第4話:なりたい自分を演じてる《断章3》
千鶴は恋愛をしたことがない。
それを必要だと思った事もないし、いつか自然に誰かに恋をすると思っていた。
そんな千鶴にとっては俊也は尊敬できるいい先輩だ。
一年の頃からずっと演劇を指導してくれたり、相談に乗ってくれたりしていた。
先輩後輩としては好きでも、恋愛の好きとは考えた事もなかった。
いきなり俊也からキスをされ、告白もされた千鶴は戸惑い、悩んでいた。
「――恋愛指導部へようこそ。貴方の恋の悩みは何かしら?」
恋愛指導部を利用したのは当然ながら初めてだ。
文化系の部室や理科室や美術室などが集まる特別校舎の最上階。
生徒会室の隣に位置する“恋愛指導室”は演劇部の部室の真上にあった。
部屋へ迎えいれてくれたのはクールビューティーで評判の美少女、真心だった。
同じクラスになった事はないが、次期生徒会長候補とも言われるくらいに周囲からの評判も信頼も高い女の子であるという認識はしている。
「初めまして、ボクは敷島千鶴。天海真心さんだよね?」
「えぇ、そうよ。先日、貴方達の劇を見せてもらったわ。いい演技をしていたわね。あまりそう言うモノを見た事はなかったけども、感動したもの」
「ありがとう。ボクは演じる事が好きなんだ」
自分の演じた劇を評価してもらえるのは素直に嬉しい。
彼女に促されて千鶴は椅子に座る。
対面する形で相談するので何だか緊張するものだ。
「本当ならば私の兄が立ち会うべきなんだろうけども今は不在なの」
ある意味、学園では有名すぎる天海京司。
――お兄さんの方が有名人だよね。いろんな意味で。
軟派で付き合う相手をよく変えていると言う話も聞くけど、悪い人ではないらしい。
女の子には甘すぎるぐらいに優しいとクラスの女子から聞いた事がある。
「遅れましたー」
明るい声で、部屋に入ってくる女の子に視線を向ける。
「相変わらず、遅い。遅刻厳禁」
「真心先輩は厳しいなぁ。ちょっと遅れただけなのに。千鶴先輩だよね?初めまして、恋愛指導部の瀬能夜空だよ。恋の相談なら私に任せて」
「……任せたらキスの話しかしないでしょうが」
真心は「邪魔が入ったけども、改めて」と話を仕切りなおす。
面子が揃い、恋愛指導開始である。
「それで、千鶴さんの悩みはどういうものなのかしら?」
千鶴はこれまでの経緯を説明しながら自分でも整理する。
憧れていた先輩からの告白とキス。
戸惑う心と想い、恋を知らない今の状況が演劇の役と見事に同じであると言う事。
「……キスされた、ねぇ?雑賀先輩は硬派なタイプだから、そんな真似は簡単にはしないはず……と言う事は、裏で暗躍するのはアイツか。ったく、そういうことね」
何やらひとりで納得する真心。
夜空は夜空でキスと言うワードに反応を示す。
「いいなぁ。壁ドンでキスとかされてみたい」
「夜空さんは黙ってお口にチャック」
「……真心先輩が私の扱いが雑だから悲しいデス」
シュンっと拗ねる可愛らしい夜空に千鶴は思わず微笑、緊張感が和らいでいく。
「それで、千鶴さん、貴方は彼を好きになりたいの?相談に来たと言う事は恋人になりたいということでいいのかしら?」
「うん。ボクは先輩の事は、憧れているし、いい人だとも思っている。告白されたと言う事も本音で言えば嬉しいんだ」
彼みたいな人から好きだと思われることは喜べる事だ。
「自分では分からないなりにも答えは出ているの?」
「多分、だけど。いろいろと考えてみて、思う事はあるよ。ボクは先輩を好きか、嫌いかで言えば答えは出ている。ボクは先輩が好きなんだ」
今まで考えたこともなかったから、考えて見ることにした。
――俊也先輩に好意を抱いているかどうか。
その疑問の答えは……。
――ボクは先輩に惹かれているんだと思う。
そうはっきりと言える答えはすでに胸の中にある。
「優しくて頼りになる人だから先輩と付き合えるのなら、それは幸せなことだと思う」
「へぇ、好きだって言えるんだ。恋愛指導部の相談内容って2パターンが主ななの。好きだからどうすればいいの?と言う場合と、好きかどうか分からない場合。貴方は後者だと感じていたけど、前者なのね」
