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灰色狼と月の兎

作者: 四季咲 夕


「オマエは非常食だ」


 その言葉から始まった歪な関係。

 アイツが来るのは決まって満月の夜だ。

 そう――今日のように。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――――とある満月の夜。

 山頂で夜風にあたっていると星が降ってきた。

 最初は小さな光だったが次第に大きくなり、近くの丘へと落ちていく。丁度帰り道にあたる場所だ。行ってみるか、そう考えた俺はまるで光に吸い寄せられるように足を運ぶ。


 光を追うと、そこには兎の耳が生えた一人の少女が眠っていた。耳は真っ白な毛に覆われていて肩までかかる金色の髪をしている。身に纏っている白い衣は微かに光を放っていた。どうやら光の正体はコイツらしい。

 少女はこちらに気づく様子もなく、すぅすぅと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。耳と尻尾は間違いなく兎族のそれ(・・)だ。しかし空から降ってきたという話は聞いたことがない。


 コイツは何者だ?


 素性が気になるが……この場所は俺たちの縄張りだ。

 俺たち狼族は昼間「ヒト」に近い姿で過ごしているが夜は「獣」の姿になることができる。今宵のような満月は狼族の力がもっとも高まる時間だ。こんな夜に無防備な兎族が居るとなれば、野蛮な連中は黙っていないだろう。


「おい、起きろ」


 声をかけながら身体を揺さぶってみるが、起きる様子はない。何度か声をかけてみたが、むにゃむにゃと寝言のようなものを言うばかりだ。

 気持ちよく寝ているのであればこのまま放置しても良いだろう。こいつが食われようが、俺の知ったことではない。

 だが俺のプライドが邪魔をする。オマエはそんな薄情者なのか、と。そのまま立ち去ることはできたが、結局見捨てることはできなかった。


 少女の背丈は俺の半分程度……いや、もう少しありそうだ。その少女はひょいと片手で持ち上げることができるほど軽く、連れて帰るのは楽だった。

 しばらくして家に到着するが少女は起きる素振りを見せない。仕方なくベッドに寝かせて布団をかける。俺はソファに寝転がりそのまま眠りについた。



 起きて早々、ソイツと目が合った。兎族によくいる赤い色の目をしたソイツは、何も言わずこちらをじーっと見つめている。ソファから身体を起こすとそいつはぴょんと跳ねるように後ろに下がった。一呼吸おいて口を開く。


「あなたは――だれ?」


 少女の口から一番に飛び出た言葉はそれだった。まあ当然の疑問だろう。


「俺はルガル。縄張りで寝てたオマエを拾ってきた。俺が連れてこなけりゃ命はなかったかもな。」


 試すつもりで脅しをかける。


「そうなの?」


 なんとも危機感のない返事。俺は兎のくせに変なヤツだと思った。


「それで、オマエは何者だ?」


「わたし?私の名前はコハク。月から抜け出してきたの」


 月から――か。フッと鼻で笑う。


「何かの冗談か?」


「ちがう、ホント!どうすれば信じてくれる?えーと、えーっと――」


 俺の言葉を強く否定するように、コハクと名乗る少女は兎の耳をピンと立てて話す。星が降ってきた場所にいたのは間違いなくコイツだ。状況から察するにただの兎族でないのは確かだ。

 それに基本、兎族は足が発達している。だが目の前にいるコイツの身体は兎族にしては異様なまでに細い脚をしている。野山を駆けることに長けた兎族が……だ。これでは逃げることができない。狩りの対象になればそれで(しま)いだろう。


 冷静に観察してみたが、俺にはコイツが嘘をついているようには見えなかった。

 

「あー……わかった、わかった。とりあえず落ち着け」


 急に焦り始めたコハクをなだめる。コハクがふーっふーっと深呼吸をしていると、小さなお腹から「ぐー」という音が聞こえてきた。それはごまかすことのできないほど長い音で、顔を真っ赤にしてお腹のあたりを手でおさえていた。


「――メシにするか、そこ座ってろ」


 俺がソファを指差すと、それに従ってちょこんと座る。なんとも従順なヤツだ。貯蔵庫から食べ物を持ち運び机に並べる。俺は狼族だ。兎族が何を食って生きているかは知るはずもない。


「この中から適当に選んで食え」


 少しするとコハクはニンジンを手にとって一口かじった。


「……おいしい!」


 そう言うとコハクは夢中になってニンジンを食べる。メシを終えて一息つくと、緊張がとけたのか落ち着いた顔をしていた。これなら話ができそうだ。


「オマエ、さっき月から抜け出してきたとか言ってたな。だったら目的はなんだ」


「えーと、うーんと、その……。たいくつだったから……」

 

