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四、現在地

「ーー!どこ行ってたんだ、心配したんだぞ!」

 …あれは、誰だ。

 知らない。きっと人違いだ。僕はお前なんか知らない。

「あ、ーーくん!久しぶり!ずっと探してたんだ。やっと見つかって、本当に良かった。」

 君も知らない。僕の知り合いではない。彼らが探しているのは僕じゃない。それをちゃんと、伝えないと。伝えないといけないのに…。

 声が、出ない。

「ーー?おい、何とか言えよーー。」

 そうだ、僕は伝えないといけないんだ。人違いです、あなた達が探している人はもう死にました、と。

 でも、声が出ない。声の出し方がわからないのだ。

「待ってくれ、僕はここに居る。おい、--!僕は死んでない!」

 僕に似た顔をした青年が、今にも枯れそうな声でそう訴えかけてくる。やめてくれ。僕は君なんか知らない。わからない。本当にわからないんだ。やめてくれ。僕は、僕は…


「あ…」

 目が覚める。朝だ。今日は天気が良くないようで、カーテンの隙間から朝日は覗かない。車酔いのようなどんよりとした気持ち悪さと、生温い脂汗が頭にまとわりつく。何もしていないのに、無酸素運動をした後のような疲れを感じる。

 変な夢を見た。ぐちゃぐちゃで、不安で、怖くて、でも懐かしい。そんな夢だ。


「顔色、悪いですね…。」

 店内のカウンターで、早速若葉さんに指摘された。

「ちょっと、目覚めが良くなくて。」

 ははは、とトースト片手に僕が情けなく笑うのを、若葉さんは心配そうに窺う。彼女に僕に気を遣わなければならない理由なんてないはずなのに、なぜ僕は彼女に心配されているのだろう。邦彦さんだってそうだ。普通だったらこんな宛も名前も無い人間を泊めて、朝食まで用意する義務なんてないのに。

 なぜここの人はそんなに親切にしてくれるんだろう。

 でも、こんな調子では駄目な気がする。これではニートや引きこもりとやっていることが変わらない。

「邦彦さん。」

「どうした、青年。」

 だから、せめて。自分の気持ちの整理のためにも。

「僕をここで働かせてください。」


 記憶を失って初めての頼み事は、有難いこと快諾して貰えた。アルバイトを募集しても、近くの高校はほとんどが校則でバイト禁止になっていたりするせいもあって全く声がかからなかったらしいので、人手不足が解消できて助かると言ってくれた。

 しかし午前中は全くと言っていいほど客は来ず、本当に人手不足なのかと疑っていたところに…。

「よおマスター。新元号おめでとう。」

 邦彦さんに屈託ない笑みを見せる中年の男性が、ガタンと豪快にドアを開けて入店した。

 新元号おめでとうとは、どういうことだろう。

「ドアが壊れるからもっと優しく開けろと言っているだろう。」

 彼は邦彦さんの注意を聞き飽きたとでも言うようなそぶりでなだめると、慣れない店員用エプロンの肩掛け紐を直す僕の姿に気が付く。僕は我に返って背筋を伸ばした。

「お、バイトか?」

「まあ、そんなとこだ。」


 昼から閉店にかけては結構な人数のお客さんが来た。邦彦さん曰く、世の中は十連休の真っ最中なので、朝寝坊して昼や夕方から外出というパターンが多いらしい。

 かく言う僕はあまり接客という接客はできなかった。皿運びや水汲みぐらいで、やっぱり人とコミュニケーションをとるのは少し苦手だ。

 人の気配がない空間に、コーヒーの残り香が漂う。夜七時で店は閉まり、邦彦さんは部屋に戻った。僕もエプロンを脱ぎ、片付けも終えて戻ろう。そう思っていた時に、若葉さんが来た。

「ちょっと、いいでしょうか…。」

 若葉さんは、まだ制服を着ている。


「凄いですよ、あなたは…。」

 若葉さんが右手に持った紅茶に息を吹きかける。

「私はここに来てもう半年は経ちましたが…。店の手伝いどころか、学校も結局行けていなくて…。」

 僕は緑茶の入った湯呑を掌で包みながら、ただ黙っているしかできなかった。何を言うべきなのか、言葉どころか伝えたいことすら出てこない。やっぱり、僕はコミュニケーション能力が低いらしい。