「まだ分からない事も多いけどね。ボクは今まで恋愛を考えた事もなかったから」
「いい事じゃない。そうして自分で考えることが必要なの。でも、その様子だとこれで解決ではなさそうね。まだ何か気になることがあるんだ?」
真心の言う通り、千鶴はそれでお終いと言えない事情がある。
――今のボクが純粋に先輩と付き合う事には疑問がある。
千鶴の悩みとは、思春期の恋の悩みのひとつ。
好きな相手からどう見られたいか――。
「ボクは小さい頃から女の子らしくない。男っぽいという事を演劇では自分の持ち味だと活かしているけど、先輩みたいな人にふさわしくないんだ」
「……カッコいい系だもんねぇ。女性でイケメン。千鶴先輩はそういう自分が嫌い?」
夜空の言葉に小さく彼女は頷きながら、
「ボクも女だから、先輩にふさわしくなりたい。彼の横に立つには自分を変えなきゃいけないと思うんだけど、どうかな?」
今の自分では先輩に似合わないと感じている。
――もっと女の子らしく、可愛いと思われたい。
恋をしているからこそ、そういう風にも感じてしまう自分に気づいた。
――こんな気持ち、初めてだから誰かに相談したかったんだ。
それゆえに、彼女は恋愛指導部を訪れたのである。
「そうね。人は変わろうと思った時、既に変わっていると言うもの。千鶴さんが行動することに意味はある。好きな人のために努力することはいいことよ」
「私は先輩はイケメンのままでいいと思うけどなぁ」
「……ボクは可愛い女の子になれるかな」
「うーん。どうかなぁ。イメージが崩れちゃうから私としては……きゃん」
軽く書類で頭を叩かれた夜空。
真心は呆れながら「そう言うことを言わないの」とたしなめる。
――ボクは変わりたい、先輩の傍に立てるような女になりたい。
恋をしなければ、変わりたいとさえ思わなかっただろうけども。
「そうねぇ。千鶴さんは役者さんだから、理想的な女の子を演じてみると言うのは?」
「なりたい自分を演じてみるってやつ?千鶴先輩は演じるのが得意だもんね。こういう役だと思ってしてみたらどう?よくない?」
思わぬ提案に千鶴は「それが……」と言葉を濁す。
役者としての評価が高い千鶴だが苦手な役はもちろんある。
それは女性らしい女性を演じる事。
つまり、普通の女の子を演じるのが極端に苦手なのだ。
――そもそも、これまでの人生で女の子らしい生き方なんてしてきてないし。
あえて女役を避け、男役ばかりこなしてきたせいもある。
「……ふ、普通の女の子。ボクに出来るかな。自信がないや」
「えーと、貴方も可愛らしい女の子なんだから自信をもったらいいと思うの。ふと思ったのだけれど、どうして千鶴さんは男口調とかになりだしたの?」
「ボクは元々、小さな頃から男の子と遊んでる事も多くて、女の子っぽくなかったんだよね。周りからも当然のように男のように扱われていたから自然にそうなった」
「あー、男兄弟に囲まれてるとがさつな女の子になると言う話も……きゃん」
「だから、夜空さんは毎度ネガティブな方向に話を持っていかない」
夜空は軽く額を押さえながら「一般論だからね!?」と不満気に頬を膨らませる。
彼女も否定ばかりしているわけではない。
「……でも、ボクっ娘は需要ありだと私は思うよ?千鶴先輩には先輩の合ったキャラづくりをした方がいいと思うなぁ。無理に女装してもダメっぽくない?」
「ボクも個人的に今の性格は嫌いじゃないよ。あと女装はひどいや」
ボクという一人称を使う事も周りから見れば不自然ではないらしい。
成長しても見た目も男の子みたいになって、全然女らしくなれなかったのもある。
千鶴は自分の胸にそっと手をおきながら、
「なりたい自分を演じてみる、か。そうだね。ボクは役者だからそう言う方向から挑戦した方がやりやすいかもしれない」
無理に何もかも変えるのは無理だ。
だからこそ、少しずつでも変えるために、まず演じた方がやりやすい。
『女の子らしく振る舞うのは苦手かい?』
