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第1話:白いキャンバスに描いて《断章5》

「ずっと見ないフリをしてきたんだ」


 栄治は誰もいなくなった美術準備室でひとり呟いていた。

 無造作に散らかる室内、怒りに任せた結果がこうだ。


「薄々は気づいていた。榊原が俺に好意を抱いていることだって……」


 女生徒から告白されることは稀にあったが、当然、教師である栄治が生徒に恋愛するわけもなく、すべて断ってきた。

 生徒と恋愛するわけにはいかない、彼なりの予防線でもある。

 それなのに明らかに好意を向ける真夜に対しては、止められなかった。

 毎日のように、栄治に会いに来る彼女だが、それを嫌だとは思わなかったし、何気ない雑談することも楽しかった。

 傍にいてくれるだけで何かが満たされる、そんな想いすら抱いていた。

 たった2週間の出来事なのに、何ヶ月のように感じるくらい満たされた日々。

 しかし、その日常にも終わりはくる。

 栄治は真夜に告白されてしまった。


「私は先生が好きなんだよ」


 好きだと言われた嬉しさと、これで終わるんだという寂しい気持ちにさせられた。


「ルール違反だぞ、バカ野郎。俺達の間では言ってはいけない一言だった」


 恋愛感情を口にした時点でふたりの関係は崩れ去る。


「分かりきってたのに。何でだよ。当たり前じゃないか、俺は教師で榊原は生徒なんだから……」


 彼女だってそんなことは分かっていた。

 それでも、告白するという選択肢を選んだ。

 その結果……彼らの関係はあっけなく終わってしまったのだ。





 数日後、部活もないので誰も美術室には来ない。

 書きかけの絵を仕上げていた栄治だがテンションは上がらず。


「……調子でないな、アイツがいないってだけなのに」


 絵筆をおいてキャンパスを見つめる、白いキャンバスには鉛筆の下書きのみ。

 色を塗ろうと絵筆をとってみたものの、中々作業が進まない。

 白色の絵の具を取り出して物思いにふける。


「榊原は白色だと言った、確かに白は可能性ってやつかもしれないな」


 まっ白いキャンバスに色鮮やかな絵が生まれるように。

 白は何色にもなることができる、赤にも、青にも、虹色にだって……。


「そして、どんな色になっても優しく淡い色となる。アイツらしい色だよ」


 ふと、誰かが美術室をノックした音がする。


「誰だ、この時間に……?」


 放課後という時間帯に美術室を訪れる生徒はごく限られている。


『こんにちは、先生っ。会いに来たよ~』


――まさか、な……さすがに榊原を期待するのは俺の妄想でしかない。


 脳裏によぎった少女の笑顔を振り切り、彼はドアを開ける。

 そこにいたのは漆黒の長髪が印象的な美少女。

 名前は天海真心という学園の人間なら誰もが知る女の子だ。


「――高町栄治先生、貴方にお話があります」


 彼女は静かにそう告げると、こちらにその綺麗な瞳を向ける。

 

「俺に話?えっと、天海は俺の副担任の担当クラスの生徒じゃないし、何の用だ?」


 栄治には彼女がわざわざ訪ねてきて何か話をすることなど心あたりがない。

 真心は「正確にいえば兄からの伝言です」と嫌そうな顔をして言う。


「お前の兄は軟派で有名な天海京司か。教師にも噂が届いてる、問題らしい問題を起こさないが、かなり女関係で暴れているらしいな?」

「まったくですね。最近は愛人まで囲っていい身分ですよ、人迷惑な男です」


 神様っていうのは、いい顔して生まれた男にはたくさんの女の子に囲まれていい 思いをする権利ってのを無条件で与えるらしい。

 と、栄治なりに彼の幸運を羨む気持ちくらいはある。


「その天海京司から俺に何の用事なんだ?」


 彼女は俺に言い放つのはひとつの恋愛の格言だった。


「――恋をした後のもっとも大きな幸福は、自分の愛を告白することである。byジード」


 その言葉で彼は恋愛指導部に彼らの事情を知られている事実を知る。

 恋愛指導部は学園長が自ら設立した組織だ。


「人に大切な想いを伝える事が何よりも大切なことで、恋愛関係に至ることなくとも、その想いに応える事はできるはず。後悔をしている今の貴方がすべきことが分かっているのなら、前を向いて行動すればいい……だ、そうです」