「あの頃は、こう見えて勉強ができたんです。お父さんが真面目な人で、塾とか習い事とかにたくさん通わされて…。でも、それが全部自分の力になっていくのが楽しくて。高一の頃は学級委員長もやってたんです。」

 彼女はまた下を見つめた。もちろんそこに地面は無い。カウンターテーブルに、ティーカップと湯呑みが佇むだけだ。

「あの頃の私が今の私を見たら、多分怒られるんだろうな…。お父さんもお母さんも、こんな娘に育てた覚えはないって、言うんだろうな…って。」

 彼女は無理な笑顔を作り、今度は天井を一瞥し、静かに溜息をこぼした。

「でも」

 僕は緑茶に口を付ける。流れ込む液は、手で持って感じていたよりも全然熱くはなかった。

「制服、いつも着てるじゃないですか。」

 若葉さんは自分のスカートの袖をつまみ、数秒見つめる。

「毎日学校に行こうと思うんです。行きたいとは、思うんです…。でも、できなくて。この前ぶつかったときも、通学路を途中で引き返していたんです。休日なのに。本当、バカみたいですよね。」

「でも、僕は…。」

 考えるよりも先に、口が動いてしまった。

「僕は記憶喪失なので、当たり前だけど昔の記憶はありません。でも、こうやって… 生きることはなんとかできてます。だから… 僕は、別にそれでもいいんじゃないかなって、思います。」

 残った緑茶を一気に飲み干す。温もりが喉を通り、胸を焦がす。

「これで、いい…?」

「僕が勝手に思ってるだけなんですけど…。優等生だった若葉さんと、今の若葉さんはもう別じゃないですか。だから、前までの若葉さんに今の若葉さんが届かなくても…。別にだめなことじゃないんじゃないかな、って…。すいません、何言ってんだろ僕…。」 

 今まで何も言えなかっただけあって、自分でも何を言っているのかよくわからなかった。自分の立場的にこんなことを偉そうに言うのもどうかと思った。でも、一つだけ言えるのは…。

「僕を幽霊じゃないって言ってくれたのは、今の若葉さんなんです。だから、僕は若葉さんに「今の若葉さん」を大切にしてほしくて…。」

 掌が手汗で湿っている。足がガタガタと震えている。やっぱりコミュニケーション、というか人に正直なことを言うのは苦手だ。

 一方若葉さんは…。

「な、泣いて… 僕なんかまずいこと言いましたか!?」

 若葉さんは、窓ガラスに垂れる霧雨の水滴のように静かに、その液を顔に流していた。

「私泣いてます…?ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃ…。でも、嬉しくて…。」

「嬉しい…?」

「誰かに私の存在を認めてもらえたのが、凄く久しぶりで、それで…。」

 そうだ、彼女も僕と同じだったのだ。

 少し変わっただけなのに、周りはその変化を見逃さず。昔の自分はどうしたんだ、あの頃は良かったのにと、そんなことを言われ続け、比較され続け。

 それじゃあ彼女は「昔の自分」の抜け殻と同じじゃないか。今の彼女は、ちゃんとここに居て、紅茶を飲みながら僕と話しているというのに。

 彼女の現在地はここだ。昔どこに居たとしても、今はここで迷い、錯綜している。それはもう、「生きている」以外のなんという言葉で表すことが出来るのだろうか。

 でも、僕は?

 彼女と違って「前の自分」の記憶すらないのに、そのことについて考えるだけで不安になり、人に甘えて生きている。「自分」が一体何者で、今居るべき場所すらわかっていない。

「あの… ありがとう、ございました…。私、あなたと出会えて… 良かったです。ごめんなさい、自分勝手なこと言って…。」

 若葉さんは、僕の目を見て、小さく笑った。

 そうだ、考えるまでも無いじゃないか。

 僕は僕の出身なんか知らないし、居場所もわからない。

 でも、若葉さんと話して、邦彦さんに助けられた、そんな、それだけの道標。

 その道標に支えられて、今、この瞬間は、ここに僕の現在地がある。だから、僕はここから明日へ進んで行けばいい。幽霊ではなく、旅人のように。行き先も地図も無しに、今日を生きればいいのだ。

 そんなことしかできない、空っぽな僕だが。少なくとも若葉さんにとっての小さな道標になれたのなら。

 生きていてよかったなと、今は思える。


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