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白雪姫と毒リンゴのお菓子

作者: 沙伊

「よかったらどうぞ」

 そう言って、おばあさんに化けた王妃は白雪姫に真っ赤なリンゴを差し出した。

 ルビーのように輝いて、血のように鮮やかな色のリンゴ。リンゴからはふんわりと甘い匂いが漂ってくる。

 とてもおいしそうなまあるいリンゴ。けれど、おいしそうに見えるのは見かけだけ。

 なんとそのリンゴは、蜜の代わりにたっぷりと毒が含まれていた。

 王妃は毒リンゴで白雪姫を殺してしまおうとしていた。継母は白雪姫の美しさが憎らしいのだ。

 王妃は魔法で装ったしわだらけの顔に笑顔を浮かべた。白雪姫が死ねば自分が世界一美しいことになるのだから、今から笑いが止まない。

 しかし、白雪姫の顔はどんどんひきつっていく。顔色も青ざめて、毒リンゴを見下ろしていた。

 王妃は戸惑った。まるで強大な怪物に出会ったかのような白雪姫の反応は、意外としか言いようがなかった。

 白雪姫はややあって、震え声を絞り出した。

「リンゴなんて……リンゴを食べるくらいなら、死んだ方がましだわ」


    ―――


 王妃はいらいらしていた。

 目に見えて機嫌が悪いようだった。

 薔薇色の唇を引き結び、サファイアの瞳を吊り上げる様は、美しくも近寄りがたい雰囲気だった。

 人間であれば絶対話しかけたくないだろうな、と思いながら、魔法の鏡は王妃に声をかけた。

『王妃様、王妃様、何をそんなに怒ってらっしゃるのですか?』

「怒ってはいないわ」

 継母は眉をしかめました。

 鏡に首があれば傾げていただろう。それほどに、王妃の顔は険しかった。

「私はね、怒ってるんじゃないの。ただいらいらしてるの」

 どちらも変わらないように鏡には思えた。

「毒リンゴを食べない白雪姫に私はいらいらしてるのよ。あの子、リンゴが嫌いなだけならまだしも、リンゴを下げさせるために包丁持ち出してくるのよ!」

 まさかの凶器持ち出し。魔法の鏡に口があれば、大きく開いていただろう。

 魔法の鏡の気持ちを察したように、王妃は満足げな顔をした。しかしその表情はすぐに曇る。

「しかたないから毒リンゴを色々なお菓子にして食べさせようとしてるんだけど、なかなかうまくいかない。ケーキにしてもパイにしてもコンポートにしてもジャムにしても、絶対口にしないのよ」

 魔法の鏡には白雪姫の頑なさよりも王妃のお菓子レパートリーの方が驚きだった。

 一体いつそんなにリンゴのお菓子を作れるようになったのだろう。

 そしてなぜ、そこまでして毒リンゴを食べさせたいのだろうか。

 魔法の鏡の疑問をよそに、王妃はひたすら白雪姫に対する恨み言をこぼすばかりだった。

 それ自体は見慣れたもの。けれど一つだけ違う点があった。

 毒リンゴを作る前まで、王妃は白雪姫の美貌をひたすら恨み、呪っていた。

 けれど今その口からこぼれるのは、毒リンゴを食べない白雪姫に対する愚痴だった。

 その様子は、好き嫌いをする子供に憤っているようだった。

『王妃様』

「何よ」

『王妃様はなぜそんなに白雪姫にこだわるのですか?』

「……なんですって?」

 王妃は目を見開いた。

 魔法の鏡は続ける。

『世界一の美しさがあっても、森の中に引っ込んでいては意味が無いでしょう。ああして引きこもっている限り、王妃様の脅威にはなりません。そもそも王妃様は十二分に美しいのに、なぜわざわざ世界一美しくあらねばならないのですか?』

