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第2話:幼馴染フラグを破壊せよ《断章4》

 潤は家に帰り、自室のベッドに寝転がりながら考えていた。

 幼馴染の咲良に恋人ができた。

 小さい頃からずっと潤の傍から離れずにいた。

 そんな彼女を潤は守ってやりたいと思ってきた、はずなのに。


「何の冗談だよ、これは……意味が分からない。今になって何であの京司っていうナンパな先輩に恋をしたんだ?」


――あの人は俺に言った、俺がアイツを失恋させたんだ、と。


 つまり、それまでは潤に対して好意はあったということだ。

 それなのに、彼は気のない素振りと言動で咲良を傷つけてしまった。

 それが結果的に彼女が別の男を選ぶ事になってしまった。


――俺は咲良を愛しているわけじゃない。幼馴染として好きで、それだけのはずなのに。


 咲良に恋人ができた事実が予想以上にかなりショックを受けていた。


「咲良が選んだんだからいいじゃないか。そのはずなのに」


 やり場のない怒り。


「それなのに、どうして俺はこんなにも複雑な心境なんだ」


 潤は寝返りを打つと、小さな声が窓の外から聞こえてくる。


「……です、えぇ、日曜日はどうですか?」


 それは咲良の声だった。

 隣の家は咲良の家で、ちょうどベランダ越しに向かい合うように咲良の部屋がある。

 開いた窓から聞こえる咲良の声。


「ふふっ。嬉しいですよ、先輩。私とデートしてくれるなんて……日曜日の1時、駅前で待ち合わせですね。分かりました」


――日曜日にデート……くっ、あの先輩とかよ、咲良。


 その言葉を聞いた瞬間にまた苛立ちがわく。


「何なんだよ、デートぐらい付き合ってるならするだろ」


 別に怒る必要なんて微塵もないはずなのに。


「……アイツと今までデートっぽい事をしてきたのは俺なのにな」


 そう呟くと窓を閉めようと手を伸ばす。

 これ以上、変に会話を聞くとなぜか苦しくなる。


「えっ……?潤ちゃんですか?いえ、大丈夫です……その、最初はフラれた時は辛かったですけど、先輩がいてくれますから」


 彼は伸ばした手を止めた、止めざるを得なかった。


「……俺が咲良をフッた?そうか、あの時の質問は本当に咲良にとって告白に近いものだったのか。悪いのはそれを無下に扱った俺かよ」


 自業自得、自己嫌悪する彼は力なくうなだれる。

 そのままベッドに寝転がると咲良と先輩の話声だけを聞いていた。

 楽しそうに笑う声に潤はようやく気付く。


――咲良の笑顔は自分だけのモノであってほしかった。


 他の誰にも向けて欲しくない、独占欲。

 それに気づいたとき、不思議な感覚に陥る。


「ははっ、俺ってば本当に子供だな。自分で手放しておきながらそれを惜しむなんて」


 普通に当たり前だと思っていたこと。

 それが崩れ去った時、人はその大切さに気づき、どうしようもなくなったことを悔やむものである。


「咲良、それでも俺は……」


 そのまま意識を手放し、眠りにおちた。

 ただ、咲良のことだけを考えながら……。





 翌日、潤は昼休憩に学食で食事を終えて校内を歩いてた。

 教室に戻れば咲良がいる。

 どうにも顔を合わせづらいので時間つぶしをしていた。


「えー、京司クン、日曜日は用事があるの?」

「今、付き合ってる女からの誘いだ。面倒だが付き合ってやるよ」

「うわっ、ひどい。その子にとっては初デートなんだからもっとノッてあげなさいよ」


 男女の話声に振りむくと、あの京司と見知らぬ女の人がそこにいた。

 ずいぶんと親しそうな女の子と話をする彼らの会話は聞こえてくる。


「デートねぇ?まぁ、適当に遊んでやってからホテルにでもつれこむか」

「で、弄ぶだけ弄んでポイ捨て?京司クンのいつものパターンだよね」

「ハッ、わざわざ相手をしてあげてるんだから感謝してもらいたいくらいだがな。いいじゃないか、この俺と付き合えて相手は幸せだろ?」

「その自信はどこからわいてくるんだか。そうやってまた女の子泣かせてるんだから。また犠牲者になるんだ。可哀想」

「可哀想?遊んであげてありがとうだろ?ははっ」


 正直、目の前の光景が信じられなかった。


――咲良の気持ちを弄ぶって、なんて野郎だ……!


