依頼その八 魔王討伐なんてやってられん
「魔王ってほっとけば老衰で死ぬんだねぇ」
「女将さん、言い方!!」
「でも、そういうことだろう?命の危険を冒してまで、わざわざやっつけに行かなくたって」
「害獣と同じで放っておくと増えるから、誰かが減らさなきゃならないの。いつだったか、ひどい勇者がいてさー」
ユゥラへの依頼は旅の宿に届く。各地を放浪し「ユゥラ・ブレインズ宛ての仕事、入ってる?」と訊いて回ると、亭主が預かっていた依頼状を手渡してくれるという仕組みだ。今回の封書には<ディロール商会>とあった。商人からの依頼は高報酬が期待できる。ところが依頼内容を読んでみれば、社長のディロール氏は勇者だとわかった。
勇者サリュエル・ディロールは王命を受け、仲間とともにはるか遠い魔王城への旅に出発したものの、さまざまな災難に見舞われながら山や海や果てしない荒れ野をゆくうち、軍資金が道半ばにして尽きてしまい、都市に立ち寄れど宿代すら支払えずにいた。
腹を空かせ、今夜も野営かと困り果てていたそんなとき、通りすがりの貴族がパーティメンバーのひとりに目を留めた。彼女のネックレスを買い取りたいというのだ。ネックレスに使われている虹彩石は、この辺りではとても珍しいらしく、遠征の始めごろに旅行気分で買った石ころ同然のみやげものが買値の三十倍で売れた。
さて、幸運に浮かれすぎないように出費を切り詰めつつ次なる街へ移動すると、そこでもやはり別のみやげものを高値でいいから売ってほしいと申し出る者が現れた。はるばる遠方からきた一行は、この地の人々にとって宝の山だったのである。
勇者達は皆で手分けをして、逗留中の街の市場と近隣の街の市場とに出ている商品の値段を調べた。そして全員が持ち寄った情報を比較したうえで、安く買って高く売れる品々をあちらの街からそちらの街へ運べるだけ運び、路銀稼ぎのための行商を始めることにした。
利益が出てくると、それを元手に人を雇い、荷馬車を雇い、サリュエル自身は旅の宿の一室に陣取って書類仕事に専念するようになっていった。交易の基本は安く仕入れたものを高く売ることだが、安いものが常に安く、高いものが常に高いわけではないから、どの街でどんなものが不足し、逆にどんなものがだぶついているか、明日はどうなりそうか、といった情報を絶えず監視しておかないと、売れない在庫を大量に抱えるはめになる。商売を始めた結果、商売し続けなければならなくなり、立派な事務所を構えた今のサリュエルは仲間ともども、魔王討伐などやる暇がまったくないそうだ。
依頼状の結びの部分を読んで、ユゥラは口に含んだ昼食をあやうく噴き出しそうになった。そもそもの旅の目的は、魔王にさらわれた姫を救出することだったのだ。放ったらかしかい!!
