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第4話:なりたい自分を演じてる《断章1》

【SIDE:敷島千鶴】


 屋上のベンチに座りる少女がひとり。

 心地よい日差しを浴びながらウトウトと昼寝をしかけていた。


「千鶴?こんな場所で何をしているんだ?」


 敷島千鶴は薄らと瞳を見開き、声をかけてきた相手を確認する。


「……雑賀先輩?あっ、もう時間ですか?」

「ん?あ、いや、そうじゃない。まだ昼休憩だ。すまない、起こしてしまったか?」


 千鶴の所属する演劇部の部長である雑賀俊也だ。


「いえ、昨日は台本を読んでいたので……眠気が、ふわぁ」


 思わず欠伸をしてしまって彼女は気恥ずかしさに頬が赤くなる。


「睡眠不足は良くないな。寝ている所を邪魔をしてしまったな」

「いえ。うぅ、恥ずかしい。雑賀先輩はどうしてここに?」


 この屋上に来る生徒は限られているし、彼がここに来る事は滅多にない。

 千鶴は静かな雰囲気が好きでここに来る事が多い。


「たまには屋上にあがってみようかなって。そうしたら、千鶴がいたから声をかけただけだ。起こさずにその寝顔を見つめているべきだったかな」


 軽く笑う彼に千鶴は「やめてください」と照れる。

 彼女にとっては優しく、とても頼りにしている先輩だ。


「ここは良い風が吹くな。千鶴はよく屋上に来るのか?」

「気分をリフレッシュしたい時には来ますね。ここなら人気もすくないですから」

「そんな眠たい目をしてまで台本の方は覚えてきたか?」

「はい、一通りは覚えてきましたよ。今回の作品は今までと少し違いますね」


 先日に無事に5月公演が終わり、新たな題材の演劇の練習をし始めた。

 今回の7月公演は大会に向けての本番用の演劇でもあるので大変だ。

 内容自体はよくある学園をテーマにした恋愛物語。

 だけど、千鶴はラブストーリーをこれまで演じた事がない。

 

