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第4話:なりたい自分を演じてる《断章4》

 雑賀俊也にとって、演劇と言うのは幼い頃から関わってきたものだ。

 親が児童劇団の関係者だったこともあり、気が付けば自然と自分も関わっていた。

 残念ながら役者としての才能はなかったが、裏方の演出としての才能はあった。

 演劇は大道具や照明係、サポートする人間がいて初めて“劇”というひとつの形をなす。

 特に演出は役者たちの魅力や演技を引き出す重要なポジションだ。

 俊也は裏方として役者達を支え、演劇を成功させ続けてきた。


「千鶴は演じるのが上手だけど、普段から何か意識したりしているのか?」


 以前に俊也は千鶴にそう尋ねた事がある。

 彼女は1年生で入って来た時から飛びぬけていい役者だった。

 さらに、他の先輩たちの指導を受けて格段の成長をしている期待株だ。


「特別なことはありませんよ。演じる役の気持ちになる、それだけです」


 千鶴はどんな役でも言われた通りにやりこなす。

 女性役は当然のことながら、美少年に見える風貌から男の子役も多い。

 演技の幅が広い、舞台度胸もあり、舞台映えもする最高の役者だ。


「……役者って自分以外の自分になれるから好きなんです」

「他人を演じる?何だい、その言い方だと自分が苦手みたいな言い方だね」

「はい、自分が苦手なのかもしれません」


 千鶴には他人には言えない劣等感のようなものがあるのを感じた。

 普段から男の子っぽい仕草や言動をする彼女。


――コンプレックスからの解放を“役者”という行為でしているのかもしれない。


 言葉の端に俊也はそう感じる事があった。

 しかし、千鶴は勘違いしていることがある。

 他人を演じても、他人になれるわけではない。

 どんなになりたい自分を演じたところでそれは本当の自分ではないのだ。






 俊也が勇気を出して、千鶴に告白してから数日。

 彼女の様子がおかしいとあちらこちらで聞く。

 告白以来、中々、彼女に会えずにいた俊也も気になりつつあった。


――告白の事を前向きに考えてくれているのだろうか。


 何も考えてくれていなかったらそれはそれでショックなのだが。

 演劇部の活動をするために放課後、部室を訪れる。

 すると、そこにいたのは可愛らしい女の子の姿をした千鶴だった。

 

「やぁ、千鶴。どうしたんだ、その格好は?」

「……変ですか?」

「いや、変ではないさ。ただ、いつもと違うから気になって」


 制服自体は変わらずともショートカットの髪に髪留めをつけたり、普段はあまりしない化粧や香水をつけて女性らしい印象を受ける。

 それだけではない、言動も女性らしくてそれまでの千鶴とは異なっていた。


「よかった。“私”だってたまにはこういう恰好もしますよ。そうだ、雑賀先輩。この部活の後、大事な話があるので時間いいですか?」

「いいよ。それじゃ、またあとで」

「はい。私は役の通し稽古があるのでこれで失礼します」


 千鶴が去っていく後ろ姿を見つめながら俊也は思う。


「私、か……。あの千鶴が?確かに変わったように見えるが……?」


 違和感があると言えば失礼な話だ。

 彼女も女性、一人称を女性らしく変えた所でそれを否定する気はない。


「何か不満があるのか?」と問われるならば「何もない」だ。


――千鶴は千鶴だ、どんな姿形、言動、性格をしていようが、俺の想いは変わらない。


 だからこそ、気になることがある。

 かつて相談をした恋愛指導部の部長、天海京司の言葉を思い出す。


『彼女はこれからある変化をするでしょう。先輩はその全ての行動を拒絶、または否定てください。それは本当の彼女ではありません』


 これから先の千鶴の行動が手に取るように分かるらしい。

 確かに彼の言うとおり、千鶴に変化は起きた。

 それでも“本当の彼女”、その言葉の意味を俊也はまだ分からずにいる。


「雑賀、ちょっといいか?」

「どうした?トラブルでも起きたか?」

「次の舞台の衣装なんだが、これでいいかな。よければ、すぐにでも作らせて……」


 副部長に呼ばれて、彼は演劇部の部長としての仕事に戻る。

 部長というのもやりがいのあるもので、楽な仕事ではないのだ。






 その日は忙しくて、すぐに部活を終える時間になっていた。

 下校時間を迎えていたので部室を使えずに俊也と千鶴は駅まで歩きながら話す。


「今日は大変だったんですか?」

「まぁね。次の舞台は全国大会の予選だろう。遊んでいる時間もないから忙しいのは当然だ。そのための準備もしてきたわけだし。キミたち役者は最高の演技をするように、裏方は裏方で最高舞台を整えるのが仕事なんだ」

「雑賀先輩たちのおかげで舞台に立てるっていつも感謝してますよ」


 実際、ふたりはいい先輩後輩の関係が築けていると思う。

 その関係を壊して、新しい関係に変えようとしているのは俊也のエゴかもしれない。


――それでも、恋人になりたいと告白したのだから。

 