「それは」

『それと、毒リンゴ』

 魔法の鏡は恐れることなく言葉を続ける。

『なぜ、毒リンゴにこだわるのですか? 毒リンゴを食べないのなら、別のものにすればいい。なのになぜ、そんなに頑なに毒リンゴを食べさせようとするのですか?』

 当然の疑問だった。少なくとも、魔法の鏡にとっては。

 けれど、王妃にとってはまさしく思いもよらない言葉で。

 しばらく黙ったあと、王妃はよろよろと部屋を後にした。


    ―――


 翌日、王妃はまた白雪姫の元に訪れていた。

 今までのやり取りでお菓子のレパートリーは底を尽きつつあったので、今度はアップルティーにして持ってきたのである。冷めないよう、保温のポットに入れてある。

 頭の中は半分以上魔法の鏡言われたことが巡っていて、なぜまた毒リンゴを使ってしまったのだろうと思っているけれど、今更引けない。

 最初は、なぜか城の中にリンゴ園があって、都合がいいからそれを利用していただけだったのだけれど、今となっては意味も無いものなのに。

「よかったらどうぞ」

「いりません」

 このやり取りも何度目だろう。お互い若干うんざりしていた。

 王妃は毒リンゴを口にしない白雪姫に。

 白雪姫はリンゴを薦める老婆に。

 いつものように断られて、王妃が声を上げかけた時だった。

「……なぜ泣いてるのですか」

 王妃はびっくりした。なぜか白雪姫が両目からほろほろと涙をこぼしていた。

 白雪姫は首を振って涙を流すばかり。そこでふと、王妃はずっと抱いていた疑問を口にした。

「あなたはなぜ、リンゴが嫌いなのですか」

 すると、白雪姫は言った。

「亡くなったお母様が好きだったからです」

「お母様の好きなものを嫌いなのですか」

「だって、お母様のことを思い出させるんですもの」

 白雪姫はうつむいた。

「お母様はリンゴが好きでした。リンゴ園を作るほど好きでした。自分でリンゴのお菓子を作ったりして、私に食べさせてくれました。お母様の作るお菓子が、私は好きでした。でも、お母様は亡くなられてしまった。もうお母様の作ったリンゴのお菓子は食べられません。そう思うと、リンゴで作ったお菓子が食べられなくなって、気付いたらリンゴそのものが嫌いになっていました」

 白雪姫は声を震わせた。

「リンゴなんて嫌い。お母様との思い出を思い出させるんですもの。リンゴなんて、見るのもいやよ」

 両手で顔を覆った白雪姫。声を上げて泣く白雪姫を、王妃は呆然と見つめていた。


    ―――


 王妃は幼い頃から、世界一美しくなるようにと育てられた。

 王妃の家は国一番の貴族で、その家娘である彼女は、いずれ王妃となる娘だと思われていた。

 けれど、実際の王様と最初に結婚したのは別の娘だった。王妃よりも美しい娘だった。

 周りは手のひらを返したように王妃から離れていった。

 王妃ではなかった、王妃になれなかった当時の彼女は、ひとりぼっちになった。

 王妃が一番美しくなかったから、誰も見てくれなくなったのだ。

 先の王妃が病で亡くなったことで、彼女が王妃となった後も、彼女はずっとひとりぼっちだった。

 みんな先代の王妃を悼むばかりで、今の王妃をちっとも見ようとしなかったのだ。

 ひとりでなくなるのは、王妃が着飾った時だけ。

 美しくしていればしているだけ、王妃は周りに人がいるできるようになった。

 美しくしていれば見てもらえる。

 美しくなければ見向きもされない。

 美しくなければ誰も優しくしてもらえないし、認めてもくれない。

 だから誰より美しくならなければ。

 誰より、誰より美しく。

 そうしないと、またあの時のように見捨てられるから――

 だからこそ、白雪姫の存在は王妃にとって恐ろしいものだった。

 彼女がいる限り、自分は一番ではない。

 一番美しくなければ、また見向きもされなくなる。そんなのは、絶対に嫌だった。

 リンゴを拒む姿も、自分をおとしめようとするようにしか見えなかった。

 ひとりになりたくない自分を嘲笑うかのようで、ただただ憎らしかった。

 けれど、泣く白雪姫を見て王妃は思い出した。

 王妃が城に来てすぐの頃。誰にも見向きされず、ひとり部屋で立ち尽くしていた頃のこと。

 ひとりきりの王妃に、最初に話しかけてきたのは白雪姫だった。

 どんな気持ちで声をかけたのかは王妃にも解らない。白雪姫も覚えてないかもしれない。

 けれど、白雪姫は確かに王妃を見て、王妃に声をかけたのだ。

 その時の王妃は王にも見てもらえないことがあまりにショックで、その娘の白雪姫が声をかけたことがみじめに思えて、その手を振り払ってしまったのだけれど。

 確かにそれは、起きたできごとだった。


    ―――


 次の日、王妃はまた老婆に化けて白雪姫の元を訪れていた。

 手にはいつものようにリンゴのお菓子。一番最初に作ったアップルパイだった。

 老婆がまた来たことにか、それともまたリンゴのお菓子を持ってきたことにか、白雪姫は美しい顔をしかめた。

「食べなくてかまいません」

 王妃は言った。

「ただ、お茶を淹れて、私とお話してください」

「お話?」

「はい」

 王妃はぎこちなく、微笑んだ。

 アップルパイに使ったのは、毒リンゴではなく、普通のリンゴだった。

 食べるのも、白雪姫ではなく、王妃自身だった。

 白雪姫のことを憎む気持ちは変わらない。

 世界一の美しさにこだわる気持ちも変わらない。

 けれど、王妃は白雪姫と話をしてみようと思った。

 話をしてみたいと思った。

「お話をしましょう。お互いのことを、話しましょう」

 王妃は白雪姫と初めて会った時のことを思い出す。

 ――初めまして。

 そう言ってカップを差し出した白雪姫の気持ちは解らないけれど。

 その中身は、アップルティーだった。

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