「……はっ、恋愛指導部か。お前らは教師にまで指導してくるのか?学園公認の恋


 愛相談室ってのは聞いているが、こんな形で俺に関わるとはな」

 学園側に栄治と真夜の関係を知られたいるのなら、この恋愛は絶望的ではないのか。


「いえ、別に。私たちはその言葉だけを伝えに来た、それだけです。これ以上の介入はするつもりもありません。全てを決めるのは貴方自身です。それでは、失礼します」


 頭を下げてその場を去ろうとすると、栄治は思わず彼女を止めた。


「待て、待ってくれ。お前らはどこまで事情を知っている?」

「ある程度は把握しています。好意を抱く生徒を突き放す、教師としての対応は正しいものです。でも、それならばなぜ……高町先生はそんなに苦しんでいる顔をしているのですか?まるで貴方は今にも泣きそうな顔に見えますよ」

「それは……ああするしかなかったんだ、榊原に告白されて、俺も気になる存在だったけど、想いに応える事はできなかった。アイツを傷つけて、俺は後悔している。だけど、俺には……他にどうすればよかったっていうんだよ」


 真心は「私には分かりません」と短く告げて最後に一言だけ。


「兄いわく、『答えは貴方自身が気づいているはずです』。どうすればいいのか、ではなく、どうしたいのかが大切なのでは?……彼女は今、屋上にいますよ」


 そう言って彼女は今度こそ、「失礼します」と美術室を去る。

 栄治はその後ろ姿を見送り、静かにため息をついた。


「言ってくれるじゃないか、天海京司め」


 好きな女に好きと言えなかったことを後悔していた。

 しかしながら、どうすることもできなかった現実に打ちのめされている。


「告白なんて教師である俺がそれをするのは禁じられている。何をしてやれる?」


 真心を通じて、天海京司は栄治に何を伝えようとしたのか。


『人に大切な想いを伝える事が何よりも大切なことで、恋愛関係に至ることなくとも、その想いに応える事はできるはずです』


 彼はその内容を理解すると思わず笑ってしまった。


「そう言う事かよ、天海京司……それは“詭弁きべん”ってやつだろ」


 ずるいと言われたらそこまでの、詭弁と呼ぶべきもの。


「屋上か。アイツがそこにいるのなら、俺は俺のするべきことをするだけだ」


 描きかけの絵をおいて、栄治は美術室を出ることにする。

 ずっと会いたかった女の子がそこにいるはずだから。





「よぅ、こんな場所で何をしてるんだ」


 屋上にひとりで立ち尽くしていた真夜に声をかける。

 彼女は栄治の顔を見て驚いた様子を見せた。


「高町先生……?どうしてここに?」

「放課後の見回りに……って嘘だ、お前を探していた」


 彼はフェンスにもたれながら真夜の横に立つ。

 彼女は気まずそうな、どうすればいいのか分からなさそうにしていた。


「……さっき、ここで京司さんと話をしていたんだよ。恋愛の話。失恋は終わりじゃなくて始まりなんだって彼は言っていたの。おかしいよね、終わった恋を失恋っていうのに、そこから始まるんだって。あははっ、ありえないよ」


 彼女の寂しそうな言葉に栄治は京司の企みが見えた気がした。


――あの野郎、俺の行動すらお見通しってかよ。ちくしょう。


「失恋から始まるか。アイツの言う失恋で始まったのは俺の心だ。何て言えばいいか、その、お前の告白を断ってからずっと榊原のことを考えていた」


 真夜の存在を失う事の痛みは、栄治に大事な存在だったと改めて気づかさせてくれた。


「……お前の告白を受けて、俺は逃げた。俺は教師で、生徒に手を出すわけにはいかない。そういう意味で、俺はお前の告白を断った。だが、榊原が嫌いだからという理由じゃない。気持ち自身はお前と同じだったんだよ」


