幕間1:恋愛指導部開始
「瀬能さん、天海君。キミたちの壇上での堂々とした挨拶に感心したよ。生徒たちの心をつかむ、いいものだった。見事だな」
入学式後の学園長室。
生徒会長、瀬能澪(せのう みお)と京司は学園長から褒められていた。
「私は当然のお仕事をしたまでですよ。いつもの事ですから」
「俺も人前で話をするのには慣れているので」
「謙遜するな。キミたちこそ、私の理想とする自信を持った人間だ。前を向いて、何事にも自信を持って取り組む。その姿にこそ人は憧れるものだ」
「学園長、あまり褒められると何だか照れくさいですよ」
にっこりと穏やかで気品のある微笑みを浮かべる少女。
澪は黒髪の美しい外見が特徴的な女性で、人気の高い生徒会長である。
大人びた容姿に落ち着いた雰囲気。
誰にでも優しく接する慈愛に満ちた女神のような存在という評価は妥当だろう。
「特に天海君。キミを恋愛指導部の部長にして本当によかった。半年前、まだ1年生ながらもキミに目をかけた瀬能さんのおかげだな」
「……いえいえ、こういう事でもしておかないと、この狼さんは可愛い女子生徒たちを食い散らかしてしまいますから。恋愛指導部はいわゆる、鎖みたいなものですね」
澪はあえて食い散らかす、と厳しい表現を使う。
ふっと京司は鼻で笑いながら、
「澪先輩。それでは、まるで俺が女好きで、女にだらしがなく、女ったらしみたいな言い方ですね。照れるじゃないですか」
隣で冷たい視線を向けながら「なぜそこで照れるの」と嘆く彼女。
「先輩にならば、鎖で繋がれるのも悪くありません」
「……へぇ、京司クンにそういう趣味があったの?知らなかったわ」
「リアルな意味ではないんですけどね。鎖で繋がれるよりも、繋ぎたい方です」
「あらら、身の危険を感じる台詞だわぁ」
軽く腕を組みながら彼女は身構えながら言った。
澪と京司は中学時代からの先輩後輩でもある。
慣れ親しむ関係ゆえに、軽口も言い合える。
ほぼ半年前の事である。
恋愛指導部は学園長の提案で実現されたものの、数年間は大した成果もでなかった。
学内公認とはいえ、学校の組織にどれほどの期待を抱くものか。
学校側に自分たちの恋愛相談など気軽にできるはずもなく利用者も少なかった。
しかし、昨年の秋、生徒会長に澪が就任してからある改革を行ったのである。
それが部長に天海京司、副部長に天海真心という双子の兄妹を置いたことだった。
どちらも一年生ながら学内では知名度のある人気者。
生徒たちは興味を示し、恋愛指導部への興味を持ち始めるきっかけとなった。
また京司流の恋愛指導は評価も高く、徐々に成果が出始めたのだ。
「学園長の提唱する、成功経験を積み重ねていくと言う考え方には俺自身も賛同しています。生徒たちをより良き方向に導くためにも必要な事でしょう」
学園長は京司に対して信頼をしている。
女にだらしがないと本人が言う通り、彼は女性との恋愛経験は豊富だ。
そして、恋愛においては独特の思考と価値観を持っている人間である。
「――愛せよ。人生においてよいものはそれのみである。byジョルジュ・サンド」
「またお得意の恋愛格言かい?」
「えぇ。学園長。人は恋をして成長する生き物です。良くも悪くも、恋をすれば人に影響を与えます。人を愛することは大いに自信に繋がりますよ」
京司の口癖は恋愛格言を引用することだ。
恋愛における格言や名言、時に勇気を与え、時に方向性を示してくれる言葉である。
「これからも、恋に悩む生徒たちを救済し続ける組織であり続けますよ」
「あぁ。今後の活躍にもぜひ期待しているよ」
「えぇ、任せておいてください。それでは、失礼します」
挨拶を終えて、ふたりが学園長室を出ていく。
その姿を見送りながら、学園長は彼らの活躍に期待を寄せるのだった。
学園長室から出た澪は京司に対して、
「そうだ、恋愛指導部の事なのだけど、今年から一名増やす事にしたから」
「また急な話ですね。増員の話は初耳ですよ」
