吸血姫は、地獄に立つ
その日、私たちは結婚式の衣装を受け取るために人間の街を訪れていた。
「ありがとう、エルマ」
「いえいえ。ノックス、アウローラ……幸せにね」
そうしてエルマから彼女手製のドレスが入った箱を受け取った時だった。
「……何だか、騒がしくないか?」
その場に居合わせたカミルが、そう呟く。
意識を外に向ければ、確かに悲鳴が耳に入ってきた。
「ちょっと様子を見てくる」
「一緒に行くよ」
カミルに続き、ノックスも外に出て行った。
突然流れた不穏な空気に、エルマは勿論、私も不安を隠せない。
それまでの祝福の雰囲気が見事に霧散し、重苦しい雰囲気が部屋を包む。
「た、大変だ! ま、魔物が!! 魔物が襲ってきた!」
そんな空気をより重くするような事実を、帰ってきたカミルが叫んだ。
「警備隊の人たちは?」
「街の外で戦ってくれている。おかげで、今は街にまでは入り込んでない……けど、すごい数の魔物が襲いかかってきているらしい」
「ノックス……里が、心配だわ」
黄昏の森は、この街よりも多く魔物が現れる。
つまり、ここで多くの魔物が現れているということは、里ではそれ以上の危険が迫っている可能性が高い。
「ああ……」
ノックスも、同じことを考えていたのだろう。
「ごめんなさい……私たち、故郷が心配だから帰るわ」
「あ、危ないぞ。今、街の外には魔物が溢れているって……」
「もう少し、ここで様子を見た方が良いんじゃない? 街を出るのは危ないわ」
心配し止めてくれるカミルとエルマに向けて、安心させるように笑みを浮かべた。
そして、魔法を発動させる。
瞬間、家を暴風が包み込んだ。
まるで台風の目のように中は穏やかだけれども、外から風に触れたら最後、全身が切り刻まれる。
ポカンと、二人は呆気にとられたように私を見ていた。
「二人に言っていなかったけど、私たち、それなりに魔法が使えるのよ。だから、魔物が襲ってきても何とかなるわ」
「今、アウローラが発動させた魔法は外部からの侵入を防ぐもので、外から風に触れた者は風に切り刻まれる」
「え、あ、うん……」
「中からは、出られるようになっているから。もし、外に出る必要があったら出てね。でも、そんじょそこら魔物は侵入できないから、出ない方が安全よ」
そう言い残して、ノックスと共に外に出た。
魔法で風に乗り、空を飛ぶ。
いつもなら隠れるように森を歩くけれども、緊急事態だ……と堂々と突っ切った。
「……本当に、凄い数ね」
下を見れば、地面を覆い尽くすほどの魔物。
あの街にどれだけ戦える人がいるか分からないけれども、これだけの数じゃ分が悪い。
「ああ……エルマの家に魔法をかけておいて、良かった」
「そうね」
心臓の音が、五月蝿い。
皆、無事だろうか。
進むごとに、苦しい程緊張感が高まる。
全速力で走っているのに、里が酷く遠く感じられた。
そうして、里に着いた時には。
「何よ……コレは」
……もう何もかもが遅かった。
目の前の光景を理解するまで、私はどれぐらい時間がかかっただろうか。
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
禍々しいほどの、赤。
下を見れば、瓦礫と化した幾数もの建物。
夥しい数の屍。
流れ出る、血。
全てを包み込む、炎。
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
全てが、赤に染まっていた。
自然と、体が走り出しす。
「アウローラ!」
背中越しに、ノックスの声が聞こえてきた気がした。
けれども、反応できなかった。
ただただ、夢中で前に進む。
……嘘だ、嘘だ。
誰か、否定して。夢ならば、覚めて。
そして、辿り着いた実家を前にして思考が停止する。
……正直、そこからの記憶は断片的だ。
他と変わらず赤に染まった、かつての家。
とっさに魔法で消火する。
そしてそのまま家の中に入って目にしたのは……変わり果てた家族の姿。
『お母さんのパイ! やった!』
何故か耳の奥底で響いた、過去の自分の言葉。
お母さんとお父さんと寛いだリビング……そんな過去の光景が目に浮かんだ。
けれども、強烈な焼け焦げた臭いが私を現実に引き戻す。
「あ………」
現実を拒絶し、震える体を引きずって逃げるように外に出た。
そのまま、救いを求めて歩き慣れた道を進む。
いつも歩いていた、ノックスの実家に向かう道。
けれども、全然いつもと違う。
瓦礫が道を塞ぎ、その下に転がる人だったナニか。
やっとのことで辿り着いた先も、変わり果てた光景。
『あらあら、アウローラちゃん。こんにちは』
そう言って、いつも温かく迎え入れてくれた義母さん。優しく見守ってくれていた義父さん。
ノックスと私が魔法談義をしていた、部屋。
ヴラドをお祝いした、庭。
カルエの商会。
何もかも、ない。
嘘だ、嘘だ……!