 何を言い出すかと思えば、そんな馬鹿げた理由だった。


「……はぁ。連れてきておいて悪いが今すぐ出ていってくれないか。タダでメシを食わせてやるほど俺は優しくねえ。金が出せるなら別だが、それができないなら出て行け」


 金を稼ぐのは簡単なことではない。俺一人で暮らす分には苦労していないが、他人に情けをかけるほどの余裕はない。家から追い出すために立ち上がると、コハクは脚をぎゅっとつかんで首をブンブンと横に振る。


「やだ、ここがいい! 帰りたくない!」


 引き剝がそうとするがコハクは駄々をこね、ここから離れまいと必死に抵抗する。数分格闘したが一向に引く気配がない。


「あー、もうわかった。コハク、お前には何ができるんだ。メシ作るとか、洗濯とか」


「そんなの、できっ……ないかもしれない……」


 最初は自信ありそうに顔を上げて話し始めたが、次第に表情が曇り声が小さくなっていく。何か思い当たる節があったらしい。


「……何ができるんだ?」


 俺はそう問い直す。コハクは何か言いたそうにしているが、うまく言葉にできないらしい。「うー…」とただひたすら唸ったままこちらを見つめるだけだった。


「とりあえず離れろ。いいな」


 コハクは俯いたままそっと手を離し、そのままへたりとソファに沈み込む。顔は見えないが手は震えていて今にも泣きだしそうだ。仕方なく俺は考える。


 ――さて、こいつの扱いはどうしたものか。

 適当に兎族へ突き出すか?いや、それはないな。よそ者を簡単に受け入れるほど甘くないだろう。それに本当に月から来ているのだとしたら帰る手段はあるのだろうか。


「オマエ、家には帰れるのか?」


 コハクは首を横に振る。なるほど、考えなしに飛び出して来たか。行くアテもなく、信頼できる仲間もいない。そうなればコイツは野垂れ死ぬしかない。俺は――少し考えた。


「いいか、よく聞け。オマエをここに住ませてやってもいい」


 俺の言葉にコハクは耳を立てる。


「ほんとに?」


「ああ、だが条件がある」


 コハクは首をかしげる。


「――今日からオマエは非常食だ」


「……へ?」


 コハクはぽかーんとした顔をしたまま固まった。


「メシに困ったら容赦なくオマエを食う。それが嫌ならここから出ていけ」


「……ううん、出ていかない。わたし非常食でいい!」


 コハクはそう答えた。顔をスリスリと俺の身体に擦りつけ、満足そうに微笑む。コイツ、言葉の意味をちゃんと理解してるのか?疑問に感じたが本人は何故か喜んでいる様子で、言い返す気力を失くした。


「……はぁ」


 俺は大きな溜息をつく。これから生活費はどうするか。

 そんな不安を覚えつつも俺とコハクの歪な生活が始まる。


 昼間は木こりの仕事をして、夜は寝る。そんな代り映えのない生活を送る毎日。

 俺の髪や目の色と同じ、灰色の日常。

 

 そんな中に、コハクという存在が介入してくる。普段は買わないような野菜や果物を調達する。いつもの洗い物に俺以外の服が混じる。朝、いつまで経っても起きないコハクをたたき起こす。些細なことだが、俺の中で何かが変わり始めた気がした。


 数日経過するとすっかり緊張もとけ自然と会話できる状態になった。


 それはいいのだが……口を開けばメシの話ばかりが出てくる。例えばこのお店の人参は甘くて美味しいだとか、別のお店の人参はやわらかくて食べやすいとか、そんな話だ。

 コハク曰く、月で採れる最高級のニンジンよりもウマい……らしい。そんな代物が簡単に入手できることに感動し、挙句の果てには月のレベルが低いのではないか?と怒り始める。いや、違いの分からねぇ俺に話されてもなと思いつつ、この前は謎のニンジン話に付き合うことになった。


 話の内容は全く興味のないくだらないものばかりだが、ダラダラと話をするのはそれほど嫌ではない。昔、よくダチと他愛のない話を延々と続けていたことを思い出す。こういうのもいいかもしれないな。そんなことを考える。


 ある時はイタズラをしたり、思い通りにいかないことがあれば駄々をこね、少しでも嫌なことがあればすぐに泣きだす。そして変なところで怒り出す。なんともせわしないヤツ。だが、数週間も経った頃にはコハクが居ることが当たり前になっていた。