俊也が千鶴に前に言った言葉がずっと心に残ってる。
――彼はきっと女の子らしさを求めているんだ。
普通の男の子なら誰だってそうに違いない。
――彼と付き合うのなら、今までの自分ではなく変わらないといけない。
千鶴がそう思い込むのも無理はなかった。
しかし、彼女は一つの誤解をしていたのだった。
本当に変わることが正しいかどうか。
自分らしさとは何かということを――。
翌日から千鶴は女の子を演じてみることにした。
自分を役だと思うと心構えができて、正確を演じる事自体は思いのほかすんなりといく。
普段はしないメイクや髪型も少し変えてみた。
その辺りは夜空の得意分野なので彼女に任せたら意外と千鶴でも可愛らしくなった。
――理想の女の子といえば、親友の亜佐美が一番イメージしやすい。
亜佐美は千鶴にとって理想的な女の子だ。
可憐な容姿で異性を虜にして、誰に対しても可愛らしく愛想をふりまく。
そのイメージをもとに彼女なり亜佐美役をしているのだが。
「……どうしちゃったの、千鶴ちゃん?壊れた?」
「全然、違和感しかない。きゃっ、ついに乙女化しちゃった?」
――いや、そこは否定させて。性別は最初から女です。
意外にも友人たちの反応はすこぶる不評だった。
「千鶴の美少年っぷりがよかったのに。何でやめちゃったの?」
亜佐美本人からも不満そうな言葉が投げられて、さすがに傷つく。
「その質問5人目だよ。“私”が女の子らしくするとそんなに変?」
外見を変えたことよりも言葉遣いからまず指摘される。
一人称を私と言い直しただけでも、友人たちからは違和感の対象だ。
「うーん。変と言うかイメージの問題?慣れていくんだと思うけど、残念ね」
男っぽく振る舞う事を周囲からの望まれている。
それは自分としてはそれまでのスタイルを評価されている事であると思う反面、女としての自分の存在価値を否定されている気にもなる。
――私だって女だ、男になりたいわけではない。
千鶴は可愛いモノが趣味でもあるし、少女マンガだって読む。
だけど、それは世間のイメージ的に否定されてきたから隠してきた事でもある。
――そういう些細なことの積み重ねが今までの自分だったんだな。
周りの反応から察するにこれまでの自分とのギャップがありすぎるらしい。
そこに改めて気づくことで、少し考えさせられることでもあった。
「なりたいようにしちゃいけないってことかな?」
「千鶴らしさがないのに違和感があるっていうか……。別に千鶴を否定しているわけじゃないの。変なこと言ってごめんね?」
亜佐美が言う通り、今の自分は“女の子”だけど、自分らしさがない。
――それでも、私は先輩とつりあいがもてるようになりたいんだ。
彼の恋人になってもふさわしくなりたい。
乙女心と言う奴は複雑にできてるらしい。
「で、どうして今さら女の子っぽく振る舞うわけ?いや、女に目覚めたの?」
「何でって、あの、その……雑賀先輩に告白されたんだ、じゃない、告白されたのよ」
女の子らしい言葉づかいって難しいので、よく言い間違える。
そんなことよりも亜佐美には先輩からの告白という事実の方がびっくりしていた。
「え?ようやく告白したんだ、雑賀先輩?やるじゃん」
「……驚くのはそっち?ていうか、ようやくってどういうこと?」
「演劇部の人間なら誰でも気付いていると言うか、明らかに皆の態度と千鶴への態度が違うでしょ。私らはいつふたりがくっつくのか心配だったけどねー」
周囲にはバレバレだが、千鶴は鈍感なので気づいてなかったらしい。
――でも、祝福してもらえるのは嬉しい。早く先輩に会いたい。
少しでも変わった自分を見てもらいたい。
そう期待に胸を膨らませていた千鶴だけど、現実は違う展開を見せていた。
先輩が望むような女の子らしさを演じる千鶴に、俊也は厳しい口調で言ったんだ。
「――千鶴。違うよ、俺は千鶴にそう言う事を求めていたわけじゃない」
突き返すような口調に千鶴は顔を青ざめさせた。
――どうして……“私”じゃダメなの!?




