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歯ぐるま  作者: 霜月うめり
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〈第四章〉繋がり


〈第四章〉



 大学生のアルバイトは、大体曜日が決まってしまう。と言うのも、時間割が固定だからだ。僕は基本的に火曜日と木曜日と土曜日という、一日置きの出勤をしている。そのため僕が図書館に来るのは、アルバイトまでの時間潰しで火曜日と、蓮也の授業が終わるのを待つ水曜日だ。向かいの席の彼女は、最近僕より早く来ている。彼女が図書館に来るのは、決まって水曜日だった。勉強熱心な日もあれば、本を読み漁っている時もある。

 そしてこの日もやはり彼女は先に来ていて、本を読んでいた。僕の好きな作家の本だと言うことは、遠目から見て分かった。僕は彼女の邪魔をしないよう、軽く会釈をしていつもの席に着いた。彼女も笑って僕に会釈をする。ただ今日は、何やら紙を僕の前に差し出してきた。


『もっとお話ししたいです。もし良ければ気が向いた時に追加してください。』


その言葉の下には、連絡先が書かれていた。恥ずかしそうに俯いた彼女は、相当勇気を出したみたいだ。彼女の勇気は買ってあげるのが、僕の理想の優しさである。見た目よりも肉食な彼女に、僕は少し驚きながらも、微笑んで鞄から携帯電話を取り出し、アプリから彼女の連絡先を打ち込んだ。「半田椿」という名前が大きく画面に出て、改めて彼女の姓名を思い出した。追加ボタンをタップして、トーク画面から簡単なスタンプを送ると、向かいに座っている彼女は嬉しそうに携帯電話を取り出して画面を操作した。友達認証されると同時に、通知が届く。

『追加ありがとうございます。』

彼女は立て続けに僕に送る。

『そしていきなりごめんなさい。』

その言葉と同時に、キャラクターが汗を流しながら謝るスタンプが送られてくる。僕も続けた。

『大丈夫です。ありがとうございます。』

控えめな顔文字を付けると、向かいの彼女はまた莞爾として笑い、僕に軽く礼をした。

 不思議な空間だ。よく知らない目の前にいる女性と、この距離で連絡をとっている。僕は本を読むためにここに来たのに、結局は図書館に来ても本を読まない連中と同じことしている。


 それにしても、彼女は僕と繋がることができる自信が、絶対的にあったのだろう。でなければこんなことはしない。僕がいっこうに彼女の連絡先を追加しなければ、僕たちの間の空気はとてつもなく気まずいものになっていたからだ。いや、彼女はそこを狙ったのか。僕が図書館に来ることが好きであること知っていて、これからも来ることに期待していて、自分の連絡先を追加しなければ僕にとって、図書館が気まずく嫌な空間になることを避けさせるため、わざとこの時まで待って、この折に連絡先を渡してきたのか。それなら少し納得がいくが、見た目以上に計算高いことになる。ではそこまでして僕と繋がりたい理由は何なのか。ただ単に好きな作家について語り合いたいのか、何かしらの勧誘もあり得る。

 僕はその辺りに関して、直接相手に真意を問うたことはない。気づけば僕は目の前にいる人について、顔と名前以外の何も知らないのだ。いや、基本情報なら普段の会話で聞き出せるが、彼女らの心の内、基僕に関しての真相を聞いたことがない。何故僕を食事に誘ったのか、何故僕と寝たのか、何故僕だったのか。全て僕の勝手な予想であり、決して聞かない。それくらいで良いと思っている。全てを知った瞬間、僕の中の何かが壊れそうだから。


 :


「それで、その後は?」

先日図書館であった出来事を、僕はベッドに寝転がったまま、隣で頬杖をついて聞き入る沙羅に話していた。彼女はこう言った話には興味津々のようだ。

「時々連絡くるけど、進展は何も無いかな。」

裸のまま彼女は仰向けになり、詰まらなそうに嘆いた。

「何でいきなり連絡先を渡してきたんだろう。」

僕の中で区切りのついたはずの質問を、気づけば彼女にしていた。本意は行為者にしか分からないはずなのに、何故僕たちは同じ性別だからとか、同じ世代だからとか言う理由で、目の前の一つの意見に縋ってしまうのだろう。目の前の彼女はましてや観察者でもないのに。