「そういえば、千鶴はラブストーリーは経験がないのか」

「そうですね。桜子先輩はよく恋愛を演じていましたけど」


 神崎桜子は演劇部の女優だった。

 現在は風紀員会の風紀委員長をしている。

 彼女に目をかけられ、鍛えられてきた千鶴だが、あいにくと恋愛劇に縁はなかった。

 可愛いヒロインを演じたいなど、夢を見るだけにすぎない。


――憧れていた時期もあったけれども、ボクがヒロインを演じるのは無理だ。


 一見すればイケメン男子にさえ見える、男の子っぽい容姿。

 ファンからすれば、そこがいいのだが、彼女本人はあまり自分の容姿は好みではない。


「桜子先輩みたいにヒロインを演じられない僕には気が重いです」

「神崎とはタイプが違うだろ。恋愛系が苦手か?」

「ラブストーリー自体は好きですが、自分には合いませんから」


 それは彼女自身が一番よく知っている。

 やはり、役者である以上、作品にイメージが合う合わないはあるのだ。


「……こんなナリですからね。ヒロイン役なんて経験も皆無ですし」


 すると、俊也はいきなり千鶴の髪の毛に触れる。


「ひゃんっ。な、何するんですか?」


 思わず警戒した声を出すと彼は笑みを浮かべていた。

 軽いスキンシップでも異性に慣れていない千鶴は驚く。


「千鶴はいつも髪が短いけど、昔からショートカットなのか?」

「……こっちの方が楽なので」

「もっと髪を伸ばせば千鶴によく似合うと思うよ」

「それはただの先輩の好みでしょ。ボクには似合いませんから」


 千鶴にだって、小学生の頃、髪を伸ばしていた時期があった。

 だが、周囲からの反応は芳しくなく、可愛さを求めれば求めるほどに浮いてしまった。


――女の子らしくなんてボクには無理なんだ。


 自分を女だと思わず、男だと思っていた方が気も楽だ。


――こんな風に考えるようになったのはいつからだろ。


 千鶴にとって自分の容姿は長所でありながら、コンプレックスでもある。


「女の子らしく振る舞うのは苦手か?」

「……苦手というよりも、自分らしくないと思うだけです」

「そうかな。俺から見ると千鶴はいつも無理をしているように感じる」


 俊也の言葉に千鶴は「無理なんてしていません」と首を横に振って否定した。


「いいや。本当のキミはどこにいるんだろう、と俺は常々思っていたんだ。下手に意識しすぎているんじゃないのか?」


 自分でもよく分からないままに内心焦ってしまう。


――彼の言葉が胸に突き刺さる。どうして……ボクは……。


 そのまま身を翻してチャイムと共に屋上を千鶴は逃げるように去った。





 千鶴が演劇に興味を持ち始めたのは中学生の頃だった。

 父の知り合いが関わる劇団が近場のホールで演劇をするという事で連れて行かれた。

 各地を回り公演を行う小さな劇団だった。

 初めは演劇に興味もなかった彼女も、舞台上の彼らを一目見て衝撃を受けた。

 役者と舞台、それまで見た事もなかった世界がそこにはあったから。


『演劇に興味があるのかい?』


 父の知り合いは劇団の演出家の人で、舞台を見終わった千鶴にそう言った。


『すごいですね。ボク、初めて見たんです』

『興味があるのなら、もっと深く接するといい。演劇は良いぞ』


 それから暇さえあれば彼らの指導を受けた千鶴は演じると言う事の難しさと楽しさを知ることになる。

 彼女の人生を変えるに値する出来事だった。


『千鶴ちゃんは演技がうまい。もっと練習して、自分を磨けばいい役者になれると思う。厳しい世界だけど、キミが成長して同じ場所に来てくれる事を望んでいるよ』


 幸運にも千鶴には役者の才能があった。

 そして、今や学園の演劇部の主役級の女優になっている。

 演劇の世界は本当に難しい。

 台詞がいくらうまくても、演技力がなければ伝わらない。

 演じると言う事、役になりきり、自分ではなくその役の人間として行動する。

 どういう気持ちでこの場に立ち、どういう心境で行動するのか。

 その役になりきると言う事が一番難しい。


「また男役なんだよね。それはいいんだけど……」


 今回の千鶴が演じる主人公の“男の子”は、ヒロインに告白された所から始まる。

 初恋を経験したことのない彼は最初、その告白を断るのだが、その後の彼女の行 動に惹かれた彼から告白する典型的なラブストーリー。

 昨夜までに台本には目を通して役柄について考えていた。

 放課後になれば演劇部の部室でそれぞれの練習がある。

 演劇部には役者、大道具や照明担当等、得意な分野の人がたくさん集まっている。

 文化系の部活では一番の大人数の部活だ。


「……では、今回の衣装はこのような形でいいですか?」

「そちらは頼んだ。水瀬、今回の小道具について何だが……」


 その中で、部員の指示を与えるのは部長の俊也だった。

 事細かく、全体の状況を把握する大変な仕事であり、全体を把握しなければいけない。


「……千鶴?早く台詞合わせしましょう。今回は時間が少ないんだから」


 今回のヒロイン役を任されていたのは千鶴の友人、亜佐美あさみだ。

 同じく2年生で、美少女という容姿だけでなく、演技力もうまい。


「それにしても、今回はキスシーンまであるのよ?私と千鶴で。これ、笑う所?」

「同感だ。先輩は演技で、実際にしなくていいって」

「当然よね。男なら別として女同士でキスなんて、ね?」


 亜佐美は笑いながら「実際にしてみる?」と軽く唇を尖らせて千鶴をからかう。


――亜佐美みたいに可愛らしい子ならヒロインもよく合うのに。


 ふと、そんなことが脳裏によぎる。


「さすがにボクもそちらの気はないし、演技でも嫌だ」

「はっきり言われると傷つくわ」

「亜佐美。冗談の区別がつきにくいから勘弁して」


 他の役者担当の子たちと合わせて台詞回しの練習を始める。

 シーンは主人公がヒロインに告白されるが断り、友人に責められるところだ。


「ねぇ、どうして……?どうして、あの子の告白を断ったの?あんなにも仲がよかったじゃない?貴方は好きじゃなかったの?」

「……好きとか、嫌いとか考えた事もなかった。傍にいる事が当たり前で、ただそれだけでよくて。だったら、僕はどうすればよかったんだ?断らずに付き合う事は正しかったのかな?僕には分からないよ。何が正しかったかなんて」


 自分からヒロインをフッたくせに、その行動に後悔する主人公。

 だけど、千鶴には引っかかるところがあり、彼がなぜ後悔するのかが分からない。

 相手を傷つけた、関係を壊してしまった事に対しての後悔?