「初めて話す事だもの。正式に許可が下りたのも朝の話よ」
恋愛指導部は生徒会の直轄の組織ではない。
生徒会、風紀委員会、恋愛指導部はそれぞれ独立し、独自の権限を持つ組織である。
だが、恋愛指導部のメンバーを実際に決めているのは澪であった。
人事面を京司に任せると無意味に女性ばかり増える事を危惧しての事である。
「もうそろそろ、生徒会室に来てるはずだけど」
彼女は生徒会室の扉を開けると中でのんびりと待っている少女がいた。
「みーちゃんっ」
黒髪のショートカットが似合う子猫のような少女が澪に声をかける。
明るい声、可愛らしい容姿に京司はにこやかな笑みを浮かべながら、
「こちらの可愛らしい子が噂の新人ですか」
「えぇ。瀬能夜空(せのう よぞら)。私の従妹で新入生よ」
「初めまして。俺は恋愛指導部の部長、天海京司だ」
「さっき、挨拶してた人だよね。カッコいいじゃん、キスしていい?」
脈絡もなくキス宣言する夜空に澪は呆れて頭を抱えながら、
「夜空。貴方のそういう悪癖をやめなさいと言ってるの」
「えー。いいじゃん。キスしたいだけなのに」
「はぁ……。京司君、この子の悪癖を何とかしてくれない?男の子には誰かれ構わずキスしちゃうのよ。どうにしかしてもらいたいわ」
「みーちゃん。それは誤解だよ。私は好みの男性しかキスしないもん」
艶っぽい薄桃色の唇を尖らせる夜空。
確かにその唇はとても魅力的である。
「誰にでもキスしてしまう。いわゆるキス魔ですね」
「キス魔って表現は好きじゃない。どちらかというと、キスで欲情するタイプ?」
「……中学時代から不特定多数の男子とキスして籠絡しまくる悪女よ」
「うわぁ、面と向かって従妹に悪女って言わないで」
拗ねる彼女を京司はポンッと軽く頭を撫でながら、
「いやいや、好きな異性にキスをしたくなるのは悪い事ではありませんよ。俺も若い頃は気になる女子にキスをしまくってました。あの頃は若かった」
「貴方の場合はさらに性質が悪い!手あたり次第に女の子に手を付けてただけでしょ」
「……失礼な。誰でも言い訳でないんですが」
「だよね?京司先輩だっけ。すごく気が合うかも。顔も好みだし、キスしてもいい?」
「キミが望むのなら相手になるよ。俺は女子からの好意に素直な人間だ」
夜空の腰に手を回す彼に澪は「やめてー」と心の底から叫びながら、
「京司君。この恋愛指導部にこの子を放り込む理由はひとつ。夜空は本当の意味で恋愛を知らないの。恋愛とは何かを教えてあげて」
「そういうことですか。では、個人レッスンの方向で」
「恋愛指導部の活動を通してに決まってるでしょ!」
「……先輩は固いですね。まぁ、いいでしょう。夜空ちゃん、キミは今日からこの恋愛指導部の一員だ。恋愛とは何かこの活動を通して理解するといい」
「私は別に好きなタイプの子にキスできればそれでいいのに」
彼女は唇に自分の手を触れさせながら、
「でも、イケメンの先輩の傍にいるのは悪くないよね。ふふっ」
「はぁ、ダメかも……京司君、この子に手を出さないでね」
「ご心配なく。俺は据え膳は美味しくいただく人間ですから」
「それがいけないと言ってるんです!」
苦悩の絶えない生徒会長は嘆くしかできなかった。
「……と言うわけで、新体制の恋愛指導部の活動を本日より開始する」
数日後、恋愛指導室で京司の言葉を聞いた真心は呆れた声で、
「とりあえず、質問があるのだけど?」
「何だい、真心ちゃん?」
「アンタに抱き付いてるその愛人は誰?」
京司にまとわりつくように抱き付く夜空。
「先輩の匂いが好きかも……」
うっとりとした表情で、すっかりと京司がお気に入りの様子である。
「学校で堂々と愛人を囲わないでよ」
「愛人ではなく、新人だ。彼女は瀬能夜空。澪先輩の従妹だと説明したはずだよ」
すっかりと京司を気に入った夜空は夢中だ。
「先輩、チューしてもいい?」
「したいときにはいつでもオッケー。キミが経験したことないキスを教えてあげよう」
「私の目の前でキスしようとするなぁ!?」