「好きだからじゃないの。」

固まったように彼女は言った。「好きじゃないならそこまでしないでしょ。」と。好き、というそんな単純な言葉で、この問題は片付くのか。彼女の考え方はなんて安易で、なんていい加減なのだろう。

「私だったら好きじゃなかったらそこまでしない。態々毎週向かいの席に座って、連絡先まで渡してくるんでしょ。逆に好きでも何でも無い相手だったら、まず向かいの席にすら座らないよ。」

「確かにそうだけど。好き以外の目的かなと思ってね。」

好き。 僕とまともに話したことがないのに、僕の理想像が彼女にはもう伝わっているのか。 それは流石にないだろう。

「好き以外の目的というと?」

「例えば何かの勧誘とか、男除けとか。」

そう言った瞬間、彼女は大きな声で笑った。

「葵くんは、いつも疑いの目から入るね。」

「あの子が東堂葵を好きになる瞬間は、無かったはずなんだよ。」

「もっと単純に。」

彼女はまだ笑っている。

「人は雰囲気でも人を好きになるよ。もちろん外見でもね。その子は、葵くんの見た目とか空気感と、共通の趣味に運命感じたんじゃないのかな。」

心から人を好きになったことがない僕からすると、その意味はあまり深くは分からなかった。

「葵くんってさ、ヨーロッパ風の茶髪に、ふわふわした髪質でしょ。優しそうな切れ長の綺麗な目で、鼻も高いし、そこらの化粧してる女子より断然美白だよ。身長も高くてスラッとしてて、意外と筋肉あるし、極め付けに読書家って。清潔感すごいし、シャンプーの良い匂いするし…。」

彼女はいつでも僕を褒めてくれる。彼女といれば、自分の自己肯定感がグンと増すのを実感する。僕はその彼女の優しさに漬け込んでいる。僕は「そんなこと無い。」と笑った。

「セフレって何だろうね。」

彼女は僕の疑問を返すように、仰向けになって小さく言った。

「身体の繋がりじゃないの。」

笑いながら言うと、彼女は小さく吹き出した。

「そういうところは単純だよね。」

 僕は他人の気持ちは分からないけど、他人との繋がりの理由は分かる。僕たちは寂しくて、誰かに認めて欲しくて会っている。彼女が僕をどう思っているのかは知らないが、少なくとも互いに連絡をよこしているのは、そういう理由だと思う。合理的な関係だとも思う。僕たちは子供ではないが、大人にもなりきれていない。結局同じような人に身体で助けを求めてしまう。


 :


 あっという間に夏が来て、大学校舎に赴くのも億劫になるような気温の上昇が見られた。試験週間ということもあり、図書館はいつもよりも人が多い。無論彼女は僕の向かいに座り続ける。最近は毎日連絡が来る。僕があまり携帯電話を確認しないのもあるが、一日に取る連絡の数で言えば多くない。一日に一通から二通程度の会話だ。内容は主に本の内容とか、最近は少し踏み込んで、サークルの話やアルバイトの話をしている。僕からするとほぼ毎日連絡をとっている他人と、週に一度無言で向き合うことが気まずくて仕方ないが、彼女の方はそうではないみたいだ。いつも僕に微笑み、何もなかったように作業をしている。何を考えているのかは分からない。彼女がそれだけ颯爽としている分、僕も同じように接した。


 それにしてもここまで待ったを喰らうのは初めてだ。僕は口を開いて初めて自分を確立したが、彼女の前では空気感と雰囲気で僕を取り繕わなければならない。しかも、伝わっているのかが分からない。別に伝わらなくてもいいが、なんとなく僕という完璧な存在を知ってほしい。前よりも集中力が落ちた。そればかり気にするようになったからである。席を変えようかとも思う時があったが、連絡先まで交換しておいていきなり消えるのは、僕という人間には似合わない行為だ。面倒だ。面倒だがここまで来ると知って欲しい。僕を狂わす矛盾が起きていた。


 :