 潤は京司という男の本性を見た。

 

「なんだよ、昨日とは全然言ってる事が違う。幸せにするとか言ってたくせに全部でたらめかよ。咲良が可哀想じゃないか、アイツは……本気で先輩の事を……くっ」


 彼はいてもたってもいられずに京司に詰め寄った。


「おい、先輩。今の話は本当か、昨日の話と違うじゃないか」

「……ん?あぁ、キミか。どうしたんだい?」


 先ほどの口調を隠す表の顔、本性をすでに知ってる潤はもう騙されない。


「ふざけるな。さっきの話を聞いた、咲良を弄ぶつもりか!」

「……はぁ、面倒な。人の話を盗み聞きするのは悪い子だ」


 京司は「やれやれ」と肩をすくめると、潤に言いはなつ。

 

「で?それが真実だとしたらキミはどうする?」

「今すぐ咲良と別れろ。アイツはアンタみたいな男と付き合うべきじゃない」

「ははっ、それは幼馴染であるキミに言う権利はない。彼女を好きだっていうならば話は別だが、いつまでも子供じゃないんだ。幼馴染だろうが他人の恋愛に口出すするなよ。彼女は自ら俺に告白した。俺を選んだのは彼女の意思だ」

「確かにそうなのかもしれない。それでも、咲良はこんな本性を持つ男を選んだわけではないはずだ。アンタが咲良を弄んでいるだけなら許せない」


 咲良を不幸せにすると分かっているから、認められない。

 認められるはずがない。

 京司は今にもつかみかかろうとする潤を一蹴する。

 

「おいおい、ナイト気取りもいいが、自分の立場をわきまえろって言ってるんだ。今、あの子と付き合ってるのは俺だぜ。恋人の彼女をどうこうしようが俺の自由だろ?まさか、幼馴染の許可がいるとでも?」

「……気に入らない、アンタみたいな男に咲良を自由にさせるか」

「笑わせてくれるね。過保護なのか、無知なのか。子供が玩具を取り上げられたような顔をしているぞ。……あの子はもう俺のものなんだよ。どうしようが自由だ。そこを理解しろ、と言っているんだ」


 思わず「アンタって人は!」と怒鳴ると、傍にいた女の人が制止する。


「やめなさい。学内での暴力行為は禁止よ、前橋潤クン。一応、生徒会長としての忠告。京司クンもあんまり挑発することを言わないの」

「……生徒会長?」


――まさか、この人が噂の美人生徒会長、瀬能澪!?


 名前だけは知っている生徒会長、彼女の存在に潤はひるんだ。

 なぜ彼女があの京司と一緒にいるのかが不思議でならない。


「挑発?俺はただ無知な子供に現実を教えてあげているだけだ。幼馴染、当たり前の立場に甘んじてきた子供は何もわかっていないようだからね」

「……くっ」

「そうだ、一つだけ言っておく。他人の恋愛に口出しできる人間ってのは同じ相手を好きな人間だけだ。キミがあの子を好いているというのなら、対等に話をしてあげるよ。じゃぁね。行こうか、先輩」


