第十一話 惨劇 後半
――オーディーさんは強い。だから、だから·····
あの化け物と今なお相対しているであろうオーディーが生きていることを願いながら、ヘトヘトの脚にムチを打つ。
ステータスも最弱であるが故に、雪の脚力は、あるいはそこらの村人よりも遅い。しかしオーディーの事を思うとその脚は限界を超えているであろう速さを発揮する。
「見えてきたアラクネの巣ッ!」
視界の端にアラクネの巣を捉えた。自然と脚に入る力は強くなる。
「はぁ、はぁ、オーディーさんッ! ·····え!?」
そして、辿り着いた先に待っていたのは、満身創痍のオーディーであった。四つん這いとなり、血反吐を吐くその姿はいつになく弱々しい。
そんなオーディーを見て雪は血気迫るような勢いで呼びかける。
「オーディーさん! 早くそこから逃げて!」
オーディーのすぐそこには既にヒトガタが距離を詰めていた。
あの時のような思いはしたくない。その一心でオーディーの元にへと脚を動かす。しかし·····
「は?」
確かにあった右腕の感覚が突如として無くなった。「えっ!?」っと目を点にして右腕の方にへと視線を向けると、そこには血飛沫をあげる右肩が
「アァァァァァァ!」
数秒遅れてきた痛みに叫ぶ雪。その痛みに意識を失いかけるが、目の前にいる満身創痍のオーディーを想い、何とか意識を保つ。
「グッ! オーディー!!」
あまりの出来事に思わずオーディーを呼び捨てにして叫ぶ。すると、顔を血で染めたオーディーが雪の方にへと顔を向けた。
「おい! グハッ!! なん、で、戻って、きた?」
血を吐き出しながら、オーディーは苦痛と驚愕でその顔を歪ませる。
「ちっ! 馬、鹿がッ! うおお、おおおぉ!!」
雄叫びをあげ、血という赤色に染められた純白の甲冑の重さをまるで感じないかのように、立ち上がる。その姿は実に勇敢で、奇跡的なのだが、しかしながらそれは虚しく終わった。
ヒトガタの糸の強度は鋼鉄の如く、切れ味はかのダイヤモンドすらも切り刻むという。
そんなヒトガタの手から放出される汚れひとつない純白の糸が、まるで紙を切るが如く易々とその鎧を切り刻んだからだ。
「グハッ! あがァァァ」
再び血反吐を吐き出し倒れるオーディーを、ヒトガタが踏みつける。襲ってくる強烈な痛みに耐えながら、オーディーは眼前に膝立ちをしている雪にへと目線を飛ばす。
「ユ、ユキ! 逃げろ! なん、で、戻って、きた!?」
「そ、それはオーディーを助けようと――」
「無理だ! コイツは俺で、すら無理なんだ! 頼む。逃げてくれ、じゃないと、俺が命を懸けた意味が、グハッ!」
ヒトガタはニタァとした気味の悪い笑みを浮かべながら、オーディーに賭ける負荷を段々とと強くしていく
「オーディーだけは、リリスと逃げてくれ! 俺が代わりになるから! うおおおおぉ!!」
あの時護身用として受け取った剣を左腕だけで持ち上げ、オーディーを踏みつけるヒトガタにへと振り下げるが、しかし
「えっ!?」
その剣は刀身の半ばからパキンっと折れてしまった。それはまるで雪の心を投影したかのように、そのまま力なくその場に膝から落ちる。
そして刹那、ヒトガタの蹴りによって遥か後方にそびえる岩に向かって吹き飛ばされる。
ヒトガタの蹴りによって、必然的に懸かる背中への負荷は、既に満身創痍であるオーディーには十分に堪えるダメージであった。
「「グハッ!」」
二人して、共に地面に向かい血を吹き出す。そして、壁にへと打ち付けられた雪は地に突っ伏してしまう。必死に拳に力をいれ、立ち上がろうとするのだが、どうしても立てない。
そんな雪の目の前には依然、背中を踏みつけられているオーディーの姿がしかし、ヒトガタはそれにすら飽きたのか手を上にあげる。
遠目からでも良く分かる光り輝く糸の存在に雪は叫ぶ。
「やめ、やめろよ! オーディー逃げろ!!」
しかし、オーディーは逃げたくても逃げれない、ヒトガタの脚がそれを許さなかったからだ。故に己の死を悟ったオーディーは、笑顔でこう告げる。
「ユキ·····お前たちだけは生きろよ·····」
瞬間、スパッとその首が切り飛ばされる。これがキーク王国、最強の騎士団長、オーディー=ウォーの最期であった。
召喚されてから、まるで自分の事のように気遣ってくれたオーディーの死は、雪の心に亀裂を入れるのに充分過ぎるほどだった。