 自分でも気付かないうちに強く想う存在になっていた。

 たった2週間程度の付き合いだが、恋愛感情を年下の少女に抱いていた。


「高町先生?そ、それって……」

「そうだ、俺はお前の事が好きだ。ここ数週間の付き合いだが気になる存在だった」

「ホントに?先生が私の事を好き……冗談じゃないよね、ホントに?」


 彼女は嬉しそうに笑うが、栄治自身も嬉しい気持ちになる。

 好きと言えなかった女に好きと言える事が、これほどにも幸せなことだったとは想いもしていなかったのだ。

 それは好きと言えない苦しさを体験したからこそ、感じることなのだろう。


「けどな、俺達は教師と生徒で恋人関係になっちゃいけない」

「……そ、そうだよね。それじゃ、どうして先生は私に好きだっていうの?」

「好きだから好きと言った。榊原、恋人にはなれないけど、我が侭を言わせてくれ。俺の傍にいて欲しい、笑っていて欲しい。お前の笑顔がなきゃ、俺がさびしいんだ」

「え?で、でも……私は傍にいてもいいの?」


――これは詭弁だ、恋愛していながら恋人じゃないからルール違反じゃないって。


 だが、“恋人関係”というものにこだわなければ“罪”には問われない。

 もちろん、そんな詭弁が学園にバレた時にどこまで通じるかは分からないが。

 その詭弁に全てを賭けるだけの覚悟はあった。


「先生、あのね……。恋人にしてもらえなくても、私はいいよ?先生が私の事を求めてくれるっていうのなら、それでいい。だけど、それならひとつだけお願いを聞いて。私の事、真夜って呼んで。私の名前を呼んで欲しいの」

「……真夜、でいいか?」

「うんっ。ありがとう、高町先生っ」


 抱き付いてくる真夜にどうするか悩むが「これくらいはいいか」とそのまま抱きしめた。


「先生、恋人じゃなくても、想いが通じ合う事に意味があるんだよ。私の事を先生が好きって言ってくれたこと、本当に嬉しいの」


 彼女の微笑みに栄治はつられて笑う。


「大事なものを失わずにすんだこと、本当に幸せってのは身近にあるんだな」


 そう実感しながら、愛しい存在をその腕に抱きしめ続けるのだった。





 数日後、再び真夜は美術準備室に顔を出すようになった。

 放課後になり、彼女は栄治の絵の描く姿を黙って見ている。


「何だよ、そんなに黙ってみられると気持ち悪い」

「ひどっ。邪魔しないように黙ってあげるのにっ、もうっ」

「別にいいんだよ。お喋りしながらでもさ。その方が調子が出る」


 キャンバスに描いた湖面に映る月と星の絵。

 彼女は栄治の横で「完成はまだ?」と尋ねて来る。


「すぐに完成するほど単純なものじゃないんだよ」

「ねぇ、この絵ができたら私にちょうだい?」

「……別にどこかに出すわけじゃないからいいけど。欲しいのか?」

「うん、欲しい。先生の描いた絵が欲しいの。先生、私は今、自分が何色になりたいかって分かった気がするんだ」


 彼女は俺に笑顔を向けて言うから、俺はからかい半分で、


「俺色になりたい?」

「ははっ、高町先生。それって親父っぽい」

「グサッ、自分で言っても寒いセリフを言ってしまった」

「先生色に染められちゃったら、それ以上の関係を望んちゃうもん。だから、それは卒業後まで我慢します。って、期待していいんだよね?」


 彼は「お前がそこまで待てるならな」と笑って言う。

 今の彼らは恋人ではない、そのラインだけは守りぬくつもりだ。

 お互いに好意を抱きあう存在だが、恋人でなければ罪には問われない。

 春の暖かな日差しが差し込む窓からの太陽の光。

 真夜は栄治の背後にくっつくようにして身体を触れてあわせる。


「……蒼空の色になりたいな。どこまで広い青空みたいに。私は、心のどこかで閉鎖的になっていた気がするの。両親が離婚して、誰も私に興味がなくて、白色の私は可能性があるからじゃなくて、何もないから白色なんだって」

「真夜……」

「でもね、私は先生に出会えて、誰かに甘える事の幸せを知った。自分はひとりじゃない、そう思えるようになったの。私は蒼い空みたいになりたい。変かな?」


 彼女が変わりたいと思った、それは良い変化だ。

 それこそ、白色の可能性。


「いいんじゃないか。真夜がなりたい色になればいい。そうだ、この絵ができたら青空の絵を描いてみるか。真夜をイメージして描いてやるよ」

「ホント?それじゃ、早くこの絵を完成させてね、楽しみにしてるっ」


 抱き付いてくる真夜を受け止めてやる。

 今日も美術室に彼女の屈託のない笑い声が響く。

 真夜に出会えた事が栄治の一番の幸せだった。

 

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