吸血姫は訝しむ
「……アウローラ様、王都より通達がありましたので、ご報告申し上げます」
のんびりとお茶を飲んでいたら、侍女のチェルが話を切り出した。
魔王の封印をしてから、早百九十余年。
長かったような、あっという間だったような……やっぱり、長かった。
「あら……何か、厄介ごと?」
この百九十余年、王都とはほぼ交流がなかった。
エメルハルト王の時代には、支援の関係でそこそこ王都とやり取りはあったのだけど……次代から、どんどんと交流がなくなっていった。
今じゃ、全くと言って良いほど。
エメルハルト王との契約でもぎ取った条件……社交の免除があるので、これ幸いと領地に引き籠ったままというのも、交流がないことの大きな理由ではあるが。
今更、何の用だろうか?
どう考えても、チェルの報告は厄介ごとだろう。
「はい。……各領地に、執行官を送ると」
「……執行官? 何、それ?」
聞きなれない役職に、首を傾げた。
「要するに、領主を監視するための要員ということかと」
チェルの言葉に、思わず声を上げて笑う。
「ふふふ……おかしなこと。こんな寝てばっかりの私を監視したところで、全く意味がないでしょうに」
大体夕方に起きて、朝方には眠る。その繰り返し。
起きている時にすることと言えば、体を動かすことぐらいだ。
百五十年ぐらい前までは領主の仕事を真面目にしていたけれども、今は、そんな風にのんびりと過ごさせて貰っている。
領政の方向性を指し示し、土台を作り上げた段階で、どんどんと領主の権限を分散して他の人たちに渡して行った結果だ。
私が一々首を突っ込まなくとも、何の問題もなく領政は回っている。
「一体どうして、領主を監視することになったのかしら? 何か、王都で事件でもあったの?」
「ヴェルス伯爵家が機密情報を隣国に漏らしていたのだとか。尤もそれは口実に過ぎず、王家は昔から領主の力を弱めたいと願っていたことが主因かと」
「へえ……このご時世に、随分と余裕があるのね」
どんな機密情報を漏らしたのかだとか、何故漏らしたのかという疑問が頭に浮かぶ。
けれども、さして興味はない。
「違う理由ならば受け入れたけれど……そんな理由なら、執行官の人が可哀想ね。王都には、不要と回答をしておいて」
「承知致しました」
チェルが部屋を出て行った後、カウチに寝転がる。
ぼんやりと、花瓶に活けられた花を見ていた。
「アウローラ様。薬をお持ちしました」
再びチェルが現れたと思ったら、グラスに並々と注がれた赤色の液体を持ってきた。
「あら、ありがとう」
ゴクゴクとそれを一飲みした。
ああ、美味しい。
「……少し、体を動かしてくるわ」
「畏まりました。いってらっしゃいませ」
そして私は、着替えて外に出た。
既に陽は沈みきっていて、外は真っ暗。
私がいるのは、バードリー領の都・ウェスペル。
かつて私が住んでいた街……エンダークとは別の街。
ほぼ隠居生活のような日々を送るようになった頃、静かさを気に入ってこの街に移り住んだ。
そして私が住んでいるからという何とも微妙な理由で、このウェスペルが百五十年前に名目上、領都となった。
……実質的には、エンダークが領の中心地なのだけど。
おかげで領都というわりに、ウェスペルには何もない。
あるもののといえば、私が住む家の他にまばらに民家と田畑があるぐらいだ。
それ故、夜中は闇が一層濃い。普通の人ならば、伸ばした手の先すら見えないだろう。
そして、とても静かだ。
「あら、ルフェ。今から出かけるの?」
見慣れた面影を見て、声をかけた。
ルフェはチェルと同じく私の側使えで、護衛を担ってくれている。
「はい。鍛錬に出かけようかと」
「あら、丁度私もそうしようと思っていたところなのよ。……ルフェ、付き合ってくれない?」
「勿論です」
それから、私たちは街外れまで走った。
私と彼、二人で暴れると確実に街が壊れるからだ。
「……何か、嫌なことでもあったんですか?」
ルフェが右足で私を蹴り上げながら、問いかける。
それを防ぎながら、思わず笑った。
「いいえ。何もないからこそ、少し機嫌が悪いの」
右手でトンと彼に触れる。
瞬間、彼は吹っ飛んで行った。
……後で折れた森の木は回収して、持ち帰ろう。
土埃が、盛大に舞っていた。
その中、無傷のルフェが立ち上がりつつ溜息を吐く。
「期待するだけ、無駄じゃないですか。この二百年間、王家は約束を果たすそぶりすら見せなかったのですから」
「……期待じゃないわ」
息を吐き捨てると、自然と口角が上がった。
「これ以上、見限らせないで欲しいだけ。……期待していたら、私だって彼らとコミュニケーションを取るわよ」
ルフェが突進しながら拳を振り上げた。
トンとその拳の上に乗り、そのまま顎めがけて蹴り上げる。
運動が苦手だった前世では、できなかった夢のような動き。
それどころか、テレビや映画の画面越しにしか見なかったようなそれだ。
ところが今世では身体能力が格段に向上していて、頭に描いた動きが簡単に再現できてしまう。
勿論、かつての魔王との戦闘で経験を積んだからこそだとは思うけれども。
それでも、むしろ今となっては、何で前世でできなかったのだろう? と当時の運動音痴を棚に上げて思うぐらいには、大抵の動きはできてしまうのだ。
彼は寸前のところで私の蹴りを避け、そのまま力を逃すように手を地につけてクルリと体を一回転させていた。
「……ルフェ。付き合ってくれて、ありがとう」
見上げれば、陽の出が近いのか、空が薄紫色に染まっていた。
彼とこうして遊び始めてから、随分と時間が経ったらしい。
視線を下に落とせば怪我こそないものの、若干ルフェは息が上がっていた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
彼はそう言いながら、袖で額の汗を拭く。サラリと白灰色の髪が揺れていた。
「そう言えば昨日、レッドボアーがこの辺りで発見されました」
レッドボアーとは、魔物の一種だ。
魔物とは人や動物に害を為す生き物のことで、危険度に応じてランク付けがされている。
ランクは上からA,B,……Gとなっていて、確かレッドボアーだとDだったか。
この領地に現れる魔物の中じゃ、レッドボアーは全く強くない。
けれども、領都近くにまで現れることそのものが問題だ。
「他にも何か出てないか、辺りを調査しておいて。併せてエンダークの様子も確認しておいて」
「了解です」
「どこかのタイミングで、またエンダークに戻らないとね」
「その時は、俺も一緒に行きますよ」
「頼りにしてるわ。それじゃ、おやすみ」
それから屋敷に戻り、そのまま眠りについたのだった。