 それとも、彼女を泣かせてしまった事に対しての罪悪感?


――どちらにしても自分にその気がないのなら悪い事ではないはず。


 その事についての説明もなく場面は変わってしまうため、昨日からずっと考えていた。


「……おい、千鶴?おーい、ボケっとするなよ?」


 他の先輩に注意されてボクはハッとする。


――演劇中に呆けるなんて最悪だ、集中力に欠けている。


「すみません……すぐにしますから」

「いや、いい。さすがにぶっ通し続けたからな。集中力が切れたんだろ。雑賀、今日はこれくらいで終わりにしていいか?」

「あぁ。皆も各自、片付けて帰ってくれ。……千鶴、お前は少し残ってくれるか」


 俊也に言われたため、千鶴は小さく頷く。


――今日の事に対する注意かな。ボーっとしすぎて、反省。


 皆が帰ってしまった後、俊也は千鶴を心配されていた。


「いつものお前らしくないな。眠いのか?それとも別の理由か?」

「主人公の気持ちを考えていました。恋愛モノの経験がないせいか、どうにも主人公に感情移入がし辛くて……役にうまく入り込めていないんです」


 役さえハマれば、千鶴は持ち前の才能を発揮して名演技を行える。


「……雑賀先輩。このシナリオは先輩が書いたんですか?」

「いや、今回の作品は俺じゃない。卒業したOBの脚本だ。俺もこの作品は好きだからアレンジして使わせてもらう事にした。千鶴、キミは恋愛は嫌いか?」


 俊也に尋ねられて千鶴は困った顔をする。


――恋愛が嫌いとかじゃない、ボクには縁がないだけ。


 人を好きになった事も、人から好きだと言われた事もない。

 何も考えた事もなかったこの演劇の主人公と同じだ。


「ボクは恋愛とか考える機会がありませんでしたから。本当の意味で恋愛感情がよく分からなくて。どう主人公を演じていいのかも分からないんです」


 何も考えずに演技すればいいと言うものじゃない。

 解釈、表現等を自分で役の気持ちを考えて演技するのが役者だ。


「千鶴。今、俺とふたりっきりだな」

「そうですね?誰もいませんけど……それが何か?」


 彼はカーテンを開けると涼しい風と共に眩しい夕陽が差しこんでくる。


「……俺と千鶴が初めて出会ってから1年、良い後輩に俺は恵まれたと思ってる」

「ボクも同じです。本当に先輩達はお世話になってきましたから」


 それは今回の演劇が最後だ。

 最後の夏、秋になれば部活が終わるのは他の部活と同じで、今回の7月公演が最後だ。

 次の文化祭の公演は次期部長が仕切る事になっている。

 8月には全国大会もあるのでそれまでは俊也が中心になるが。


「俺にとっては高校最後の公演だ。もちろん、全国大会まで行くつもりだから本気で皆にも頑張ってほしいと思う。だから、千鶴には期待しているんだよ」

「分かっています。先輩の期待にも応えたいです」


 彼の演劇に対する情熱や姿勢は素晴らしい。

 千鶴も同じ気持ちで、いつだって彼についてきた。


「それとは別に……俺個人の気持ちもある。ただの先輩と後輩だけじゃない」

「え?それはどういう意味ですか?」

「……俺は千鶴が好きだ、と言う意味だ」


 その言葉と共に千鶴は俊也に抱きよせられていた。

 自分よりも大きな先輩の腕に抱きしめられて身動きがとれない。

 心臓の鼓動は破裂するのではないかとばかり高鳴る。


――え、えぇ?せ、先輩……?


「千鶴を俺だけのものにしたい。俺はキミと付き合いたいと考えている」


 それは突然の告白だった。

 何の縁もないと思っていた恋愛と言う意味での告白。

 彼の意思に千鶴は何かを言い返そうとしていたが、何も言葉出てこない。


「……千鶴が好きなんだよ」


 もう一度、好きだと言った。

 窓から吹き込んできた風がカーテンと共に千鶴の髪を揺らす。

 そして、2人の唇が他に誰もいない教室の中で重なり合った――。

 

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