 嫌味っぽく笑う京司達はそのまま歩き去ってしまう。


「天海京司っ!!」


 何とも言えない屈辱感を抱きながら拳を強く握り締める。

 その後ろ姿を黙ってみていることしかできなかった。

 現実を思い知らされたのだ。


「あの人は正しい事も言っている、今の俺には彼の行動を止める資格がない。咲良が好きじゃないならば、何も言うことができないのか」


 憤る理由、それが何なのか彼は自分の気持ちを整理できずにいた。

 その後、教室に戻ってその話を咲良にしてみることにした。

 案の定、彼女はそんな与太話を信じるはずもなく、逆に潤が怒られてしまった。


「ダメだ、咲良の前で見せるあの表の顔を信じ切っている以上、その信頼を壊せない。このままじゃ、彼女は軟派野郎のオモチャにされてしまう」


 潤はひとりで悩みながら、どうする事も出来ない自分に苛立った。






「咲良は騙されているんだ、あの表の顔に。だが、俺の言葉なんて信じてもらえない」


 放課後になり、恋愛指導部、京司が所属している組織を思い出す。


「俺がなんとかしないと。直接、文句を言ってでも、止めてやる」


 ここで何とかしないと手遅れになってしまう。

 焦りや不安が余計に彼を急き立てる。

 彼はそんな覚悟を決めて、部室を訪れることにした。

 ノックをして扉を開けるも、京司の姿はそこにはなかった。


「あれぇ?今日は誰も予約はないはずなのに?」


 中にいたのは可憐な少女がひとりだけ。

 少女漫画を読んでいた彼女はこちらに視線を向ける。


「まぁ、今日は先輩もいないし。私で良ければお話を聞くよ。私は瀬能夜空。恋愛指導部のメンバーなんだ。さぁ、貴方の恋の悩みは何ですか?」


 夜空と名乗る少女の言葉に、潤は「い、いや」と首を横に振る。


「違うんだ。突然で悪いが、俺は恋愛相談しにきたわけじゃない」

「そうなの?でも、なんか悩みがありそうな顔をしてるけどねぇ?お話しない?人に話せば気持ちが楽になるものだよ」


 穏やかな口調の夜空に彼はどうしようもない悩みを抱いている事実と向き合う。


――誰かに聞いてもらいたかったのかな、この気持ちを……。

 

 そして、話すつもりはなかった心の内を、ついさらけ出す。


「あのさ、情けない話なんだけど聞いてくれるか?」


 自らの悩みを夜空に話始めるのだった。

 大切な幼馴染がどうしようもない先輩に捕まり、毒牙にかけられようとしている。

 この危機を何とかしたい。

 夜空も話を聞いてから「あの京司先輩に狙われたら、焦るのもしょうがない」と納得の様子だ。


「その子って、大事な子なんでしょ?何でボサッとしているの?貴方はその女の子を好きじゃないの?好きだから気になるんでしょう」

「どうかな。妹みたいに思ってたんだ、ずっと……咲良は俺の幼馴染で、妹だった」


 妹同然に懐いていたし、彼女から常に好意を感じていた。

 それが幼馴染として当たり前の事で、彼にとっては大事なことだった。


「――自惚れていたんだ、彼女が好きなのは俺だって……でも、違った」


 どこかで勝手な想像と自惚れがあったのだ。

 彼女の好意が当たり前のように自分に向いているのだと思い込んでいた。


「当たり前の事が当たり前じゃなくなること。人は失ってみないと当たり前の大切さに気付けない生き物なのかもしれないねぇ」

「後悔してからじゃ遅いってことだよな。今さらながら実感してる」


 すると夜空は「後悔?」と不思議そうな顔をして言う。


「それは何に対しての後悔なの?貴方は何を悔やんでいるの?」

「……え?それは……咲良への気持ちを無下にした事かな」


 時を戻せたら、潤は咲良にあんな台詞を言わなかった。


――咲良が他の誰かを選ぶような、そんな……そんな、何だ?