 全ての期末試験を終え、解放感でいっぱいの僕と蓮也、柊の三人は学校の食堂で他愛もない話をしていた。そこに齷齪とハイヒールの音を立てて、鬼の形相で走ってきたのは同じサークルの那奈だった。

「ちょっとちょっとあんたたち。」

相変わらず派手な格好だ。

「那奈。」

蓮也が軽く手を挙げると、彼女は同じ卓の席に座った。僕と柊も口々に「お疲れ。」と声をかけた。

「なんであんたたち、結奈と繋がってんの。」

驚いた顔は崩さず、彼女は早口でそう言った。蓮也はぽかんとした顔で聞き返す。

「どの結奈だ。」

「中央大の三年の。」

「あー。」と声を上げる僕と蓮也に、柊は小さく「誰だ、結奈って。」と僕に聞いたため、僕は「ほら、新宿で飲んだ。」と柊と那奈に向かって言うと、彼女は相変わらずの大きな声で言った。

「嘘、飲んだことあるの。」

「おう、合コンした。」

蓮也が満面の笑みでそう答えると、彼女は驚いた顔をした。

「お前こそなんで知ってんの。」

蓮也の言葉から、僕たちは彼女に注目する。

「結奈とは高校が同じだったの。それで、インスタのフォロワーに蓮也と葵の名前見つけたから、いや何でってなって。」

こう言うことはよくある。世間は本当に狭い。言われてみれば結奈ちゃんと那奈は同じような雰囲気だ。俗に言うギャルで、同じ界隈にいたと言われても肯ける。

「つーか結奈、どうだった。」

那奈は興味津々に、前のめりで聞いてくる。どうやら僕たちの中の誰かが、結奈ちゃんと関係を持ったと思っているらしい。

「残念ながら、結奈ちゃんの隣に座ったのは柊だったんだよね。」

僕が笑いながら言うと、彼女はつまらなそうに仰け反った。

「当たりに見える外くじかよ。」

「おい外れくじってなんだよ。」

「酒の力では抱かない男じゃん。」


 確かに柊は一見当たりに見えた、外れくじだ。如何にも整っている綺麗な顔の男が飲み会で隣に座れば、後は流れに任せれば良いように感じるが、如何せん柊は簡単には酔わないし、酔ったとしても性欲が高まるわけではない。自分だけお持ち帰りされなくて、目を点にした女性は過去に何人もいるだろう。


「いや、結奈さ、高校の時すごくて。」

那奈は少し周りを警戒したのか、椅子を卓に近づけるように引き寄せ、声の大きさを落とした。

「あの子、他人の男にしか興味無かったんだよね。」

「まあそんな感じじゃん。」

蓮也はいつも思ったことを正直に言う。

「私の元彼も彼奴にとられたしね。被害者めっちゃ居るし、なんなら先生とも不倫してたし。」

「それはそれは。」

「そこまでは言ってなかったね。」

「大学入ってからはホストで遊んでるってことしか知らないけど。」

「やけに歌舞伎町の地形詳しかったしね。」

僕が言うと、蓮也は「確かに。」と声をあげ、続けた。

「柊ってまだ結奈ちゃんと繋がってるのか。一回飲み行ってたよな。」

「一回行ったけど、その時も何もなかったし、連絡先消した。」

「流石だな。」と柊以外の僕たち三人は笑った。現に柊は今の今まで彼女の名前を忘れていたし、こんなことは初めてではない。柊の携帯電話に連絡先として残る方がよっぽど難しい。


 今まで何人も柊という沼に嵌り、足をとられ、そしてついに抜けなくなった人を見てきた。容姿端麗で、今まで恋愛においてあまり苦労をしなかった人は、特にその沼から抜け出せられなくなる。なんとしても柊に振り向いて欲しい、今まで誰も振り向かせられなかった高嶺の花を、自分なら振り向かせられる、そんな心理で、もはや標的としているのは目の前のたった一人の男ではなく、寧ろ周りの女に気を取られている人も何人も見た。人が人を好きになる過程で、何故自尊心が登場したのか。僕にはそれが理解できなかったし、やはり人間は面白くて醜いと思った。ただそんな柊の生き方は粋で、僕にはそこら辺の大学生よりもよっぽど綺麗に見えた。


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