第4話:なりたい自分を演じてる《断章2》
それは千鶴にとっての初めてのキスだった。
唇が触れ合った時、全身に痺れのようなものを感じた。
わずかな瞬間だけの接触。
だけど、キス未経験の彼女を困惑させるには十分だった。
「な、何をするんですか!?」
我に返った千鶴は彼から身体を離して自分の唇を触る。
「雑賀先輩がボクの事を好き?冗談ですよね?」
「冗談?さすがにこの状況でそんな冗談を言える人間はいないだろ。俺は本気で千鶴を好きだ。それは冗談ではないし、冗談にされたくもない」
真っ直ぐな眼差しに顔を赤らめるしか彼女にはできない。
俊也から告白されたという事実は困惑以外の感情を失わせたかのようだ。
――だって、彼がボクをそういう目で見ていたなんて思いもしてないもの。
「きっかけは千鶴の演技を見ている時だった。すごい実力も演技力もある子だなって初めは思う程度だったけど、いつのまにかキミ自身に惹かれていた。好きだ、そう気付いたのは最近のことだよ」
「ボクなんてダメですよ。男の子っぽいし、全然女の子らしくないから」
「そんなことないさ。俺は千鶴の良さを知っているつもりだ」
「……何で、ボクなんですか。先輩なら他にもいい人がいるはずなのに」
人望も人気もある俊也ならば相手に困ることはないはずだ。
よりにもよって、千鶴ではなくとも、魅惑的な人に囲まれている。
「ボクは先輩に好かれるような女じゃありません」
「それを決めるのは俺だと思うけど。それに自分を過小評価しているだけでキミは十分に魅力的だと思う。もっと自信をもっていいよ」
――女としての魅力に自信なんてないよ。
小さな頃からボーイッシュな容姿で周囲からは男の子のように扱われてきた。
誰も女として見てくれる人はいなかったから。
それゆえに、俊也の言葉に救われ嬉しい気持ちもある。
「……あの、告白の答えですけど」
「すぐには求めていないよ。しばらく考えて欲しい。すぐにごめんなさいだけは勘弁してほしいかな。お前との付き合いがまずくなるのは嫌でね」
――告白されるなんて夢にも思わなかった。
異性として見られている、ということに驚く。
――ボクのこと、ちゃんと女の子だって思ってくれていたんだよね。
年上の先輩、頼りになる存在。
俊也の認識が彼女の中で大きく変わろうとしていた。
「千鶴。俺の事を少しでも考えてくれるなら、恋についても考えて欲しい。もう一度言う。俺はキミが好きだ。今のままのキミが好きなんだ」
彼の言葉を理解できないまま、恥ずかしさに震えて部室を出る。
「嘘だよ。夢だった?」
心臓の鼓動がまだドキドキと高鳴っている。
唇にはキスの余韻も残っている気がする。
「夢だった方が気が楽かもしれない」
夢にも思えるこの現実。
確かなのは先輩から告白されたという事実だけ。
「ボクのことを好きな人がいる。……本当に?」
これまでに経験したことのない事に戸惑うばかりだった。
「まさか役でも悩み、現実にも悩む事になるなんて」
“恋愛”とは何なのか。
彼女は恋愛と向き合うことになる――。
……。
部室を出ていった千鶴の代わりに入って来たのは京司の姿だった。
俊也は彼の登場に苦笑を浮かべる。
「雑賀先輩、告白はどうなりました?」
「キミに言われた通りにしたけど、本当に告白というのは緊張するな。しかも、キスまでしろ、とは強引だと思ったが……。頬を叩かれると覚悟しておいたが、されなかったよ。それはそれでこちらには罪悪感が芽生えてね」
「……いい反応だと思ってくださいよ。少なくとも先輩に対しては嫌いではないと言う事です。これから、千鶴ちゃんがどういう形で恋に気づくのか楽しみですよ」
そう、今回の一連の俊也の行動は京司の恋愛相談によるものだった。
数日前に、相談を受けた京司は彼に対して幾つかのアドバイスをした。
「相手に印象づけるためにキスをしろ。こればかりは強引すぎると焦った」
「それぐらいしないと、ああいう女の子は意識してくれませんからね。ただし、これが通用するのは相手の信頼がある程度あってこその切り札ですが。見も知らぬ相手からだとセクハラで訴えられるだけです。犯罪スレスレ、よい子は真似しないでください」
「印象をづける、か。なるほど、と思う所もある。千鶴はきっと俺の事はただの先輩程度にしか意識してくれていなかっただろうからな」
俊也は「しかし、これで千鶴は変わるのか?」と尋ねる。
自分のしでかした事で、嫌われてしまうのではないと不安にもなる。
「今回の脚本にもあったでしょう。恋を知らない人間は恋を知る事で変わるんです。彼女は自らの意思で恋愛について考える事をする。ようやく、はじまりです」
