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第5話:美女と野獣の×××《断章3》

「――ようこそ、恋愛指導部へ。キミの悩みはなにかな?」


 あれから一週間が過ぎ、那美は恋愛指導部を訪れていた。


「来てしまった。ものすごく不本意だけど、ここに来てしまった」


 その顔は決していいものではなく、どこか不満げなものだ。


「天海君のせいで、今の私はひどいことになっている」


 唇を尖らせて、不満を隠そうともしない。


「ん?あぁ、顔色が優れないね?眠れていないのかな?それはいけない、睡眠不足はお肌の天敵だ。キミの綺麗な肌が荒れることがあってはよくない」


 軽口を叩く京司に「そういうことじゃなくて」と那美は深いため息をつく。


「私をこんな縁のない場所に来させるとは……誰のせいだ」

「ふふっ。キミが悩んで、苦しんでいる気持ちがあるのは自分自身の問題だ。話を聞いてもらいたくて、どうしようもない。それは人としての普通の感情だよ」


 あの屋上での一件は那美を大いに悩ませた。


――うぅ、毎日、龍平の事を意識して眠れなくなった。


 相手を強く意識すること。

 それは恋の始まりだと言うことを那美は知らなかった。


――どうしてくれる、アイツの前でいるとドキドキしてしまうじゃないか。


 自分も一人の女だったのだと、思い知らされる。

 恋を知らない彼女に恋愛を意識させた相手に文句の一つも言いたい。

 この恋愛指導部を訪れたのはそれも一つの理由である。


「天海君のせいで勉強にも身が入らない。成績を落としたらどうしてくれる」

「……あははっ。それはいいね。実にいい傾向だ」

「どこがだ!?私をからかっているのか」


 こんな調子が続かれると身体が持たない。


「――新庄先輩、違うよ?京司先輩はねぇ、恋する自覚を引き出しただけなのっ」


 可愛らしい女の子がお茶を運んでやってきた。


「どうも、恋愛指導部の夜空でーす♪」


 夜空の登場に「どうも」と少しだけ冷静さを取り戻す。


「……あれ?真心さんは?彼女も恋愛指導部じゃなかったのか」


 ようやく、真心の不在に気づく。


「あの子は今日はいないよ。来たるべき戦いのために特訓中なんだ」

「来たるべき?」

「ここだけの話、真心ちゃんは泳ぎが下手でね。水泳部の子達に指導してもらってる最中なんだよ。少しは泳げるようになりたいと言う本人の希望でもある」

「それでいないのか。同じクラスメイトがいないのはいいけど」


 毎日、顔を合わせる相手にこの悩みを知られるのも恥ずかしい。


「それで、夜空さんだっけ?恋する自覚を引き出したってどういう意味?」

「自覚できないことってたくさんあるんだよ?他人から言われて初めて気づくこともあるの。ねぇ、先輩は近藤先輩の事をどう思ってるの?」


 ここ最近、頭を悩ませている問題。

 彼女は差し出された紅茶に口をつけて、


「……龍平は私を特別扱いしなかった。アイツも特別だったから」

「周囲からライオンヘッドと呼ばれてるんでしょ?怖いの?襲われちゃうの?」

「しないよ。見た目よりもずっと優しくて思いやりのある良い奴だ。ただ顔が怖いってだけで、他人から距離を取られて。そこが可哀想でもある」


 龍平と那美の共通点、それは他人から興味を抱かれる存在であること。


「才女と野獣、キミたちはお互いに似たものを感じている」

「……話してみて思った。人ってホントに適当なんだって。外見なんてただの見せかけ。中身を知ろうともしないで勝手にこうだと決めつける。噂は全部が嘘だった」

「先輩は知っちゃったんだ。実はライオン先輩が普通の男の子ということに」


――そう、私は知ったから。龍平が誰かを傷つけるような奴じゃないって。


 噂されているような男ではなく、自分の容姿に悩む普通の男の子。


「天海君の言った似た者同士って言うのは確かにそうだ。同じように誰とも関わりあいを持てない、他人を苦手とするもの同士。息があったのかもな」


 気が付けば傍にいる事が自然になっていた。


「私は彼との関係に居心地の良さを感じてる。それを失いたくはない。でも、分からないんだ。この気持ちは恋なのか?これが恋って言えるのか?」


 初恋を知らない乙女は渦巻く感情に振り回される。


――こんな経験、今までしたことがなかったよ。


 誰かを強く意識する事も、誰かを想って頭がいっぱいになることも。


――頭が変になりそうだ。理性も冷静さも失いそうになる。


 その理由が恋だと言うなら、説明できるのだろうか。


「やはり、違うんじゃないか。私は恋なんてしてない」

「どうして?」

「この私が恋なんてするはずがない」


 誰かを好きになることなんて、なかった。

 これからもないのだと思っていた。

 ふっと、夜空は那美の手の上に自分の手を重ねて、


「……あのねぇ、先輩。難しく考えちゃダメだよ?」

