表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/93

002姫英の日常

(2)姫英(きえい)の日常


 向井先輩が俺を抱きしめている。試合用のテニスウェアではなく、かといって練習用のジャージ姿でもない。彼女は紅色のブレザーに白いシャツ、緑のリボンに灰色のスカートという格好だった。右胸に緑と黄色の校章が縫い付けられている。要は制服姿だった。2年であることを示す青い上履きを履いている。

 俺はドキドキしていた。憧れの人に抱擁(ほうよう)されるなんて、こんな幸福はないだろう。しかも顔が近い。彼女の吐息が鼻にかかってきたり、黒い瞳がうるんでいるのを目の当たりにしたり……

 うん、これは夢だ。そうに違いない。明晰夢(めいせきむ)というやつだ。ならばここは恋心のおもむくまま行動しても、決してバチは当たらないだろう。

「先輩……!」

 俺は彼女を抱きしめ返そうと、両腕を回した。柔らかい背中の感触に、心臓が飛び出そうなほど鼓動する。

 と、そのとき。

「『放射火炎』!」

 いきなり目の前の少女が二階堂さんになり、二人の間に炎が吹き上がった。熱い! 俺はひっくり返った……


姫英(きえい)お兄ちゃん、朝だよ朝! いつまで寝てるの?」

 俺はあわてて飛び起きた。窓ガラスから差し込む日光に、それが照らし出す俺の部屋に――今までのがやっぱり単なる夢だったと思い知らされる。

「もう7時45分だよ。何度呼びかけても起きないから、入ってきちゃった」

(ひかり)……。俺、そんなに寝てた?」

「そりゃもう、ぐっすりと。だから目覚まし時計のかけ忘れには気をつけてね、って普段から注意してたのに……」

 わが妹に情けない姿を見せてしまった。にしても、なんつう夢を見たんだ。前半まではよかったんだけどなぁ。

「光、起こしてくれてありがとな。学校の制服に着替えるから、部屋出て」

「あ、うん。分かった」

 光は三つ編みの赤髪をしたがえ、(こん)に白いラインのセーラー服をひるがえしつつ退室した。まるでツバメだな。

 俺はベッドから下りて着替え始めた。ちらりと自分の鞄を見やる。その開いたジッパーの中から、鞘に収まったままの小短刀が姿をのぞかせていた。刃の長さは、昨日(はか)ってみたら20センチ弱だった。

 二階堂さんの持ち物だ。今日登校したら返してあげないと。


 準備を終えて1階に向かう。父の夏原飛鳥(なつばら・あすか)、母の夏原かもめがすでに出勤の用意を整えて朝食をしたためていた。

 若くして結婚したため、どちらもまだ30代。おしどり夫婦というやつだ。

「おはよ、親父、お袋」

「おはよう」

「おはよう、姫英」

 俺は腹をなでた。だいぶ()きっ腹だ。早速パンと牛乳、サラダと目玉焼きのご飯にありつく。泣けるぐらいにうまくて、昼までのエネルギーを充填(じゅうてん)するべく、休みなく手を動かした。

 と、視線に気づく。

 親父は少し不機嫌そうだった。しかも俺をにらんでやがる。

「何だよ親父、気になるじゃねえか」

 彼は銀縁眼鏡を中指で押し上げた。いつもの癖だ。

「昨夜は帰宅がいつもより遅かったし、今朝は光に起こされるまで寝てたんだろう? 最近の姫英は時間にルーズ過ぎる。そういう細かいところから日常生活は乱れていくんだぞ」

「ザ・一般人な親父がいうと説得力あるな」

 俺は素直にうなずいた。いまだかつて父を論破できたことのない俺だった。

 やがてお袋が、続いて親父が仕事に出かけていった。光は鍵閉め当番を俺に任せて登校しようとする。

「なあ光、もし炎が出る短刀があったらどう思う?」

「アニメの見すぎだよ」

 光は取り合わず、さっさとドアの向こうへ消えてしまった。うーん、われながら馬鹿な発言だった。しかし事実だったんだよな……

 残された俺は『刀による殺人か 世田谷区の老人が惨殺される』との物騒なニュースを観ながら、ようやく食事を終えた。余は満足じゃ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