 千鶴の反応を見る限り、答えはもらっていないが悪い方向には行かなかったらしい。


――強引にキスしたりことは罪悪感を抱いてさえいたんだけどな。


 彼女は受け入れてくれるのだろうか、と気になっていた。


「……なぁ、千鶴。告白の事なんだが」


 その話を切り出すと千鶴は、「告白の返事をしてもいいですか?」とこちらに振り向く。

 以前とは比べものにならないくらいに、正面から見た彼女は女性らしい。

 女性らしい色っぽさ、雰囲気の変化はまだ慣れず、俊也もドキッとさせられる。


「雑賀先輩、私にとっても先輩は頼りになるだけじゃなくて、大切な人です。改めて、私は先輩の事が好きだって気づきました」

「ありがとう、千鶴。その答えを聞きたかった」

「私の方こそ、感謝してます。その、好きって言ってもらって嬉しかったです」


 千鶴からのいい返事に俊也は思わず安堵の笑みを浮かべる。

 断られたらどうしよう、と誰しも不安になるものだ。


「――だから、私は自分を変えようと思ったんです」


 しかし、千鶴のその一言がその微笑を曇らせる。


「千鶴、それはどういう意味だ?」

「前の私じゃ先輩に付き合っていても迷惑をかけると思いました。あんな男っぽくて、女らしさのない私では先輩には似合わないから」

「ひとつだけ聞かせてくれ、千鶴。キミが変わろうとしたのは俺のためか?」

「そうですけど?ダメですか?これでも、一応、頑張ってるんですけど」


 今まで女の子らしい恰好をあまりしてこなかったから、大変だったと彼女は言う。

 友達に手伝ってもらったのだろうか、化粧や髪型をいじるのも一苦労した様子だ。

 言葉遣い、物腰や行動の仕草、どれもが今までと違う。

 それが彼女の努力だと言うのも理解できたが、違和感として残る。


『彼女の変化を否定してあげてください。それは本当の彼女じゃない』


 今になってようやく京司の言葉の意味を理解する。


――違う、違うんだよ、俺がキミに言いたかったのはそうじゃない。


 違和感の正体、それは……。


「千鶴。違うよ、俺は千鶴にそう言う事を求めていたわけじゃない」

「え?ど、どうしてですか?だって、先輩だって女らしくした方がいいって言ってたじゃないですか。だから、私は……」

「俺は別に千鶴に女性らしい恰好をしろと言ったわけじゃない。キミはキミだ、俺が好きな千鶴とは今のキミではない。言っておくけど、その姿の千鶴は可愛いよ。でも、そう言う事じゃないんだ」

「分かりません。何が違うのか、私には分かりませんっ」

「……千鶴?おい、千鶴!?」


 厳しく言いすぎたせいか、拗ねた千鶴が走りさってしまう。


「言い方を間違えたかな。俺、何をテンパってるんだか。はぁ……」


 けれど、どうしても否定しておきたかった。

 追いかけようとしたが、彼を呼びとめる声に足が止まる。


「――なぜ、雑賀先輩は千鶴さんの変化を拒否するんですか」


 背後からの静かな声に振り向くとそこにいたのは……。


「確か、京司君の妹の真心さんだね?」


 天海真心、落着いた声が印象的な学園では有名な美少女。

 俊也を呼びとめる理由、それはひとつしかないだろう。


「キミが俺達の後をつけていたのは恋愛指導部の仕事かな?」

「はい。恋愛指導部として千鶴さんに相談されていました。彼女に様子を見ていて欲しいと言われていたので。勝手にすみません」

「なるほど。千鶴がね。メイクとかを教えたのはキミかい?」

「そうですよ。彼女は変わろうとしていました、貴方のために」


――俺が彼女の兄に相談したように、千鶴は真心さんに相談していたのか。


 偶然とはあるものだ、面白くらいに。

 千鶴の真意を探るために彼女と会話を続ける。


「変わりたいと思ったのは彼女の意思です。それなのに、なぜ?」

「誰も自分自身を偽ってまで変わる事を望んでいない」

「偽って?貴方は彼女の変わりたいという意思を否定するんですか」


 真心の表情は怒りにも似た強い想いが見え隠れする。


「変わりたいという意思。それを持つ事はいい事だよ。俺だって恋人は可愛い方がいい」

「それなら、なぜ、今の千鶴さんを否定するんです?」


 否定、その理由はひとつだった。


「……否定するさ。あれは本当の彼女じゃない。千鶴はね、演じているんだよ。あの子は今、自分を捨て、自分以外の自分になっている。言うならば、俺に恋する女の子の役、というところかな。今のは俺の好きな千鶴じゃないんだ」


 ずっと彼女を見てきた俊也にはすぐにわかる。

 あれが本当の彼女ではなく、無理に演じてキャラ作りしている事くらいは見抜けた。


「好きな人のためなら自分を偽ることくらいするでしょう」

「そうかもしれないな。誰だって、好きな人の前では良い自分を見せようとする。なりたい自分を演じる事もある。けれど、俺はそんなのは嫌なんだよ。ありのままの千鶴を好きになった。だから、千鶴には変わる必要なんてなかったんだ」


――そう。千鶴には千鶴の魅力がある。俺が好きなのは、自然体の千鶴なんだ。


 俊也は「あの子を追いかけるから」と夕焼けに照らされる街へと駆けだした。

 

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