 ――――それから時間は流れ、気づけば次の満月がやってきた。



 そして、それは唐突にやってきた。星が流れたかと思えば、それはだんだん大きくなっていく。前に見たような光景だったが胸騒ぎがした。 

 星だと思っていたものは空を飛ぶ巨大な船。その船は俺の庭へと着陸し、コハクと似た恰好をした兎が姿を現す。つり目の兎を先頭にその部下と思われる兎が背後に立ち並ぶ。


「オマエらは何者だ」


 突然やってきた兎たちをギロリと睨みつけると、後ろの兎たちがざわついた。

 だが、つり目は一人だけ冷静で物怖じせず答える。


「突然の訪問、申し訳ございません。我々は月から参りました。行方が分からなくなっていた、識別番号00589の捜索および回収に参りました」


 最初、何を言っているのか分からなかった。捜索?回収?グルグルと頭の中で思考が駆け巡る。

 俺が考えている間にもつり目は冷たく言葉を続ける。


「スキャン開始、識別番号は……00589。回収対象よ、連れていきなさい」


 つり目が指示するとコハクは部下の兎たちに囲まれる。


「ごめんね、ルガル。いつかはお迎えが来ると思ってたけど……意外と早かったみたい」


 感情を押し殺そうとしているが本心は漏れ出ているようだった。コハクは苦しそうに答える。

 その様子を見て俺の中にドス黒い感情が沸々と湧いた。コイツらは俺が獣化すれば簡単に殺せる。邪魔なら殺してしまえばいい。満月の夜のせいか、内に秘めた凶暴な狼族の血が騒ぐ。鼓動が次第に早くなる。

 

 それを止めたのは他の誰でもないコハクだった。


「ルガル、落ち着いて」


 その言葉を聞いてハッとした。俺は今何をしようとしていた……?湧き出ていた怒りの感情が引いていく。結果がどうなるかを考えず手を出してしまうところだった。強張った身体から力を抜いて、大きくゆっくりと息をする。


「……すまない」


 冷静になれ、これは俺の問題じゃない。自分に言い聞かせるように落ち着けと心の中で唱える。どうしたいかはコハク自身が決めることだ。ぐちゃぐちゃになった感情を抑えて、ぐっと言葉を絞り出す。


「コハクはそれでいいのか」


 コハクは答える。


「うん、わかってたことだから。勝手に抜け出してきたのは私だしきっとみんな心配してるだろうから。これで……いいんだよ」


 どこか寂しそうではあるが、強い意志を感じた。コハクが決めたことを否定する権利はない。


「そうか」


コハクが連れられていくと同時に、つり目が語りかける。


「00589の保護、誠に感謝いたします」


 そんなことを言っていたような気がするが、そんなことはどうでもよかった。

 俺はただコハクが船に乗り込んでいくのを見守っていた。


 ――ああ、これで終いか。


 月と地球ではあまりにも遠すぎる。

 約一か月……思ったよりも悪くない生活……だったな。


 そんなことを考えながら、後ろを振り返ると開け放ったドアから「あるもの」が見えた。

 考えるよりも先に身体が動いた。すぐさまそれを持ち運び、つり目に渡す。


 手渡したのはそう、ニンジンだ。


「腹、減ってるんじゃないか? コイツはその辺の店で買ったニンジンだ、食ってみろ」


 ――賭けだった。正直、このニンジンがどれほどウマいかはよく分からない。だが、今このまま別れてしまえばコハクとはもう二度と会えなくなるかもしれない。だから少しでも興味をもってもらう。それが俺にできる最後の行動だった。


 つり目は最初怪しんでいたが、腹を空かせていたのか一口かじった。


「……!」


 目の色が変わった。一口、また一口とニンジンにかじりつく。

 つり目はあっという間に手渡したニンジンを平らげてしまった。


「あの、さきほどのニンジンは一体どこで手に入れたものでしょうか」


 ――食いついた。


「最初に言ったろ。その辺の店で買ったってな。ここに来ればいつでも食えるぞ。」


「いつでも……」


 相変わらず表情は崩さないが、目を輝かせているように見えた。


「大変おいしい人参でした。有力な情報についても感謝いたします。我々は月へ帰還しますので、これで失礼します」


 つり目は深々とお辞儀をし船へと乗り込む。

 最後に渡したニンジンがどう転ぶかは分からない……が、やれることはやっただろう。

 仕事を終えた時のように、一気に緊張がとけ力が抜ける。


 しばらくすると、船は月に向かって空高く、空高く飛んでいった。

 俺はその船が見えなくなるまで、いつまでも眺めていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――――あれから月日が流れた。


 変わったことといえば、満月の夜になると月から船がやってくることだ。地球で採れるニンジンはウマい。そんな噂はあっという間に月全体に広まり、定期的に月の兎がやってくるようになったのだ。噂を広めたのはコハクと、つり目の兎らしい。


 満月になると、その船はやってくる。


「アイツ、また来たのか」


 あの時と同じような光景に、笑みがこぼれる。

 やがて船は着陸しソイツはやってくる。

 そうして、決まってアイツはこう言うのだ。


「ただいま、ルガル」


 そう言って笑うコハク。

 俺は「ああ、おかえり」と返した。


ここまで読んでいただきありがとうございます

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