「え?」

「先輩はすごく頭が良い人だから、いろいろと考えちゃうと思うの。でもね、誰かを好きになるのって、頭で考え過ぎてもダメなんだよ」


 夜空は可愛く微笑みながら囁くように、


「ちゃんと心で感じるの。好きって想いは心がちゃんと知ってるんだよ?」


――心が知ってる?そう言えば天海君も同じような事を……。


『自分の心に素直になる、それが大事だよ』


 那美は自分の胸に手を当てると、その心臓の鼓動を感じる。


「龍平の事を考えると何もかも心がかき乱される」

「それが普通だよ。誰だって、好きになると相手の事でいっぱいになるの。だって、恋は“盲目”になるものだから」

「恋は盲目……?」

「うん。恋に夢中で他の何も見えなくなっちゃう。先輩も普通の女の子なんだよ。そんなに自分を特別扱いしないで?」


 夜空の言葉に少なからずショックを受ける。


――あぁ、そうなんだ。私が一番、自分を特別扱いしてたんだ。


 小さな頃から頭がそれなりに良くて周囲から期待されていた。

 その反動からか、自分はすごいのだと錯覚して他人を見下し、特別視されることが当たり前に思えていた結果、他人に無関心な今の自分を作ってしまった。

 だが、夜空の言う通りなのだ。

 自分は決して特別ではない、どこにでもいる普通の女の子である。


――私も龍平と一緒だ、特別って言葉を意識してたのは自分だった。


 彼女は唇をかみしめて、その想いを自覚する。

 

「胸のつかえが取れたような、良い顔をしてるね」

「……自分の心のままに。なるほど。私はアイツが好きだったんだな」


 初めて会った時からきっと、龍平は那美にとっての好意の対象だった。

 恋をしている。

 その自覚が彼女の中ではっきりとした時、悩みが消えていく。


「こんなことに悩んでしまうものなんだな」

「悩みって言うのは解決すると大したことがないものが多いよ。だが、その悩み苦しんだことは経験だ。恋をしている経験。それは貴重な体験でもある」


 京司は恋愛指導の締めくくりにこんな言葉を告げた。


「――恋をして恋を失った方が、一度も恋をしなかったよりマシである Byテニソン」


 どういう意味なのだと京司に尋ね返したら、


「恋愛って素晴らしいって意味だよ。キミは今、恋をしなかった人間には得られない体験をしている。存分に恋愛を楽しんでみればいい」


 何となくだが、那美は京司が女性に評価されている理由が分かった気がした。


「恋愛は楽しい、か。こんな私でも私は楽しめるのかな」

「先輩、先輩。もう楽しんでるでしょ?」

「そうだな。私は恋を楽しんでいる」


――恋愛指導部に来てよかった。


 自分の気持ちが見つけられた。

 それならば、あとはどうするべきかはひとつだった。


「龍平の気持ちに向き合うよ。私も、ひとりの女子として恋を楽しむために」


 自分の心に素直になろうと決めた。





 那美が去った後、片づけを終えた夜空に京司は言う。


「夜空ちゃんは恋愛指導部でずいぶんと成長を見せたね」

「そう?褒められてる?」

「今回は新庄さんに寄り添うような良いアドバイスだったよ」


 夜空は「私も分かるんだ」と呟いた。


「あのね、浮いた存在って言うのかな。そんな経験、私もあるの。私はキス魔だからいろんな女子から敵視されたりしてきたからね」

「……誰もがキミのように自分に素直にはなれないから」

「ふふっ。そうなのです。私は自分に素直だから、先輩みたいに難しく考えたりしないけど。大事なことは心が知ってる、そう常に感じてるんだ」


 ぎゅっと京司に抱き付いて甘えてくる。

 

「褒めてくれるのならちゃんとご褒美ください」


 キスをねだってくる、可愛いキス魔に京司は応える。

 薄桃色の柔らかな唇を重ね合う。


「んぁっ。やっぱり先輩とのキスは好きだな。上手いから」

「夜空ちゃんの成長にも期待だな。恋愛を通じて、喜びや悲しみ、怒りなどを感じる。経験を積んで、人は成長するんだ。さぁて、彼らの恋に、最後の一押しをしようか」


 恋愛指導部としてはできる限りの応援をしてあげたい。


「それにしても、どうして京司先輩は自分の恋愛はうまくいかないの?」

「……そ、そんなことはないぞ?」

「だって、前から気になってたけど、京司先輩の本命って、もしかして?」


 その想い人が誰なのかを夜空は気づいているから。


「ふっ、俺は沙雪が大好きなのさ。俺の将来は沙雪と結婚すると決まっている」

「え?そっち!?シスコンさんだぁ。沙雪ちゃん、可愛いから気持ちは分かるけど」


 露骨に話題を変えた京司に夜空は苦笑いする。


「――もうっ。みーちゃんのこと、大事にしてあげないとダメだよ?」


 聞いてないふりをしてそっぽを向く京司。

 誰も特別なことなんてない、京司もまた普通の男子である。

 

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