第三話 勇者と魔王の時代
扉を開けたら、そこは激戦区だった。
ただし、そこには、「かつての」と枕詞が付く。
禍々しくもおどろおどろしい彫刻、調度が壁や天井を這い回り、扉から部屋の最奥までの間に街路樹のように、あるいは衛兵の列をなすかのように並べられた石柱が得も言われぬ圧迫感を醸し出す。
そのたどり着いた先に待ち受けるのは、荘厳にして厳粛な石造りの飾り椅子である。否、迂遠な表現を避けるのならば、玉座と呼ぶのが最も適切だろう。
けれど、そうした全ての構造物は、焼かれ焦がされ、あるいは圧倒的な暴力の嵐に巻き込まれたかのように、砕かれ倒され崩れかかっていた。
カルナロアとクリオスが、探索と前進の挙句にたどり着いたそこは、無人の玉座、謁見の間と思しき部屋だった。
思わず、二人そろってため息を漏らした。
けれど、そこに込められた意味はまったく違う。
「もったいない……」
「此処は、まさか……」
こぼれた呟きもほぼ同時。それに気づいたカルナロアが、うろんげな目をクリオスに向ける。
「なに? なんか知ってんの?」
その問いに視線を返すクリオスの目もうろんげだ。
「君の方はずいぶんと俗っぽい…いえ、それは分かり切ったことですけど…知っているも何も。君は気づかないのですか?」
問いに問いを返され、今度はあからさまにカルナロアが不機嫌に口を尖らせた。
「『言わなくても分かる』は甘え……なぁーんてどや顔で言ってくださりやがったのはどちらさまでしたっけぇー?」
「うん?ああ、なるほど。気づかないし分からないのですね。失礼。
カナちゃん、いいですか? 僕たちは伝承期の遺跡を調査するため、ここに来ました。ここまでは分かっていますよね?」
幼い子に噛んで含んでモノを教えるようなクリオスの態度に、カルナロアの眉間の皺が一層深く刻み込まれたものの、遮っていては話が進まないのも承知しているので、憤懣をあえて口に出しはしない。
なにせ、大人なのだから。クリオスが何と言おうと自分は大人なのだから、この程度で目くじらは立てないのだ。だから、クリオスの無礼にもあえて目を瞑って付き合ってくれてやるとするのだ。大人だから。そう自分に言い聞かせて、話の続きを促してあげる。
「そんな分かり切ったことはいいから。本題はよ」
まぁ、多少返答が雑になるのは仕方ないとして。
「えぇ。いえ、本題と言っても、そこが分かっていれば自ずと導ける答えと思うのですが…良いですか?
この部屋は、どう贔屓目に見ても玉座、すなわち王の座所です。
そして、其処此処に残された戦闘の痕跡。よほど強大な力を持った者同士が、ある程度の拮抗状態を保って戦闘を継続しなくては、ここまでにはならないでしょう。
決して戦闘のそれ自体を目的としたのではないはずの謁見の間において、極めて強大な者同士が、泥仕合とさえ呼べるほどの拮抗した戦闘を繰り広げる…このような事例は、歴史を遡ってもそうはありません。
さて、今一度問いましょうか。 カナちゃん、僕たちは何時の……いえ、〝誰の”時代の遺跡を調査しに来たのでしたっけ?」
改めてクリオスから問いが投げられる。
玉座の間で延々ドンパチするような、はっちゃけ実力者な王様。
さすがにそこまで範囲を絞られたら、カルナロアにも分かった。というか、答えが出てみれば確かに、なぜ分からなかったのかと不思議なくらいだ。あるいは現実味がなさ過ぎて無意識にその答えを避けていたのか。
「……魔王城!? ここっ!?」
「はい、よくできました。そして悪いお知らせです。先刻のテレポーターが、たとえば魔王側ではなく勇者側、つまりは侵攻側によって設置されていた場合、帰路が残されていない可能性が出てきました」
「あー…はいはい。あれでしょ?『勇者はそのすべてをかけて、魔王を封印したのです。こうして世界に平和が戻りました。めでたしめでたし』ってやつ」
それは、「伝承期」と称されるその名にふさわしく、この世界でもっとも有名な伝承、物語の末節。
『勇者は、そのすべてをかけて魔王を封印した』
そう。本当にまったく。全てをかけて。
子供向け、あるいは勇者の偉業に直接関わることのない一般市民向けには、ただの自己犠牲の美談である。「ゆうしゃって、すげー!」と、一声感嘆すればそれでおしまいになる類の。
けれど、冒険者に類する、ある程度勇者に近しい視点を有する者にとっては全く違う意味を持つ。
勇者は、くるっていた。魔王の封印という、そのたった一つの目的を果たすためだけに。
物語に語られる「すべて」とは、本当にまったくすべてである。
武の才のすべて―――類稀な天賦の恵体と、常人には到底理解できぬ、寸刻をも惜しむ鍛錬の果てに。
魔の才のすべて―――封印、結界の魔術の分野においてのみ、数十年とも数百年とも称される進歩を世にもたらして。
政の才のすべて―――術式を完全なものとするため、魔王城に十分な人員を投入し、同時にその封印を解かれることのないよう、魔王城の所在を後世の記録から入念に抹消させて。
己の生のすべてをかけて―――魔王城へと挑むその決死行は、自らの帰路、退路さえ完全に断ち切ることで外部への逃亡を防ぎきる、偏執的なまでに徹底された片道行であったと言う。
武の、魔の、政の道に携わったものであれば、勇者の異常性をはっきりと感じ取ることができた。
神話に語られる不条理で理不尽な神の所業とは一線を画し、決してその偉業は、不可能ではないのだ。
神の御業には、人の世に当然あるべき連続性や再現性がない。理屈や道理を蹴っ飛ばし、ただ、『そうであるから、そうなのだ』といった類の理不尽さがある。
