていた新郷を吹き飛ばした。おっさんは紙切れのように舞って、地面をごろごろと転がる。
「な、何だこの刀……!?」
俺はふと周囲の目が気になった。関心を抱く複数の視線のなか、俺は鞄に刃をしまいこんで、急いでBMXを立て直す。
「ま、待ちやがれっ! 坊主!」
大声でわめく中年男を置き去りに、俺は自転車を走らせてその場から逃れた。
そうしながら、私立探偵を名乗った新郷哲也と、二階堂香澄の接点が、二振りの不思議な小短刀――八尾刀にあると確信していた。