「う、うああ、あ、あ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
もはや声にすらならない掠れた叫び声が、ダンジョン内に虚しく木霊する。しかしながらヒトガタは、雪にへと歩み寄る。まるで次の玩具と遊ぶ時のような、無邪気な笑みを浮かべて
だが、雪には目の前に広がる惨状に身を震わせ、その瞳からは絶え間ない涙をこぼすことしか出来ない。それほどオーディーの死は、やはり堪えるものなのだろう。
――俺たちが一体何をしたってんだ? ·····
雪の疑問に答えてくれるものはもう誰も居ない。
――誰か·····誰か助けて·····俺をここから·····
脳裏に浮かぶは慧馬たちの姿、最も近くて、しかし最も遠い場所に行ってしまった彼らの姿を鮮明に思い出す。
(俺にはなんの力もなかったよ、四宮·····)
あの時、自分を励ました彼女はこの場にはいない。
(俺の力はオーディーたちの人生を変えられるほどの力なんてなかった·····)
珠鈴が自分に向けて言った言葉。
『人の人生を変えられるぐらいのすごい力を持っているんだよ?』
しかし、それは違かった、嘘であった。であればオーディーたちの"死"という運命を、人生を変えられたはずなのだ。だがしかし、自分の魔法適正ゼロはただの足でまといにしかならなかった。
自分の現状·····既に失ってしまった右腕、自分のステータス。そして、半ばから折れてしまった剣。その全てから導き出せる自分の運命·····
すなわち”死”、自分の人生が今、ここで終わりを告げる事を、そして何よりも自分が望んでいる。
そして壊れる心。それはまるで硝子のように、破片となって散らばる。そこから漬け込んでくる見たくもない現実、背けたい事実。次いで襲ってくる孤独感。ダンジョンの暗黒が雪の心を堕としていく·····
そして、遂に目と鼻の先にまで、迫ってきたヒトガタに、雪は全てを諦め、その瞳を閉じた。
(最初から、俺なんかが生きてちゃいけなかったんだ)
もう既に、手の先にまで力が行き渡らない。そんな瀕死の雪をヒトガタがニタァと覗き込む。
(殺してくれ·····もういっそ·····)
だが、自分の肉が切れる感覚が、音がしない。しかし、その代わりに聞こえてきたのは少女の断末魔の叫びであった。
「え!?」
眼前には血を流したリリスが·····口から血を吐き出し、体には無数の傷が開いていた。
「おい! リリス!」
(オーディーに続いてリリスまで失ったら俺は·····)
無我夢中で体を起こす。体から聞こえてくる己の悲鳴を無視してリリスの元にへと向かうが。しかし、獲物を逃したヒトガタが雪の前に立ちはばかる。
「邪魔だ!」
気づいたら、雪は左手に握られた剣でヒトガタの眼を切り裂いていた。
「ギャアァァァァァァア」
とてつもない叫び声がダンジョン内で響き渡る。だが、そんなヒトガタには目もくれず雪は呆然とリリスの元へと近寄る。
「なぁ、リリス·····なんで、なんでなんだよ」
近づくと、そこには風前の灯となったリリスの命があった。夢中でリリスにへと呼びかける。そんな雪に、弱々しい声でリリスが言葉を発する。
「ふふっ、ユ、キさん。良かっ、た無事だった」
笑顔でそんな事を口にしたリリスに、雪は思わず怒鳴る。
「なんで、なんでなんだ! あそこにいろって言ったろうが!」
「ご、ごめんなさい·····あなたの叫び声が聞こえて、きたから·····無我夢中で·····」
その言葉に雪は言葉を失ってしまう。
「ごフッ! はぁ、はぁ。ご、ごめんなさい·····もう、そこまで、なが、くない·····」
ハッと雪が急いで何とかしようと試みるがしかし、リリスが笑顔で雪の左手に右手を重ねてそれを止める。
「本当に、ごめん、なさい·····最期、にわがま、ま、言っても、いい?」
リリスの様子から、もはや訪れる死は火を見るより明らかだった。だからこそ言われるであろう罵倒や軽蔑な言葉を覚悟したのだがしかし、リリスの言葉は雪の予想を裏切るものであった。
「あな、たは·····生きて·····それ、が、私の、ね、がい·····」
そして再度言葉を失った。
――なんで、なんでそんな事を言えるのか?