人質のつもりなのか、それとも見せびらかすつもりか、魔王はウェイナーくんの面前に姫君を連れ出してきた。姫のほうは特に繋がれているわけでもなければ抵抗する様子もなく魔王にくっついている。嫌な予感がして、ユゥラはわずかに苛立ちをおぼえた。
「エスフィリカ様、サリュエル・ディロールの代理としてお迎えに上がりました。ユゥラ・ブレインズです」
「ほう、怖じ気づいて傭兵を寄越したか。だが遅かったな。勇者がもたついている間に姫は愛想を尽かしてしまったぞ。ね?ハニー」
「ユゥラさん、申し訳ないけれど父上のもとへは帰りません。魔王って怖い人かと思ったらこんなにチャーミングなんだもの」
「はァ!?」
「ダーリンはね、毎朝新しいドレスをコーディネートしてくれるし、お歌もお料理も上手だし、わたくしのための綺麗なお部屋まで作ってくれたの。退屈なお城よりずっといいわ」
「そういうわけだ。戻って勇者に伝えるがいい。グハハハハハハハハ!!」
「ダーリン」「ハニー」
ウェイナーくんが大剣を取り落とした。
「ところでサリュエル様はなぜユゥラさんに代役を?ご病気ですの?」
姫と魔王は吐き気を催すほどにラブラブだったが、“勇者サリュエルは訳あって今や大商人、交易事業が軌道に乗り魔王討伐どころではない”と説明してやると、途端にエスフィリカの目の色が変わり、すごい力で魔王を突き飛ばしてウェイナーくんの脚にすがってきた。
「ハニー!!どうして!?」倒れた魔王が姫に手を伸ばす。
「なにがハニーよ変態!!ユゥラさん?こいつはわたくしをかどわかして、恋人同士と思い込ませ続けていたのですわ!わたくしの想い人は初めからサリュエル様おひとり!あー、いとしい勇者様のお名前の響きに、たったいま洗脳が解けました!あの下劣な化け物をギッタギタに引きちぎってやってくださいまし!!」
失恋は人をたやすく魔王に変える。魔王が失恋すればどうなるかは言わずもがなだ。この女、どっちが魔王だか……。ユゥラは報酬のことだけを考えるように努め、ウェイナーくんに大剣を拾い上げさせた。
「地上征服の野望など捨て、愛する妻と子らに囲まれて日々を過ごす……そういう生涯もよいかと思えた。王女を奪ったのも、父王を脅迫するためというよりは、正直なところ、あまりの美貌に魔王たる我が身を忘れさせられてのこと。しかし女の美しさなど、しょせん獣の本性を隠すための仮面であったな」
「ゆ、ユゥラさん!!」
「下がって!」
さきほどまでとは比べものにならない気迫を放ち、魔王がゆっくりと立ち上がった。恋人に振られた者だけがもつ深い深い闇の気迫だ。
「グフフ、グハハハハハ!!我が身体に闇が満ちる……。よくも、裏切ってくれたな。よくも、絶望させてくれたな。かくなるうえは地上の征服ごときでは済まぬ。人も、魔物も、男も女も世界そのものもなにもかもすべて滅ぼし尽くしてくれるわ!!」
「来るッ!!」
発射された魔弾に対し、ユゥラはウェイナーくんの正面で大剣をぐるりと一回転させた。剣先の描く軌跡が光の円盾となって闇の攻撃魔法を弾く。これが“魔障壁”。生成された魔法の盾は動かせないが一定時間その場に残り、しかも同時にいくつでも生成できるので、いろいろ応用が利く。たとえば空中を駆け上がるための即席の足場だ。左右斜め下方に次々と生成した魔障壁を蹴って闇の魔弾を躱しながら敵の頭上へ跳んだユゥラは、宙返りをして背後に着地、振り返りざまに魔王の剣と斬り結んだ。闇の剣が右から来れば左に盾、左から来れば右に盾。ぐるりぐるりの連続で自由自在に相手の攻撃方向を制限してゆく。
ウェイナーくんから間合いを取ろうとした魔王の背中が不意になにかにぶつかった。そう、なにもない広間に光の迷路ができあがっており、魔王は気づかぬうちに誘導されて正面以外の全方向を魔障壁に囲まれていたのだ。
「おのれ、おのれぇええええええええええええええ!!」
この一瞬をユゥラは逃さず、大剣をまっすぐ構えたウェイナーくんの突きが魔王の胴体を貫通した。
「お怪我はありませんか?」
「へ?ええ……」
「ではエスフィリカ様、退屈なほうのお城へ参りましょう」
腰の抜けた王女をつまみ上げ、ユゥラは崩れゆく魔王城から脱出した。
その後、エスフィリカ姫と勇者サリュエルは王の祝福のもと結婚したそうだが、商売や夫婦仲が現在でも上手くいっているのかどうかはユゥラの知ったことではない。