それに対し、勇者の積み重ねた功績には連続性も再現性もある。数多の偶然が重なった部分もあろうが、連続性がある。道理がある。『なるほど、こうなったからにはそうなるであろう』と思わせるだけの道程があった。
けれどそれと同時に、余人を以って再現することは不可能なのだと思い知らされる。
勇者の為した偉業は、人の延長線上にありながら、人であることを捨てるほどの狂気の果てにたどり着く極致であると。
そう、それは、確かに偉業であった。
何度打倒しようともいずれ復活を遂げることが約束されていた魔王の脅威を、根絶したのだから。
勇者失くして現代ヒト族の繁栄はなかったと断言できる。
けれど。
たった今、その偉業の残滓に巻き込まれたと推測したならば、それに直面している二人にとっては迷惑以外の何物でもない。
例えば、どこか取り返しのつくところに「この先魔王城」の看板でも出しておいてくれたら、わざわざここまで踏み込みはしなかったのに。
例えば、徹底的に帰路を塞ぐことまではしないでおいてくれたら、帰りの心配が心配を通り越して絶望の域にまで突入せずに済んだのに。
クリオスがそんな益体もない愚痴を脳裏に巡らせていると、その視界の端に動くものがあった。
何が、誰が、と考えるまでもない。魔王か勇者か、どちらかの影響でも残っているのか、不死者さえも立ち入ってこないこの部屋で、動くものと言ったら落ち着きのない同行者、カルナロアだけだ。
「さぁーって、何かめぼしいものは残ってないかしらねーっと」
「……カナちゃ…カルナロア。先刻の話は、理解してます?」
「なんなの?またバカにしてんの? そのくらい、分かってないわけないじゃん。 ただ、それとこれとは話が別ってだけでー。
アンタこそわかってんの? ここ、推定魔王城の、推定玉座の間よ?
見た感じ粗方壊されちゃってるけど、お宝が残されてる可能性に賭けるには悪くないわ。
んっふっふー。例えば、この瓦礫の下に、勇者の聖剣や魔王の魔剣が転がり込んでたりっ!
…は、さすがにないかぁ」
がごごん。いかにも重そうな音を立て、カルナロアが瓦礫を持ち上げる。その下を覗き込んでみても、めぼしいものは見当たらなかった様子だ。さりとてそれで諦めるカルナロアではなかった。
あちらこちらを見て回り、瓦礫を持ち上げてはその下を覗き込む。
終いには、砕けて床に散らばった彫刻の、その石自体をじっくり眺めて叩いて検分を始める始末だ。
それを眺めるクリオスは、〝この後どうするか”に何の答えも見いだせていない現状と合わさって、呆れたような生温い視線で見守ることしかできない。
「やっぱ良い材使ってンのよねぇ……それをよくもここまで砕きやがってくれたもんだわもったいないもったいない…
……あれ?何やってんのクロ?暇なの?それとも万策尽きて諦めたの? いっつもあんなえっらそーなどや顔で講釈垂れてるくせにぃー?」
いつもは口で勝てたことのないクリオスが黙ったままでいるものだから、ここぞとばかりに畳みかける。
ドヤ顔というなら、今のカルナロアほどその形容が似合う表情もなかなかないだろう。
仕上げとばかりに、これ見よがしにため息をつき、肩をすくめて哀れみに偽装した勝ち誇った顔をクリオスに向けて、言い放った。
「だっさ」
これにはさすがにカチンときたクリオスだったが、かといってその感情を表現する方法がとっさに浮かばず、すぐには何の動きをとることもできない。ただぴきりと青筋を立てるばかりである。
そもそも、長賢族に共通の気質として、あまり深い人付き合いをすること自体が少ないのだ。
カルナロアとは顔を合わせるたびに散々な言い合いを繰り広げるクリオスだったが、実を言うと、そこまでの長文で話すこと自体、彼女以外が相手では稀である。
〝他者に神経を逆なでられる”経験が乏しく、自身のその感情を表に出す術が分からない。
結果、傍から見れば硬直しているように見えるのだが、ここぞとばかりに攻め立てるカルナロアにしてみれば、一方的にやり込めたようなものだ。
「何にもすることがないなら、そこにちょうど椅子があるから座ってればいいじゃない?
休んだら多少はいつもの調子が取り戻せるかもしれないし?
そのまま干からびて骨になったら、次に来た人がびっくりするかもねー。『魔王は長賢族だったのか!』ってねっ」
にひひ、と意地の悪い笑みを浮かべたカルナロアは心底楽しげだ。
ここまでクリオスに言ってやれる機会などめったにないのだから、実際楽しい。
けど、思いつく限りのことは言ってしまったので、あとは上機嫌のまま、推定魔王城の推定玉座の間を検分する作業に意気揚々と戻っていった。
対してクリオスは、もう何度目ともわからないため息をついた。
カルナロアの言葉にカチンときたことは確かだが、現状何の指針も見出せていないのだから彼女の言にも一理はあると言わざるを得ない。
かといって当のカルナロアがしているように、帰る当てもないままに室内の探索をすることにも意味があるとは思えない。
では、どうすることが意味のある行動なのかというと、これが分からない。
どうにも思考がまとまらず、そのことがどうにも居心地が悪かった。
あるいはさっき言われたように、休めば多少は調子が戻るだろうか、などと、思ってしまった。
その考え自体、我がことながら随分と短絡な思考だと自嘲しながら、それを行動に移そうとするあたり、無自覚な範囲で心身が疲弊していたのだろうか。
そんな風に思いながらも、そこにあった椅子、つまりは主を失った玉座へと腰を休ませた。