怒りに震える真心をよそにいちゃつくので、困り果てる。
「冗談だよ、怒らないで。さて、夜空ちゃん。キミも今日から本格的に恋愛指導部として活躍してもらう。しばらくは真心ちゃんと一緒に行動してもらうから」
「はーい。真心先輩、よろしくね?」
「はぁ、変な子が増えた。……私は平穏な時間を取り戻したいわ」
とんでもない新人が増えて、頭を抱えるしかない真心だった。
「恋愛指導部について詳細を説明しよう。活動期間は毎週月曜日から金曜日の放課後の間だけだ。基本的には予約制にしている」
指導室前には予約表なるものが置いてある。
相談の前日までにそこに名前を記入しておくのがルールだ。
そして、相談当日、指定した時間にこの部屋を訪れて相談に乗る。
一度でダメならば、次回にまた相談に乗る。
カウンセラーの相談と何も変わらない、おおまかな一連の流れである。
「大事なのはこちらから何でもやってあげるというわけではない。つい見ていられないと手を貸し過ぎたくなるが、手を貸し過ぎるのもよくない。あくまでも恋をするのは彼らであり、俺達はその背中を押してあげるだけであることを忘れないこと」
「恋愛指導って、ただ相談にのるだけなの?」
夜空の疑問に京司は頷きながら、
「もちろん、時には手も貸すけどね。俺らで解決してしまうのは彼らの成長を促す意味でもよろしくない。恋は人を急激に成長させる。この貴重な体験を彼らの成長の糧にしてもらいたい」
「へぇ。そういうものなんだ。何だか面白そうだね」
何でもかんでも、恋の手伝いをすればいいというわけではない。
そこを間違えると、この指導部は存在意義をなくしてしまう。
「それじゃ本日も相談に乗りますか。今日の相談相手は誰だ?」
「予約者番号02-05-11。女の子の相談者よ、資料をまとめておいたわ」
この場合は2年5組出席番号11番という意味だ。
廊下に張り付けてある予約表に直接名前を記入するのはプライバシーの意味で適さない。
また彼らは学園側から与えられている個人情報を管理している。
予約制は相手の素性などをある程度理解してから相談に乗るためだ。
「夜空さん。貴方も新入生にそれとなく噂を流しておいて。新入生の恋が成就すれば噂が広がり、ここを使用する生徒も増えるでしょ」
「恋愛指導部。入学式の時に説明されて興味を持った子もいたよ?」
「この時期だとまだ気になる相手を見つけられていない方が多いだろう。春は出会いの季節、気になる異性に惹かれるのはこれからだ」
「異性に惹かれて、暴走しないことを祈るわ。アンタみたいに」
真心はそう淡々と言いながら、書類をめくる。
「えっと、京司先輩と真心先輩って双子なんだよね?」
「そうだよ、夜空ちゃん。俺達はよく似てるだろう」
「ううん、全然。見た目も性格も違うのが逆に驚きかも」
あっさりと否定されると「ふふっ」と真心が嬉しそうに微笑する。
実際に容姿が二人ともいいという点以外に、似ている要素は少ない。
二卵性という事もあるが、それ以上に京司と真心は相反する正反対の性格だ。
「真心ちゃん。そこで喜ばれるとお兄ちゃんの立場がないんだけどね」
「アンタに似てると言われた方が傷つくわ」
「なるほど、真心ちゃん流の照れ隠しか」
真心はむっとしながら「違うって言ってるでしょ」と否定する。
「……あまり仲はよろしくない?」
「今の所、俺の片思いらしい。でも、一途な想いは報われるのがセオリーだから」
「ないからね?私、京司を兄だと思ったことがまずない」
「お兄ちゃんって呼んだりもしないんだ。先輩の片思いは大変だねぇ」
夜空のはっきりとした物言いに京司は苦笑いをしながらも凹むことはない。
彼は常にポジティブな思考の持ち主で、心が折れる事はまずない。
「いつかは俺の想いが真心ちゃんに通じる日も来るさ」
そろそろ、予定の時間だと時計を見て確認すると、
「さて、時間だな。恋愛指導を始めるとしようか」
京司たちの新しい恋愛相談が始まろうとしていた――。