飲みやすい猛毒1-1
『人は皆、自分のいいように自己解釈をする
痛みを知る者を不幸と呼び、
夢を諦めた者を大人と呼び、
馴染めない者を異常と呼ぶ、
性的欲求を愛と叫び、
偶然を運命と吠える』
「失礼します!」
野営テントのためノックが出来ず、隣にいる近江迅がいつもの倍くらいの声量を出す。
「入れ」
野太く、低い声で返事が返ってくる。それを受けて、ボクたちもジッパーを上げてテントに入った。
テント中には、一人の男が両肘を机に付いた状態で座っている。男の胸板はゴリラのように分厚く、腕はゴリラのように太く、ゴリラのように凶暴そうな顔をしている。つまり、ゴリラにそっくりだ。
「ズール。隊長、近江」
「同じく副隊長、中末」
テントが震えんばかりの大声でそう叫び、ゴリラ男に敬礼をする。
「休んでくれて構わない」
ゴリラ男がそう言うのを待って、ボクと近江は「休め」の体勢になる。肩幅ほどに足を開き、両手を後ろで組む。
「二人を呼んだのは他でもない。派遣期間が終了だ」
ゴリラ男は両肘をついた体勢のままそう告げる。
「了解です」
「後はアルファチームだけで十分って事ですか?」
俺の言葉に、近江とゴリラ男の二人の視線が刺さった。特にゴリラ男の目は、人を射殺せそうなほど尖っている。今にもその大きな胸板を叩き、威嚇してきそうだ。
「中末副隊長、言葉に気をつけろよ。その言い方だと、我がアルファ部隊だけでは任務が困難だったように聞こえるぞ」
ゴリラ男は今にも殴り掛かって来そうなほど怒っている。何が怖いって、その怒りを少しも隠そうとしないのだ。まさに本能剥き出しの獣そのものだ。
「まさか、そんな訳ありません。中末も、佐藤隊長率いるアルファチームが優秀な部隊だという事は百も承知ですから」
近江に促され、「言葉の綾です。申し訳ありません」と謝罪を口にする。
「明朝三時、迎えのヘリが来る。それまでに荷物をまとめておけ。以上だ、戻っていい」
ゴリラ男は納得してなさそうな顔だけど、「失礼します」と残してボクと近江はテントを後にした。
いつまでもゴリラ男と言うのは彼に申し訳ないから、ここら辺で紹介しておこう。ゴリラ男の名前は佐藤大地といい、特殊派遣部隊〈アルファ〉の隊長である。
「どうして大吉は、佐藤に突っかかるんだよ」
テントを出ると、近江が呆れたように言った。
「だって、悔しいじゃないですか。近江隊長と佐藤は同じ地位のはずでしょ?」
チームは違えど、特殊部隊という組織の中では同じ階級だ。それなのに、いつも佐藤は近江に対し、格下のような態度をとる。
「仕方がないよ。向こうは皆さん憧れの部隊。それに比べて俺の部隊はできてまだ日が浅い。それに、所属隊士の人数からして違う。二十五人もの大所帯のボスと、たった五人の部隊の隊長ではね」
「それでも国への貢献度だったらアルファとも遜色ないですよ」
「嬉しい事を言ってくれるね~。中末大吉副隊長。帰ったら、死ぬほど飲もう」
近江はおどけたように、右手で酒を煽るような仕草をする。
「隊長命令ですか?」
「命令じゃないと来ないって言うなら、命令にするが?」
「ご馳走になります!」
二人で笑い合いながら、帰った後の話で盛り上がっていると・・・
『グリュック、グリュック。 こちらボスです』
腰に付けてあった無線が鳴った。〈グリュック〉というのは、ボクのコードネームだ。ボクたちは仕事柄、命を狙われる事もある。そういった時に少しでも個人情報を守るため、無線などで呼ぶ時はコードネームを使うのが部隊の習わしだ。ちなみに、無線を飛ばしてきた男は〈ボス〉というコールサインだが、まだ部隊に入ったばかりの新米隊士だ。基本的にコードネームは上士がつけるのだが、本人の強い意向でこの名前になった。正直、ややこしくて仕方がない。
『こちらグリュック。なんだ?』
『ズール本隊の野営テント付近にて、アメリカの軍医が地雷を踏んだ模様。どうしますか?』
舌打ちしそうになるのを必死に我慢し、代わりに大きな溜息を吐く。
『ボクの任務外での三ヶ条を言ってみろ』
『一、報告書や始末書を増やすような事はしない。 二、美人と老人と子供には優しく。 三、他国の者とは極力絡まない。です!』
『OK。よく分かっているじゃないか。それを踏まえた上で質問する。その軍医は其の二に当てはまるのか?』
『いいえ。中年男性であります』
『アメリカ軍に報告だけして、後は放っておけ。周りが危険区域だと分かっていて、勝手に出歩いた軍医が悪い』
『了解!』
このやり取りを聞いていた近江が隣で溜息を吐き、右手でボクの肩を抱いた。呆れ顔で首を横に振っている。ボスが送ってきた無線のチャンネルは、ズール専用のチャンネルだったため、近江も聞いていたのだ。
『こちらタクト。ボスは近くにいる隊員とツーマンセルで地雷処理に向かえ』
「近江さん!」
ボクが止めようとするも、『了解!』という言葉が無線から聞こえて来た。
今度はボクが大きく溜息を吐いた。
「そんな顔をするな。人命がかかっているんだ」
そう言って肩をたたく。
「だって今回は、ボクの任務外での三ヶ条を全て破っている」
反抗するも、苦笑いだけを返して、近江は再びズールのテントに向かって歩み始めた。
最悪だ。よりにもよって、なぜこのタイミングなのだ。明日になれば、二ヶ月に及ぶ中東任務が終了し、日本に帰れる。だから今日はゆっくり休みたかった。それなのに、バカな軍医のせいで台無しだ。
ここでボクたちが助けたら、アメリカ軍と特殊総隊への報告書を書かなければならなくなる。明日にはこの地を去るから、報告書の作成を明日に先送りする事も出来ない。夜中まで報告書の作成に時間を割かれてしまう。まだ美人な軍医であればよかったのに、アメリカの中年男性ときた。最悪だ。
「ほら、大吉。行くよ!」
ジープの運転席から、早く乗るように急かしてくる。急いだところで、ボクたちが着くよりも早くに地雷処理は終わっているだろう。