「恋を考える、か。千鶴には混乱させただけでは?」
「――恋の苦しみは、あらゆるほかの悦びよりずっと愉しい。byドライデン」
彼は口元に笑みを浮かべて、意味深めいた言葉を呟く。
「恋する悩みは苦しみもありますが、それはいい経験にもなり楽しい事でもあるんです。先輩も今の現状を楽しんでください」
千鶴も俊也もこれからが始まりなのだ。
京司はそう言って笑顔で答えるが、思わぬ来訪者によりその笑顔は凍りつく。
部室に現れたのは生徒会長の澪だった。
「……京司クン、見つけたわ。また何か悪巧みでもしてるのかしら」
「いえ。そんなことはないんですが。なぜここが?」
「ちょうど入るところを見かけたから。風紀委員会からの出頭要請よ。何をしたの?」
「身に覚えがありすぎて具体的に言ってもらわないと……いたっ」
唇を尖らせる澪から軽く攻撃を受ける。
「貴方の女好きは理解してるけど、やりすぎなの。真心も怒っていたわよ」
「……それはよろしくないですな」
「さっさと出頭してきなさい。これ以上、罪を重ねないで」
「まるで俺が犯罪者のような物言いですね。恋とは自由であるべきだ」
最近は風紀委員会も容赦なく、京司への取り締まりを行っている。
こうして反省を促すも、全く反省しないのが京司である。
「何だか俺を狙い撃ちにされている気がしますね。自由が足りていません」
「狙い撃ちどころか、貴方くらいしか大きな問題を日々起こしてないし。今までが自由すぎたせいで、どれだけの問題が起きてるのか自覚しなさい」
危機感を抱き、「これは新たなる戦いの予感」とひとり彼は戦いの決意を胸に秘める。
京司は相談を終えた俊也に挨拶をしてから、
「雑賀先輩、俺から最後のアドバイスです。千鶴ちゃんはこれからある“変化”をするでしょう。それを全て、“拒否”してください。それらは本当の彼女ではない。貴方の好きな彼女ではない、と言う事です」
「本当の彼女ではない?」
「恋する乙女の変化をお楽しみ。あっ、澪先輩。引きずらないでください」
そんな台詞を吐きながら澪にずるずると引きずられていく京司。
誰もいなくなった部室で俊也は「大変そうだな、彼も」と同情する。
「本当の彼女か……。彼にはどういう未来が視えているんだか」
窓の外には夕焼け空。
俊也はある期待をしながら、ゆっくりとカーテンを閉めた。
……。
俊也の告白を受け、千鶴はどうすればいいのか、分からなくなっていた。
「演劇の役と同じ事を自分が考えることになるなんて」
お昼ご飯のクリームパンをかじりながら屋上の風に吹かれて彼女は考える。
「ボクは先輩の事が好き、なのかもしれない」
彼は優しくて頼りになって、尊敬もしている。
恋人になるのならば、理想的の相手だ。
千鶴なりに考えて、彼を思う気持ちがあることに気づいた。
――好きか嫌いかで言えば、好きだと言える。だけど。
告白の答えを「YES」と言えるかと言うと問題がある。
「ボクじゃダメなんだ、あの先輩に釣りあえない。女の子らしくもなく、男みたいなボクじゃ先輩に寄り添えるはずもない」
彼からは好きだと言われても、自信がない。
幼い頃から千鶴には女の子と言う自覚が低い方だ。
遊びと言えば、外で男の子たちと混じって虫取りをしていた方が楽しかった。
上にふたり、兄がいるせいか、男の子っぽい口調も身についてしまっている。
もちろん、可愛い系のものが好きだったり、乙女らしい一面がないわけではない。
「……ボクはいろんなものが足りてなさすぎる」
友人の亜佐美のように、男受けする可愛らしい容姿でもない。
俊也と付き合うことに問題があるわけではない。
彼に釣り合えるだけの女の子らしさがない自分の欠点を気にしてしまう。
――ボク、こんなにネガティブな人間だっけ?
普段の自分とは明らかに違う、これが恋に翻弄されているということなのか。
「どうすればいいんだろう?」
自分のコンプレックス。
そして、初めて向き合う恋愛。
恋愛に悩んでいた千鶴は知り合いから恋愛指導部の噂を耳にする。
学園に恋愛相談の部活があるのは噂程度に聞いた事がある。
「自分が相談することはないだろうと思っていたけど」
彼女は自分一人では解決できずに、指導部を頼ることにした。
相談してみることで、何かが解決するかもしれない。
「――恋愛指導部へようこそ。貴方の恋の悩みは何かしら?」
数日後、恋愛指導部で彼女を待っていたのは美少女で有名な真心だった。
――ボクは“恋愛”が何なのかを知ることができるのかな。