こんな風になってしまったのは自分の弱さが招いてしまったものなのに何故? と疑問が心に渦まく。そんな雪の様子に気づかず、いやあるいはもはや視覚すら失ってしまったのかリリスが言葉を続ける。
「あ、あと、一つ、だけ、や、やく、そくを、お願、いしたいの·····いも、うとを、セラを、幸せ、に、してく、れたら嬉しい、んだけど·····お願いで、きる?」
差し出された小指に、雪は思わず己の小指を重ねた。
「ふふ、や、やくそくよ。おも、えば·····あなたとは、会った、ばかりなの、に不思議·····じゃ、あよろ、しく、·····お願いします、ね」
そして、その綺麗なルビーような瞳が閉ざされた。力なく伸ばされた右腕、既に温かさを失われてしまった体。その現実に雪は今まで以上の叫びをあげる。
「うあああア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
雪の瞳に狂乱の輝きが宿る。
「お前が、お前のせいで、みんなが! オーディーがッ! ·····リリスが·····」
折れた剣で目元を抑えるヒトガタに切りかかる。しかし、己のステータスの低さ故に殺す所まではどうしてもいかない。
――なんで俺はこんなにも弱いんだ! もっと強ければ·····強ければ·····
あまりにも一瞬で、刹那の内に自分の大切なもの達を殺したこの化け物に向かって、渾身の一撃を放つ。が、寸前でそれをかわされてしまった。
「ギャアァァァァァァアァァァ」
去り際に、叫びながらダンジョンの奥にへと消えゆくヒトガタ。しかし、そんなヒトガタを追うほどの体力は雪には残されてなかった。
――死にたい·····死にたいよ·····なんで俺だけ生き残るんだよぉ
絶え間なくその瞳から涙が流れる。それを止めてくれる人も、励ましてくれる人もいない。圧倒的孤独感·····先程よりも何倍にも感じられる孤独感が雪を襲う。
「なぁ、みんな·····アイツを退散させたし、良いよな? おれもそっち側に行きたいよ」
その呟きに応えてくれる人は既に居ない。だからこそ、左手にて握られている剣に力が入る。
「うあああああああ」
そして刺す。だが、その瞬間リリスの言葉が浮かんでくる。
『あなたは生きてそれが私の願い』
彼女は、溢れ出る血からその命が消えることは誰よりも自分が分かっていたはずだ。しかし、そのような状況下の中、リリスは笑顔で雪の無事を祈ったのだ。その彼女の想いが雪の思考を止めさせる。
カランッと剣がその手から落ちる。
――じゃあどうすれば良いんだよ·····なぁリリス·····
それに答えるようにリリスの言葉が脳内で流れていく。
『妹をセラを幸せにしてくれたら嬉しいな』
「そうだ·····セラ·····セラを、リリスとの約束だから·····」
そして歩みだした。セラを見つけ出すがために·····