 自問自答して、ようやく自分の気持ちに気づく。


「貴方は後悔している。それは咲良さんを傷つけた事じゃない。京司先輩に彼女を奪われた事で初めて実感したんだ。貴方が咲良さんを好きだって気持ちに。近くにいすぎて見えなかった本当の心に……」

「俺が咲良を好き……?」


 下手な言いわけをして、自分を誤魔化して。

 ……気付かないふりをし続けてきたのは自分自身の気持ち。

 彼はようやくそれに気づいて、向き合った。


「……アイツの笑顔が他の男に向くのが嫌だ、咲良は俺だけのものでいて欲しかった。これが俺の本音なんだな」


 それは妹としてではなく、幼馴染としてでもなく、ひとりの女の子として……。

 それに気づいたとき、潤はようやくこれまでの自分の気持ちに納得する。


「……本当に今さらじゃないか、その気持ち、“恋”と言わずして何と言う。散々好きじゃないって否定しておきながら、やっぱり咲良の事が好きなんじゃないか。何で気づこうとしなかったんだろう」


 ため息交じりに失笑することしかできない。

 咲良が好きだから嫉妬もするし、嫌な気持ちになる。

 理由なんて一つしかない、当然のことだった。

 

「それを誰かに奪われてから気づくなんて、バカ野郎すぎるよ、俺は」


 好きだと自覚することが怖かったのかもしれない。

 変わってしまう事が怖かったのだ。


「――恋はうぬぼれと希望の闘争だ。byスタンダール」


 夜空は静かにそう告げると、潤の瞳を見つめる。


「恋愛格言だよ。恋をした人間は相手の行動に期待と希望を抱くもの。相手の何気ない発言ひとつに自惚れて、期待して、失望して、悲しんで。それをずっと繰り返す、だから難しい。それが恋ってものらしいよ?」


 夜空は潤に「後悔するには早すぎない?」と微笑しながら言う。


「そうだ、まだ終わりじゃない、京司先輩と咲良がまだ一線を越えていない今はまだ。俺は……咲良を諦めたりしない。ずっと好きだったアイツを諦められるか」


 自分の想いに気づいた、遅れながらも好きだと自覚した。

 何も終わっていない、今ならまだ間に合う。


「今度こそ後悔しないために行動するんだ。もう咲良を傷つけたりしない、バカな事はしないから。アイツにちゃんと謝りたい、そして、自分の気持ちを伝えたいんだ」

「ちゃんと自分の気持ち、分かってるじゃん。頑張りなよ、男の子」


 笑顔の夜空に励まされて「ありがと」と照れくさそうに潤は礼を言った。





 ……。

 潤が去ったあと、恋愛指導部の部室には京司と澪が入ってきた。

 夜空は「疲れたぁ」と初めての任務の緊張から解放されていた。


「言われたとおりにしたけど、これでいいんだよね?」

「十分だよ、夜空ちゃん。お疲れ様。あとでジュースをおごってあげよう」


 京司の真横で少しあきれ顔をする澪。

 彼女も不本意ながら今回の件に関わっていた。


「私、思いっきり共犯にされている気がするのは気のせいじゃないわよね?京司クンとの会話に合わせてって言われたから付き合っただけなのに。ひどいわ」

「すみません、澪先輩なら好都合だったので。俺も中々の名演技だったでしょ」

「京司クンほど嫌なナンパな男をうまくやれる人はいないわ。というか本性だものねぇ?」


 澪の言葉に彼は「女の子を平気で傷つける真似はしません」と否定して、夜空の方を向きなおす。


「夜空ちゃん、気付いた?彼が自分の気持ちに気付いた瞬間」

「うん。初めから彼の中に咲良さんを思う気持ちがあったんだね。それに近すぎて、失うまで気付けないのも鈍感過ぎると思うけど、気付けてよかったじゃない」

「鈍感、とはまた違うんだよ。自然過ぎることほど、その関係の認識を変えるのは難しい。だからこそ、第3者が関わって初めて気づけるものなんだ。さて、俺の出番をもう少しだけ頑張りますよ」

「そうそう、言い忘れたわ。京司クン。キミは素でかなり嫌な奴だから。そこは勘違いしちゃダメよ。ふふっ」


 京司は「手厳しいお言葉で」と澪に笑顔で嫌味を言われて苦笑する。

 彼には最後の仕上げが待っている。

 最後の最後まで気が抜けない、それが恋愛の難しさなのだから――。


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